文学関連を読むとき
最近、文学作品を読む時、専門家でもないのに、作者の思想とかを考えながら読んでしまいます。
漫画でもです。
それが良い方向に働けばいいのですが、作者の考え方を予想しながら読んでしまって、逆に不安になることもあります。
私としては、純粋な気持ちで読み、キャラクターを愛したいのですが、どうすれば良いのか、ご意見をよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何度も読んでみる
一回目を分析脳で読んでしまったら、二回目からは素直読みなさってください。
一つの作品でもみんな自分の主観を入れてしまうものですが、所詮それは自分の主観読みでしかないという事を知り、余分な意味づけ無しに読むという事が大事です。
正見という言葉がありますが、そのまま、その通りに、自分の主観無しに、自分の推測、思想無しにという意味合いでもあります。
あなたが本を読むときに余計なつけ足しを読んでいるという事は、今後もそれが災いするでしょう。
LINEやメッセージで要らぬ思いをつけ足して相手の善意を悪意に受け止めてしまうような事も起こり得ます。そのまま、素直にを心がけて読んでみましょう。イイ修行になります。
すぐれたアート・作品には主観がありません。「わたくし」がありません。
そのワタクシを無いままに愛することが、あなたの「わたくし」を無くする修行です。
そこに自分的な余計なつけ足しを無く接するという事です。
これは第一時点の出会い頭においては必ずだれもが素直にやれているものです。
やっぱり何度も読んでみる
こんばんは。文章を読む時に、「筆者の考え方を予想して読む」、誠に結構なことと感じます。というか、何かを書く時というのは、読者の共感を考えてする訳で、「なるほど尤もだ」「これは私には受け入れられない」はどちらも成功、「はぁ?つかみ所がない?」つまりピンと来ないものは読者に合わないのです。
読みながら「作者の思想はこうであるに違いない」と自分なりにストーリーを立て、そこに合うか否かで「この作者、オカシイ!間違ってる!」とか怒ったりしているのではないですよね?「純粋に楽しむ」は自分の経験なり知識を参照にしながら読むことであって、それを避けて読むことはできないように思われます。「この登場人物は好きになれないけれど、まぁそういう人生もあるのかも」で充分なのではないかしら。
ただ、小説というのは「他人は自分の鏡」というのと一緒で、時々によって見える姿や受ける印象が変化し、それを通じて自分を知るという機能もあると思います。そういう意味で「何度か読んでみる」ことで、より作者の思想…何を大切にしているのか、何を主張しているのか…に謙虚に近づけるようになると思います。「不安」と書かれているのが、どんな不安であるのか、もう少し説明を足して下さると、また何かお伝えできるような気もします。
質問者からのお礼
丹下様、ご回答ありがとうございます。
なるほど、「わたくし」を無くする修行ですか・・・
結構大変そうですが、自分を鍛える面でも確かに良い修行になりそうですね!ありがとうございます!
佐藤様、ご回答ありがとうございます。
確かにそうですね。
不安というのは、作者の考え方がもし危なそうなものだったら、ということです。
詳しくはまた後で書きます。