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主人の浮気が発覚しました

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主人の浮気が発覚し、どうして良いのかわからない状態です。

昨年新居を建て、それまで暮らしていた実家を出て、夫婦と子供二人の四人での生活が始まりました。
新生活が始まって一月も経たない内に、主人のスマホに届いたLINEの通知が目に入り、気になって中身を見てしまいました。
ある特定の女性とかなり親密な内容のやり取りをしておりました。

結婚して七年、主人は職場で責任ある立場となり、仕事を理由に帰宅が遅くなり、出張や会議で週末に不在の事も増えました。
しかしどんな時も夫を支えられる妻でありたいと思い、子供の入院や私が火傷や事故にあった時も、一人で乗り越えねばと寂しさや不安を押し殺し耐えてきました。

浮気が発覚するまでは、主人の事を信頼しきっていて、自分はなんて幸せなんだと思っていました。
しかしLINEの記録からまさにその耐えていた時に仕事だと偽り女性と会っていた事が判明し、ずっと家族の為にと頑張って来た事が無意味だった様に思えてしまい、何もする気が起きなくなってしまいました。
どちらかというと、主人の方が女性に思いを寄せている様子で、その事実にも打ちのめされました。

主人は私がLINEを見た事には気付いておらず、私が元気が無いのは仕事と家事、育児の疲れが溜まっているせいだと思っています。
子供達は父親が大好きで、私から見ても本当に良い父だと思います。

小さい子供二人を私一人の収入で養っていく自信も無く、今直ぐ離婚は出来ないのなら、耐えるしか無いと決めたのに、情けない事に時々苦しくて仕方なくなり、自分がどうすべきなのかわからなくなってしまいます。
すべてを打ち明けて話した方が良いのか…
それとも、このまま見て見ぬ振りをし続けた方が良いのか…
いつかこんな日々に終わりは来るのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二号さん

かつてニッポンの本妻は強かったのですよ。
愛人を持つ甲斐性がある旦那を認めるかわりに愛人には本妻宅に盆暮れの挨拶をさせたのです。
『いつも旦那様にはお世話になっております』と三指着かせ本妻の許しを得させていたのです。
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あなたは本妻です。浮気相手とは立場が違う。格が違う。力が違うのです。
威風堂々としたまえ。
旦那にも浮気相手にも頭を下げさせることです。
はらわた煮え繰り返る思いでしょうが
そこをこらえ
認めるかわりに浮気相手を自宅に連れてくるよう旦那に言うのです。
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うろたえては行けません。一貫した冷徹な態度が肝要です。

ニッポンの本妻は強い

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

まずは謝る

浮気しているのは主人なのになぜ?と思うかもしれませんが、今後の関係の為にもこれが一番効果的な方法なのです。
浮気をしたのは、もちろんいけませんが、そもそも愛し合って結婚したはずの夫婦の片方が何故浮気をするのか?構ってもらえないからです。求めている愛情を与えてくれないからです。それを与えてくれそうな人を見つけたからでしょう。
よって、お互いの釣った魚に餌やらない状態であったことを詫び合うのです。
浮気といっても関係を持っちゃったのでしょうか?
本気でなければ、浮気レベルなので修復は可能です。
そこで逆切れしようもんならあなたも言うべき事を言えばいいでしょう。
ですが、そうなると離婚コースまっしぐら、泣く人悲しむ人が沢山出てきます。
被害を最小限に食い止める方法は、ご主人が若い子に目を向けてしまうような環境にしてしまったことを、あえて、面白くないでしょうが、詫びてみてください。
そこに正直に向き合えるようであればまだまだ救いがあります。
男性で奥様に浮気されてしまった方もおられます。そちらも参考になさってください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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