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ウツの知人を助けたい

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有り難し有り難し 67

40代男性 妻子ある知人のことです。

過去数回ウツに陥った経歴があり。(2~3年に1回、半年ほど引き籠る)

現在も同じ状態で引きこもり1週間ほど。

「仕事ができない」「外に出れない」「人と会ったり話すのがつらい」状態。

唯一私を頼ってきて、苦しい胸の内を打ち明けられますが、

ただ「無理しないがいいよ」「がんばらないでいいよ」と言ってあげるくらいで、これといったアドバイスができません。

話を聞いてあげるだけでいいんでしょうか? 何かやってあげることはないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

好きでやっているのです。

こんにちは。
日々これ引きこもり腐れニートの丹下です。今日もお寺にコモっています。
好きな場所はあったかい所。夢は寝て暮らす。好きなものは、リモコン まくら ドンブリです。今日は、大雪で雪かきで外に出てしまいましたが、一生分の労働をした気持ちです。ああ、やっぱり家の中が一番ね。
アニメ妖怪ウォッチに「ひきこうもり」というキャラクターが出てきます。尊敬してます。
完全に引きこもりを肯定、世のひきこもりを称賛して勇気づけています。
エアロスミスのパチリで「ヘヤノスミス」というバンドも組んでます。
「ウスラカゲ、ウスラカゲ、一歩も外に出たくない。うちの中がユートピア♪」素晴らしいフレーズですね。
5歳と3歳の子供が意味も分からず歌っているのが笑えます。
私も同類ですので、申し上げますと、ひきこもりの方は、そこが一番の安全地帯・極楽なのです。
そこが一番のコンフォートゾーン。快適なること極まりなし。全然辛いと思っていない。
周りにその状態を責めてくる人がいなければ、めちゃ肯定的でポジティブなひきこもりなのです。
責めてくる人、否定する人がいるので、困っている姿勢や、自分は病気なのだという心理が働いてバリアがはられるだけです。めんどくさい人間関係なんて、まっぴらごめん。一生籠ってたって構わないタイプなのです。あ、私に限ってですがね。
うつの人は、うつであることを自分で「認めない」ほうがいいと思います。
「ああ、うつなんだ」で嫌がらず、抵抗せず、反発しないことです。
アナタもあなたがうつであるわけではありませんから、うつであることが悪いことであるかのように言ってしまうと、変えられないことを変えようとする力になりますから、彼にとっても重たくなるので、とにかくフツーに付き合ってください。
うつであろうがうつで無かろうが、今日もまた日は登ります。
友人が「うつが2週間で治る本」みたいなタイトルの本でうつが治りました。
心は常に変化しているのが諸行無常のことわりです。
引きこもりも一歩外に出ればその実相は引きこもりではありません。
人間ラベルに弱いだけなんです。
質問者様も、今、誰それがうつだとか、自分が何県出身だとか、何歳だとか、病気してただとか忘れていたはずです。
心にプラカードを掲げていない時は人間はいつでも名無しの権兵衛でまっさら救われているのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「うつ」の症状だとわかってあげること

「うつ」は、脳・神経の不調でしょう。
長引く場合は医療機関の受診が大事です。
その人の場合、自分で「うつ」だとわかっているということは、医療機関にかかっているのでしょうか?

「うつ」の人のネガティブな思考や元気のなさ、行動がのろまになったりするのは、それも「うつ」の症状なのです。
その人の人格がもともとそういう性格ではなく、「うつ」のせいでそうなっている。
風邪をひいたら咳が出る、みたいなものです。
足を捻挫したら速く走れない、みたいなものです。

でね、ここからは個人的な意見も入りますが、
足を捻挫しているせいで速く走れない人が、周囲の人から「あいつは走るのが遅い」とバカにされたら辛いでしょう。「いやいや捻挫してるから遅いだけで、本当はもっと走れるんだよ」と主張したくなるでしょう。
「うつ」の人に対しても、「うつ」のせいだよね、本当はそんな人ではないもんね、とわかってくれる人の存在が救いになる気がします。
「うつ」のせいで動作が鈍くなってるのに、「あいつはノロマ」と思われたら辛いはずです。
「うつ」の症状で「死にたい」と思えてくるだけなのに、「命を大切にしろ!」とか説教してもズレてしまう。
多くの人が、腰痛の人には「そんな荷物も持てないのか!」と言わないのに、「うつ」の人には「そんなこともガマンできないのか!」と平気で言ってしまうのです。
「うつ」の予防のために根性を鍛えるのは大事ですが、「うつ」になってる人に「根性出せ」は順番が違う。まず治療、治ったら根性鍛える。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

聞くことだけでも

私にもうつ病で苦しむ友人がいます。
この病への対処は、これと言った特効薬はないと思います。
日常生活やお仕事に支障が生じて、人間関係にも不和が生じて悩みが尽きることはないと思います。
あなたを頼っておられるのは、ただ聞いてもらいたいからではないでしょうか。
今のように、話しを聞いてあげてください。そのうちに、ご本人が気づきを得られるはずです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

桑海様、早速のご回答ありがとうございます!
本人にとって、ややもすればマイナスにならないかと下手なものは言えず、言葉を慎重に選んでしまいます。
ただ聞いてあげることしかできないのが現状です。
ありがとうございます。

丹下様、早速のご回答ありがとうございます!

「うつなんだで嫌がらず、抵抗せず、反発しないことです」
「心は常に変化しているのが諸行無常のことわりです。 引きこもりも一歩外に出ればその実相は引きこもりではありません」
特に以上のお言葉が印象に残りました。
ありがとうございます!
短文で恐縮ですが、 ご回答に心より感謝申し上げます。

願誉様、早速のご回答ありがとうございます!

「風邪をひいたら咳が出る、みたいなものです」「足を捻挫したら速く走れない、みたいなものです」
「うつ」になってる人に「根性出せ」は順番が違う。まず治療、治ったら根性鍛える」などの言葉を参考に、少しだけアドバイスができればと思います。

ありがとうございます!
短文で恐縮ですが、 ご回答に心より感謝申し上げます。

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