hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

死ぬ日を決めて生きたい

回答数回答 4
有り難し有り難し 58

初めて質問を書きます。
生き死に について。

私は24歳です。
3年前、大変な仕事で精神的にも肉体的にもボロボロになってしまいました。
心療内科の先生からは抑うつ状態との診断を受けました。
その際、カウンセリングの先生から生き死にに関して問われました。

私は、生きるということに対して貪欲でないことに気が付きました。
生きる未来より死ぬ未来の方が安心していました。

ただただ、生きていたんだと思いました。
いままで大きな病気をしたこともないので、死を目の前に感じ、恐怖したことは有りません。

日本は尊厳死、安楽死の法整備は進んではいません。
自殺という方法でしか死ぬ日が決められないのかなと思いました。

私のような考えはおかしいのでしょうか。
私が生きていていいのでしょうか。

御坊様方、どうかお教えください。

2018年7月31日 14:55

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そう思うくらいに戦っておられるのだと思います。

はじめまして。よろしくお願いします。

あなたの「考え」はおかしくなどありません。もちろん「あなた自身」もおかしくなどありません。そしてあなたが生きていくことに誰の許可などもいりません。

座間の事件以降あなたのように安楽死を求める方は特に表面化されたように思います。SNSでもそのような意見はよく目にします。

しかし安楽死が認められているとされている国においても明確かつ厳格な要件が定められており、誰でも希望するならば簡単にというわけけにはいかないものであることは調べると分かります。
例えば本人の「自由意志」によって死を希望していることを判断するために、うつ病などの精神病は安楽死の対象外となっていることはほとんどではないでしょうか。

さて、しかしながらあなたが死ぬ未来に安心し、死を求め、できるならばその日を決めたいと考える事はけしておかしなことではありません。

それはあなたが今本当にしんどくて辛くて、ゴールが決まっていなければとても頑張り切れないという思いのもとで頑張って戦っていらっしゃるからではないでしょうか?

その気持ちはけして否定できるものではありません。

しかしその気持ちもけしてあなたがご自身の完全な「自由意志」で起こしたものではなく、大変な仕事や抑うつ状態など様々なご縁のなかで湧き上がってきた気持ちであることでしょう。

ですからその気持ちは変化し得るものなのです。

もしよろしければここhasunohaで継続的にご質問いただき、お仕事で傷ついてしまったことや、今どのように辛いのかなど、あなたの思いをご相談いただけると私たちとしても幸いです。

私たちの「思い」や「考え」はとても耐えられない現実を前にした時、「死」というものに甘美な響きを見出しますが、私のこの「身体」、この「いのち」はどんなご縁もありのままに引き受けてけして生きる歩みを止めようとはしません。
細胞は分裂し、心臓は脈打ち、呼吸は次の息を吸う、お腹は減るし、消化もする、髪や爪も伸びる、全部生きようとするはたらきです。

あなたの「考え」は否定できません。でもあなたの「考え」だけがあなたではないのです。あなたの全体が本当はどう願っているのか、あなた自身がそこに目覚めてほしいと私は願います。

2018年7月31日 18:58
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

どのような人生も波乱万丈ですから

拝読させて頂きました。

人の生命は自分で決められるものではありません。

その寿命は様々なめぐり合わせの中で与えられていくものです。

人はいつもいつの死に向かって歩んで行っています。

生きる中で生きること死ぬこと、今をどうして生きるのか、生きることとは何なのかを様々なものごとを経験しながら様々な巡り会いの中で自問自答や失敗を繰り返しながら見つけていくのかと思います。

何気ない毎日の中でも自分も周りも常に変化していっています。昨日の自分と今日の自分そして明日の自分は常に移り変わっていっているのです。そして様々なものごとにつながりながら移り変わっていっています。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静 仏教の教えであり、真理です。

もしかしたらその真理を理解し体得する為に生まれてきたのかもしれません。

宜しければあなたにも日々の生活の中でそのようなものごとの在り様や自分自身を見つめて生きて頂きたいと切に願います。

どのような人生もそれぞれに波乱万丈なのです。
普段何気ないかと思ってもあなたの人生も実は波乱万丈なのです。

一期一会大切なご縁の中でお互い助け合いながら存在していますからね。

あなたがこれから様々なめぐり合わせの中で与えられそして他に与えていかれ共に豊かな実り多き毎日を人生をこれから歩んでいかれます様心からお祈りさせて頂きます。

2018年7月31日 15:15
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

仏教を学ぶ楽しみ

仏教を学び、悟りに一歩でも近づくこと。
これが人生の楽しみ・喜びです。
あなたは幸運にも仏教に出会うチャンスを得た。
悩み苦しみの原因を制御したり消したりするテクニックを、学んでいきませんか?

それが生きる意味だと思います。

2018年8月1日 7:33
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

あまり無理し過ぎないように。。

よみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生死」についての意味、理由、価値というものは、「これで正しい」、「これで決定」と言い得るような実体としてあるものではなく、「生死」における色々な因縁(原因と条件)に依るところとなり、また、その「生死」を捉えるそれぞれの自分の心の因縁次第にも依るところとなって参ります。

それらの因縁次第では、善くも捉えられるし、悪くも捉えられるということで、おそらく、今の貴女様の因縁はあまり善いものではないということであるのかもしれません・・

とにかく、あまり無理し過ぎず、頑張り過ぎずに。。

今はどちらかと言えば、元々、意味や価値や理由というものは、ニュートラル的なものと思っておかれるのも。また、善い因縁に依れば、善くにもなるから、善い因縁を集められるように意識ができれば、そのようにして、ぐらいで、あまり悲観的、虚無的に陥らずに。。

川口英俊 合掌

2018年8月1日 21:52
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


質問者からのお礼

私の問いかけに御答えいただき、本当に感謝しております。
ありがとうございます。

お坊さま方の教えをゆっくり自分の心に問いかけながら、読ませていただきました。

一人で生きているのではないのだなと、様々な繋がり、縁を持って生かせてもらってるのだと感じました。

戦わずして生きていくことは難しく、目を背けてはいけないこと、背けられないことがこれからも起こると思います。

ですが、お坊さま方のお言葉、教えを思い出して、休みながら生きていこうと思います。

お教えを下さったお坊さま方、また、このお教えを読んで「有り難し」を押してくださったhasunohaユーザー様。
hasunohaを運営して下さっているスタッフ様、皆様にお礼をお伝えしたいと思います。

本当にありがとうございました。

「生きること・生きるとは」問答一覧

真剣本気になるという感覚がわかりません。

ご相談させて頂きますハルソラと申します。 40才にして物事に対して真剣本気になるという感覚がわからなくなってしまい、どうしたら本気になれるのでしょうか?というご質問です。 本気になりたい対象は…禅の修行、趣味の格闘技、仕事に対してです。 このように書くとよっぽど自堕落で努力出来ない人なんだな~と思われがちですが、日々座禅をして、書籍で古今東西の思想を学び、格闘技の練習をして、仕事はミスなくきっちりこなしています。 しかしながらそれが「本気なのか?」と自分に問うてみると、どーも本気とは言い難いのです。 かつて20代の時に仕事とトレーニングのし過ぎで心身を病んでしまい復調するまでに3年以上を費やした事がありますが、お釈迦様の「中道を究めなさい(丁度よい加減でやる)」の教えを後に知り、ほどよい加減の努力を意識してきました。 しかし近年においては「適当な努力」を継続して、やった気になっているだけで目指すところに全く届かないのです。 本気になってやろうとしても、それをセーブする怠る気持ちが強く働いて、今のままでは到底話しにならない。という感じです。 何をどうしたら本気になれるのでしょう。お坊さま方は本気についてどのようにお考えでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

どう生きればいいのか

お世話になっております。コロナの影響でご相談が相次いでいる中、申し訳ありません。 僕は以前の相談でも書かせていただいたことがあるのですが、外見的な特徴(髪、肌、体型などいかにも不健康な容姿)をしています。おそらくhspでの過剰なストレスが原因です。これは非常に大切なことですが、「治そうと思っても治せません」。性質ですから。これらの理由から人から見下されたり、バカにされたりすることが毎日のようにあります。中2までは全く気になっていませんでした。中3になったある日、大人の女性からいかにも気持ち悪いものを見た時のような顔をされました。おそらく、ストレスによる酷い肌荒れです。それから人の視線を気にするようになり、やはり前述した女性のような顔をする人や目で追われたりしました。(ここでよく言われるのは、「お前が見ているから見返してくるのでは?」という疑問ですが、視線を感じた後で見ているので違います。) いずれ、これらの出来事によって人間不信になりました。大人からは鼻で笑われることもあり、とてもショックでした。大人の本性を見極めてしまったのです。人生を生きていく上では人間関係からは逃れられない。しかし、僕は人間不信です。僕の居場所など何処にあると言うのでしょうか?親さえも信じられない。たまたま縁によって僕という子供の親になったわけですから、愛情を注いでくれるのでしょうが、立場が変わればどうなります?きっと周りの大人達のように僕を見下すことでしょう。 友人も信じられませんし、いつ嫌われるかびくびくしながら毎日を過ごしています。普通は信頼関係を築けるのが本当の友人だと思いますが、人間不信だとそうはいきません。学校で安心して暮らせるために、友人関係を作ってしまっています。 もちろん本当の友人は欲しい。しかし、人間を信じるのがとても怖ろしい。おそらく、傷付きたくないのでしょう。これまで散々傷付けられ、なぜこれ以上傷付けられなければいけないのか...。「どうせまたバカにされる」と諦めムードです。 このような現実を引き受けた後、僕にはなにが出来ますか?どうかアドバイスをお願い致します。 あらかじめ書いておきますが、当然ですが僕の人生はお坊さんの人生とは違います。どうか上記の(hspの身で生まれ、不健康な人間に育ち、人間不信に陥った人生)を想像しながらアドバイスをお願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

働き、生きるということの考え方

元々会社員として働いていました。 その会社は人の悪口は日常茶飯事、ある事ない事噂をして、人が人の足を引っ張るという環境でした。 精神的に打たれ弱いのと、人の目を異常に気にしてしまう性格であったのでそのような環境に耐えきれず、1年前に退職をしました。 その後すぐに転職をしましたが、精神的に参っていた状況でしたので数ヶ月で退職するといった事を数回繰り返す結果になってしまいました。 そのような経歴で特にスキルも無く、年齢的にも若くないのでもう仕事には就けないのではないかと焦りを感じていました。 そして1年前に辞めた会社の良く世話をしてくれた先輩が私の状況を見かねて戻ってこいと言われ、入社試験を受け、合格をいただきました。 合格をもらった時は行くかどうかかなり悩みましたが、勤務開始まで期間が空くので心の休養にもなるし、仕事に就いて生きていかなければという藁にもすがる思いでしたので行くという返事をしました。 しかしながら私が戻るという事に対して非難が続出しているという話を聞きました。また私が辞めた事で迷惑をかけた人達もいるのでその恨みもかっているらしいです。 また妻もその職場で働いているので非難の対象となるかもしれないという話もされました。 良くしてくれた仲間がいる事は事実であり、戻ってきてほしいと言ってくれた人は1人や2人ではありません。非常にありがたいのですが、元いた会社に出戻るという判断が正しかったのか自問自答を繰り返し、夜も眠れず、何もやる気が出ない日々が続いております。 このまま消えてしまいたい、自分が居なくなれば良いのかとも常々考えてしまいます。 心療内科に通院して心の休まる薬を処方してもらいましたがそれでも不安が勝ってしまいます。 この様な状況になってしまった私にどうかご助言をいただけないでしょうか? 長文になり申し訳ございません。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

働く、生きる姿勢について教えてください

先日、自他に厳しすぎると言われることについて相談させていただいた者です。 あれから、自分の振る舞いに気をつけようと意識しています。(冬休みで実践の機会がまだありませんが) その内容と少し関わることについて、ご相談させてください。 私はかつて、仕事を時給で計算し、給料分の仕事しかしないと、手を抜いて働いていた時期がありました。 そういう働き方が嫌になり、今の仕事をメインにしてから、小さくても自分に回ってきた仕事は断らず、丁寧にやるようにしてきました。 その頃に仏教の教えに出会って、今はこれを人生の指針にしていこうと思っています。 中には、名前が大きく出ない仕事は手を抜いたり他人に押し付けたりして、華やかに名を売り、出世している人もいます。 でも私の幸せはそういうことにはないんだと、たとえ出世しても中身が伴わなければ自分は納得できないんだと思って、気にしないようにしてきました。 幸い私の仕事ぶりが少しずつ評価していただけるようになり、同業者で最も活躍し、ずっと敬愛してきた方と、親しくお付き合いさせていただくようになりました。 その方からも、仕事ぶりが誠実で丁寧だと、とても褒めていただけています。 でも同時に、もっと手を抜いて良い、仕事を断らない人には仕事を回しづらいとも言われ、よく知るうちにその方もずるい面があると分かり、私のためを思って忠告してくれているのかも知れないのですが、どうすべきかわからなくなりました。 今でも多くの面で尊敬していますし、その方に評価していただけるのが嬉しくて、今日まで頑張ってきました。 でも、これは自燈明ということに反するのでは、とも思うようになりました。 今でも、上手に立ち回って良いポジションを手に入れている人を見ると、不器用で、世間では負け組と言われる境遇の自分と比べてしまい、心が揺らぐことがあります。 その度に禅の言葉を読んで気持ちを沈めています。 私がただ迷っているだけでしょうか。 もしそうなら、喝を入れていただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

色々考えてしまいます…

 約2年前に海外から帰国しました。ただ、その帰国は自分の望んだ物ではありませんでした。学生でしたが、パートで保育の仕事をしていました。卒業後も、卒業ビザと言う物でフルタイムで働きました。6年間そこで働き生き甲斐も感じていました。園長先生からも「ずっと働いて欲しい。」と言われました。しかし、卒業ビザが切れたのち、ビザの更新をしようとしましたが、その職種では就労ビザが出ないと言う事で、泣く泣く帰国しました。帰国後も「戻れるならもう一度行きたい。」と何度思った事でしょう。  1ヶ月前、気になったヨガのコースが以前いた都市で来年から始まると言う事を見つけ、その時は凄く嬉しく思いました。ただ、その後嬉しさが落ち着いた頃、色々な考えや質問が次々と浮かびました。 人生とは? 人生の目的とは? どうやったら、人生が楽しく、ハッピーになるの? 何を本当にしたいの? 私のいるべき所どこ? 等など、次々と出てきます。  帰国後、家族と過ごし2年が経ち、どこかで気持ちが落ち着いてしまったかもしれません。 また行くと2年は会えなくなって、一緒に出掛ける事も出来なくなり、次回帰国した時にそれが出来るのか、両親の年齢を考えると、出来る間にした方がいいのかと考えたり、祖母ももうすぐ100歳、後何回会えるのかと考えたり…その一方で、今行かなければ、自分のやりたい事がどんどん遅れてしまいます。 行く事で、ポジティブな事もあります。向こうでやっていた事がまたやれたり、やりたいと思っている事ができます。  ただ、コースに2年参加する事が真の目的かと言うと、何か違う気もします。今までやってきた事を取り戻したり、新しくやりたい事の為に参加するのかもと言う事が気持ちのどこかにある気がします。  今までの海外での生活が充実していて、その反動がきています。 今はロボットの様に、仕事と家の行き来し、1日1日が過ぎて行く日々…  自分への質問が次々と湧く中、答えも出る事なく悶々としています。 答えを出すのは最終的には自分だと解っています。 しかし、そこに到達する前に、質問の沼にはまっています。 どの様にしたらこの沼から抜け出せるのでしょう…  何か良いお話が聞けたらと思い、長々と書き込みしてしまいました。 よろしくお願いします…

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

一度失敗したら人生終わりなのですか?

最近、テレビで謝罪会見を見かける度に、「一度失敗したら終わりなのか」と考えてしまいます。 例えば最近の芸能界では、スーパー銭湯のアイドルの謝罪会見、芸人の闇営業、所得隠し・申告漏れなどでしょうか。 たった一度の過ちで引退や活動停止に追い込まれるのを見ると、人生は一度でも失敗したら終わりなのかなぁ、と思ってしまいます。 ついには、教師の激辛カレーいじめですら、なぜか加害者に対して「これで人生終わってしまったらかわいそう」とさえ思ってしまう自分がいます。 先の質問にもありますが、自分自身も、たった一度の失敗で信頼を失ったり、降格させられたり、ドン底に落とされした経験が何度もあります。 一度内定が出た企業を辞退したあと、やっぱり就職したいと、何度懇願しても叶わなかった経験もあります。 その度に、「もう少し寛大な心を持ってくれても良いじゃないか」と思ってしまいます。 しかし、現実は残酷で、一度失敗したら終わりなんでしょう。それが現実なのでしょう。 もちろん、被害者の気持ちやトラウマもありますし…。 そんな「一度失敗したら終わり」と世の中で、失敗しないようにするには、どうすれば良いのでしょう? アドバイスがあれば、お願いいたします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る