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どうしたらいいか分からない…。

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有り難し有り難し 10

こんにちは。
よろしくお願いします。

今までずっと思ってきたこと。
最近、本当に悩んでいるので聞いてください。

例えば、私の家族(一部)は食器を片付けません。なのでたまる一方です。

家族は「ついでだから、一緒に持ってけよ」と言うのです。毎回です。

そんなとき私は「ついでとか関係ない。自分で片付けろ。」と言います。

家族は「ケチくさっ。」と言います。

でも心の中では、『ここでついでなんだから片付けてあげた方が優しさなのかなぁ』といつも思ってしまうのです。

こういうとき、片付けてあげない私は優しさが足りないのですか?

素直に「いいよ」と言える人が優しい人なのですか?

教えてください!!


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

素直な心で

文面からお察しするに、あなたには優しい気持ちをお持ちなのです。ですから、このようにご相談されておられるのではないでしょうか?
後片付けすることに、照れくささに近いものをお持ちではないかと拝察します。小さなことでも、素直にお手伝いしてあげてください。

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ちょっと手伝ってもらえる?

私があなたの立場なら「イイよ。ちょっとこれ手伝って。」と言って洗い物を一緒に始めます。
私は男性で39歳。毎日洗い物をしています。
上の子にも下の子にも一緒に洗い物をゲーム感覚でもいいから手伝ってもらうのです。まずはあなたがみんなが嫌がることを率先してやることです。
お姉さんお兄さんにも時々手伝ってほしい、と頼んでみましょう。妹さんにも手伝わせるのです。
お母さんも喜ぶし、女子力は上がるし、人が嫌がることをスイスイやれるようになるし、兄弟の中の評価も高まりますし、ご先祖様もきっとお喜びになるでしょう。
誰も手伝ってくれなくても、一日一回、二回でいいですから一週間はやってください。
すると、お母さんも一緒になってやってくれます。
そうすると妹たちもヤキモチ焼いて一緒に手伝うかもしれません。
今はすぐやらなくても、お姉さんとして背中で示すのです。
アナタもお姉さんから口酸っぱく言われたらカチンとくると思います。
「手伝ってくれたら助かるんだけど」などと、強制的に言わないようにするのです。
「アタシが洗うから、拭いてしまってくれる?」と分業体制がいいでしょう。
そうすると楽しくできるはずです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

それをすることで成長できると考えて、頑張ってやってみようと思います。

ありがとうございます!!

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