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怒りとは

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有り難し有り難し 41

いつもお世話になっております。

ここのところ私は怒りっぽい自分に悩んでいます。
小さなことでイライラしたり、他人を必要以上に憎んだりしてしまうのです。

なので最近は怒りとは何か、どこからそのような感情がやってくるのかと考えるようになりました。

そこで質問なのですが、仏教において怒りとは何なのでしょうか。
また僧侶の方々は怒りという感情に対してどのように接し、また対処なさっているのでしょうか。

変な質問になってしまいましたが、どうかご回答の程よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

怒りは小説

①連日30℃超え
②身体が暑さを感じる
③あっついなあぁぁぁと知覚する
④これも温暖化のせいであり、人類の自業自得であると思う
⑤義憤に燃える
⑥世界を救うべく何か行動を起こさねばと思う
⑦後世の子孫に詫びねばと思う
⑧電気の使用量を減らすべくクーラーを止める
⑨何かちょっと貢献した気がする

仏教的に言えば、④以降全部、妄想です。妄想と書いてモウゾウ。頭の中で展開していくストーリー。めくるめく俺ストーリー。たとえファンタジーやSLでなかろうと、ドキュメンタリーや歴史大河であろうとも、頭の中で創り造られる物語。悲劇や喜劇、淡々論説や厨二理論、各種取り揃えられたラインナップの1つが怒りです。

どんなに暑かろうが暑さがワタシを怒らせているのではありません。どんなに人類のせいであろうとうも人類があなたを煽っているわけではありません。あくまでワタシがワタシの頭の中で怒っているんです。③から④とか⑤とかに展開していくから怒るんです。

だから③のまま止めて生きる。そうすれば怒りが生じるフラグが立っても回収されないんです。うっかり回収しちゃっても、頭の中で際限なく追いかけ回してループするということがない。

そんな生き方を坐禅と言います。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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怒りはいろんなことが種となって生まれますが、よくあるのは、自分の思い通りにならないことに対して怒りを生みやすいですね。
ですから、全ての物事はもともと自分の思い通りにならないもの、思い通りになったらそれは運が良かった、そう思ってみてはどうでしょうか。
お釈迦様は怒りは毒だと言われました。
毒は他人だけでなく自らも苦しめるのです。
ただ時として怒ることも必要な時があります。例えば相手の為を思って怒るとか。
その場合も、怒った後のフォローを忘れずにしましょうね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。

大慈様
ありがとうございます。
そうですよね。振り返ってみれば本当にその通りで、たった一つの出来事に余計なものを継ぎ足して勝手に怒り狂っているだけでした…。
愚かな自分にとって③で止めることはとても難しいことですが、毒箭を抜かずして空く来處を問うという言葉があるように怒っている暇があったら、もっと有意義なことに活用できる人間になりたいと思います。

三宅様
私は人の為を思って怒っているつもりが、気付かないうちに自分の憂さ晴らしの為に人を傷つけてしまったことがありました。
自分にとって一生の恥だと思っています。二度と同じ過ちを犯さない為にも弱い自分、怒りと向きあって生きていきたいと思います。
ありがとうございました。

「怒りがとまらない・抑えたい」問答一覧

怒りをメモ等に書くことに関して

すごく怒りが強くなって心や頭の中を悪口雑言が渦巻くときがあります。自分より上の立場への不満も対等・弱い立場への不満もあります。ほとんど害意になることもあります。 それに耐えられなくなって、発散になるかと思い、チラシの裏紙やスマホのネット公開しないメモ帳などに悪口雑言を書きなぐっていました。 人が見たらそんなこと言っちゃだめと言うような内容もあったと思います。 身口意を整えることが、苦しみから離れる道で、悪口雑言を表立って言わなくてもそれは悪いことなのだと思います。 しかし、耐えられなくて、書いてしまいます。 少し問題が複合的になりますが、病気による妄想なのか事実なのかわかりませんが、私が盗撮をされているため、その書いた内容が不特定多数に漏らされていて、それを見た人達が私に怒っているのだという考えに苛まれ、また、人に見られない(はずの)ところにも嫌なことを書いたらいけないのだろうかという自己保身的怒りが湧くようになりました。 最近、通行人からなぜかよいしょだ、そっちかだ等と言われるのですが、通行人は私のことを知ってて私をからかっているのではないかという怒りがほとんどいつもあります。 悪口を見られ非難されたという他人への負い目が強まるにつれて、チラシの裏の悪口を、盗撮までして暴き立てる方がおかしいのではという怒りが強まります。同時に私が悪い人間だから盗撮されるのに違いないという混乱した自責感もあります。 それでも、自分でも書くのは悪いと思い、周りからも非難されているように思い、また、人が見ていると思うなら人が見たら嫌な気分になることは書いたらいけないのではと思い、しかし、見るほうが悪いし、本来誰も見るはずのない紙やメモに吐き出すのは許されるのではと正当化しながら、相変わらず書いてしまいます。 元々あった怒り、盗撮へのやり場のない怒り、他者への引け目、悪口を書くことの正当化でずっと混乱しています。 拙い文章で申し訳ありません。 今後の指針に何かお言葉を頂戴できればありがたく思います。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

怒りを我慢できなくなってしまった。

怒りを我慢できません。 ちょっとでも嫌なことが起こるとキチガイのような癇癪を起こし、やられたら例え誰であろうとやり返さずにはいられません。 まるで無敵の人のようになってしまいます。 原因は分かっています。 原因は「やっと自由に生きられるんだという希望がへし折られたこと」です。 私は物心ついたときからヤングケアラーとして持病持ちの母をケアしてきました。 それは35歳まで続きました。 情緒不安定な母のケアは大変で、学生時代は友人はつくれず勉強も満足にできませんでした。 そして社会に出ると待ってましたと言わんばかりに母は倒れ寝たきりになってしまったので仕事のスキルアップはできず、恋愛も結婚もできませんでした。 普通の人が当たり前のように享受しているものを何一つ得られなかった35年でした。 それでも踏みとどまれたのは、永遠に続くわけじゃない。いつか終わりが来る。それから自分の人生を生きればいいじゃないかという気持ちがあったからです。 ですが、母を看取った後、今度は自分が病気になってしまいました。 SLEという難病です。 この病気は全身のさまざまな場所、臓器に、多彩な炎症を引き起こします。 精神・身体ともに無理をすると悪化してしまうので、普通の人のようにもう働くことはできません。 やっと自由に生きられると思ったのに。 我慢し続けてきた結果がこれかと思ったら、もう何に対しても我慢できなくなってしまったのです。 このままではいけないと分かっているのですが、どうすればいいのか分かりません。 どうぞご教授いただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ