持病と付き合って20年強
軽度だったので健常者として生き、結婚し子も授かりました。
しかし、近年、立て続けに症状がでて生活は一変しました
現在、運転ができないことで親の支えで育児しています。
出来ていたことが出来なくなり、自立した生活が出来なくなり苦しいです。
私は今まで両親が持病を問題にしなかったので、普通に生きることができました。
就職、結婚、出産など沢山のことができました。
両親にはとても感謝しています。
しかし、持病が発生してとても後悔しています。
子を産んだ事です。
私の遺伝子を残してしまった事です。
持病は遺伝します。
子も病気を発症して私のように辛い思いをすると思います。申し訳ないです。
夫には相当な苦労をかけています。
結婚前に告知すべきでした。
今まで持病を軽んじていた私がバカでした。
後悔の念でいっぱいです。自己嫌悪です。
私の持病で周囲を苦しめています。
私の持病はまだ偏見ばかりです。
私も子も生き続けていいんでしょうか?
自殺か無理心中か頭から離れません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですか。。。今 病と向き合い、もどかしい状況なのですね。
生きるということは、私の思い通りにはいかないということでもあるんです。
それは、病気に限らずです。理想は誰だってあるけれど、思い通りに手に入れていける人は、どのくらいいるのかしら。手に入れても、もっとと欲張りになってしまうし、手放していくことに苦しむでしょう。病気に限らず、職や 財や 健康や 命。いつか 人は放していかなければなりません。
そのたびに、生きるんじゃなかった、って命を否定していくのかな。
全ては、あなたの存在があるから、繋がった縁なのですよ。
病のことも、ひた隠したわけではないでしょ。夫と出会ったときは、あなたも今より若かったし、あの頃を精一杯に生きていた。そんな あなたに惹かれて、人生を共にと 誓ったのではないでしょうか。
あなたについている付属品に惹かれて結婚したのではないと思いますよ。
お子さんの命も、あなたがいたから です。だから、お子さんは今 この世界を目にしている。例え、あなたと同じ病になったとしたら、お子さんはそれを わが人生として向き合っていかれるのではないでしょうか。
あなたのご両親は、あなたの存在を否定し、あなたが命の母である お孫さんの存在をも、否定しておられますか?あなたのおかげで、出会えた 義息子と、孫ですよ。こんなに嬉しい出会いは無いのではないかしら。
誰かと協力し 支え合いながら生きるのが、人間です。苦労は、決して負担や迷惑になるばかりではありませんよ。大事な想いに気付けるものです。それでも、だからこそ一緒に、生きて行こう。それが家族ではないでしょうか。
あなたが、ここに生きていることは、後悔ではないのです。
あなたの存在で、繋がった家族です。
偏見は、誤った認識や、決めつけ 思い込みにより生まれますね。悲しいことです。でも、あなたを理解し 支えてくれる人もきっといます。
私だって、あなたを応援したい。
自殺ではなく、一緒に生きましょう。
あなたは、大事な子。大事な存在です。
こんばんは。亀山純史と申します。普段は公立高校で働いています。私のお寺の近くには視覚支援学校があります。私が勤務校に通勤する途中、その視覚支援学校のそばを通るのですが、白杖を持って、ひとりで登校している人もいれば、親が付き添って登校している人も見ます。
彼らの中には、生まれつき視覚に障がいを持ってこの世に生を受けた人もいるでしょうし、生まれてから事故や病気で視覚に障がいを持った人もいるでしょう。いずれどんな理由であれ、彼らは毎日同じ時間に、同じ通学路を通って登校しています。私は彼らと直接話をしたことはありません。ですから、彼らがどんな思いを抱きながら登校しているかはわかりませんが、彼らは、目が見える私よりも、「生きる」ということを実践しているように、登校風景から感じ取られるのです。何故なんでしょうか?
私たちは時として、理不尽とも思える出来事に遭遇します。しかし、どのような出来事も、それが自分の人生だと受け止めるところにのみ、人生は切り開かれて行くのです。
ありがとうございます。
生きます。
ずっと後悔と自己否定ばかりでしたが、そんな風に思わなくていいんですね。
生きることについて解釈を間違えていました。
恥ずかしくなりました。
つながったご縁を大事にして感謝して、前を向いて堂々と明るく生きてみようと思います。