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死ぬ日を決めて生きたい

回答数回答 4
有り難し有り難し 71

初めて質問を書きます。
生き死に について。

私は24歳です。
3年前、大変な仕事で精神的にも肉体的にもボロボロになってしまいました。
心療内科の先生からは抑うつ状態との診断を受けました。
その際、カウンセリングの先生から生き死にに関して問われました。

私は、生きるということに対して貪欲でないことに気が付きました。
生きる未来より死ぬ未来の方が安心していました。

ただただ、生きていたんだと思いました。
いままで大きな病気をしたこともないので、死を目の前に感じ、恐怖したことは有りません。

日本は尊厳死、安楽死の法整備は進んではいません。
自殺という方法でしか死ぬ日が決められないのかなと思いました。

私のような考えはおかしいのでしょうか。
私が生きていていいのでしょうか。

御坊様方、どうかお教えください。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そう思うくらいに戦っておられるのだと思います。

はじめまして。よろしくお願いします。

あなたの「考え」はおかしくなどありません。もちろん「あなた自身」もおかしくなどありません。そしてあなたが生きていくことに誰の許可などもいりません。

座間の事件以降あなたのように安楽死を求める方は特に表面化されたように思います。SNSでもそのような意見はよく目にします。

しかし安楽死が認められているとされている国においても明確かつ厳格な要件が定められており、誰でも希望するならば簡単にというわけけにはいかないものであることは調べると分かります。
例えば本人の「自由意志」によって死を希望していることを判断するために、うつ病などの精神病は安楽死の対象外となっていることはほとんどではないでしょうか。

さて、しかしながらあなたが死ぬ未来に安心し、死を求め、できるならばその日を決めたいと考える事はけしておかしなことではありません。

それはあなたが今本当にしんどくて辛くて、ゴールが決まっていなければとても頑張り切れないという思いのもとで頑張って戦っていらっしゃるからではないでしょうか?

その気持ちはけして否定できるものではありません。

しかしその気持ちもけしてあなたがご自身の完全な「自由意志」で起こしたものではなく、大変な仕事や抑うつ状態など様々なご縁のなかで湧き上がってきた気持ちであることでしょう。

ですからその気持ちは変化し得るものなのです。

もしよろしければここhasunohaで継続的にご質問いただき、お仕事で傷ついてしまったことや、今どのように辛いのかなど、あなたの思いをご相談いただけると私たちとしても幸いです。

私たちの「思い」や「考え」はとても耐えられない現実を前にした時、「死」というものに甘美な響きを見出しますが、私のこの「身体」、この「いのち」はどんなご縁もありのままに引き受けてけして生きる歩みを止めようとはしません。
細胞は分裂し、心臓は脈打ち、呼吸は次の息を吸う、お腹は減るし、消化もする、髪や爪も伸びる、全部生きようとするはたらきです。

あなたの「考え」は否定できません。でもあなたの「考え」だけがあなたではないのです。あなたの全体が本当はどう願っているのか、あなた自身がそこに目覚めてほしいと私は願います。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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どのような人生も波乱万丈ですから

拝読させて頂きました。

人の生命は自分で決められるものではありません。

その寿命は様々なめぐり合わせの中で与えられていくものです。

人はいつもいつの死に向かって歩んで行っています。

生きる中で生きること死ぬこと、今をどうして生きるのか、生きることとは何なのかを様々なものごとを経験しながら様々な巡り会いの中で自問自答や失敗を繰り返しながら見つけていくのかと思います。

何気ない毎日の中でも自分も周りも常に変化していっています。昨日の自分と今日の自分そして明日の自分は常に移り変わっていっているのです。そして様々なものごとにつながりながら移り変わっていっています。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静 仏教の教えであり、真理です。

もしかしたらその真理を理解し体得する為に生まれてきたのかもしれません。

宜しければあなたにも日々の生活の中でそのようなものごとの在り様や自分自身を見つめて生きて頂きたいと切に願います。

どのような人生もそれぞれに波乱万丈なのです。
普段何気ないかと思ってもあなたの人生も実は波乱万丈なのです。

一期一会大切なご縁の中でお互い助け合いながら存在していますからね。

あなたがこれから様々なめぐり合わせの中で与えられそして他に与えていかれ共に豊かな実り多き毎日を人生をこれから歩んでいかれます様心からお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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仏教を学ぶ楽しみ

仏教を学び、悟りに一歩でも近づくこと。
これが人生の楽しみ・喜びです。
あなたは幸運にも仏教に出会うチャンスを得た。
悩み苦しみの原因を制御したり消したりするテクニックを、学んでいきませんか?

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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あまり無理し過ぎないように。。

よみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生死」についての意味、理由、価値というものは、「これで正しい」、「これで決定」と言い得るような実体としてあるものではなく、「生死」における色々な因縁(原因と条件)に依るところとなり、また、その「生死」を捉えるそれぞれの自分の心の因縁次第にも依るところとなって参ります。

それらの因縁次第では、善くも捉えられるし、悪くも捉えられるということで、おそらく、今の貴女様の因縁はあまり善いものではないということであるのかもしれません・・

とにかく、あまり無理し過ぎず、頑張り過ぎずに。。

今はどちらかと言えば、元々、意味や価値や理由というものは、ニュートラル的なものと思っておかれるのも。また、善い因縁に依れば、善くにもなるから、善い因縁を集められるように意識ができれば、そのようにして、ぐらいで、あまり悲観的、虚無的に陥らずに。。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

私の問いかけに御答えいただき、本当に感謝しております。
ありがとうございます。

お坊さま方の教えをゆっくり自分の心に問いかけながら、読ませていただきました。

一人で生きているのではないのだなと、様々な繋がり、縁を持って生かせてもらってるのだと感じました。

戦わずして生きていくことは難しく、目を背けてはいけないこと、背けられないことがこれからも起こると思います。

ですが、お坊さま方のお言葉、教えを思い出して、休みながら生きていこうと思います。

お教えを下さったお坊さま方、また、このお教えを読んで「有り難し」を押してくださったhasunohaユーザー様。
hasunohaを運営して下さっているスタッフ様、皆様にお礼をお伝えしたいと思います。

本当にありがとうございました。

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