怒りとは
いつもお世話になっております。
ここのところ私は怒りっぽい自分に悩んでいます。
小さなことでイライラしたり、他人を必要以上に憎んだりしてしまうのです。
なので最近は怒りとは何か、どこからそのような感情がやってくるのかと考えるようになりました。
そこで質問なのですが、仏教において怒りとは何なのでしょうか。
また僧侶の方々は怒りという感情に対してどのように接し、また対処なさっているのでしょうか。
変な質問になってしまいましたが、どうかご回答の程よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りは小説
①連日30℃超え
②身体が暑さを感じる
③あっついなあぁぁぁと知覚する
④これも温暖化のせいであり、人類の自業自得であると思う
⑤義憤に燃える
⑥世界を救うべく何か行動を起こさねばと思う
⑦後世の子孫に詫びねばと思う
⑧電気の使用量を減らすべくクーラーを止める
⑨何かちょっと貢献した気がする
仏教的に言えば、④以降全部、妄想です。妄想と書いてモウゾウ。頭の中で展開していくストーリー。めくるめく俺ストーリー。たとえファンタジーやSLでなかろうと、ドキュメンタリーや歴史大河であろうとも、頭の中で創り造られる物語。悲劇や喜劇、淡々論説や厨二理論、各種取り揃えられたラインナップの1つが怒りです。
どんなに暑かろうが暑さがワタシを怒らせているのではありません。どんなに人類のせいであろうとうも人類があなたを煽っているわけではありません。あくまでワタシがワタシの頭の中で怒っているんです。③から④とか⑤とかに展開していくから怒るんです。
だから③のまま止めて生きる。そうすれば怒りが生じるフラグが立っても回収されないんです。うっかり回収しちゃっても、頭の中で際限なく追いかけ回してループするということがない。
そんな生き方を坐禅と言います。
怒りはいろんなことが種となって生まれますが、よくあるのは、自分の思い通りにならないことに対して怒りを生みやすいですね。
ですから、全ての物事はもともと自分の思い通りにならないもの、思い通りになったらそれは運が良かった、そう思ってみてはどうでしょうか。
お釈迦様は怒りは毒だと言われました。
毒は他人だけでなく自らも苦しめるのです。
ただ時として怒ることも必要な時があります。例えば相手の為を思って怒るとか。
その場合も、怒った後のフォローを忘れずにしましょうね。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
大慈様
ありがとうございます。
そうですよね。振り返ってみれば本当にその通りで、たった一つの出来事に余計なものを継ぎ足して勝手に怒り狂っているだけでした…。
愚かな自分にとって③で止めることはとても難しいことですが、毒箭を抜かずして空く来處を問うという言葉があるように怒っている暇があったら、もっと有意義なことに活用できる人間になりたいと思います。
三宅様
私は人の為を思って怒っているつもりが、気付かないうちに自分の憂さ晴らしの為に人を傷つけてしまったことがありました。
自分にとって一生の恥だと思っています。二度と同じ過ちを犯さない為にも弱い自分、怒りと向きあって生きていきたいと思います。
ありがとうございました。