ひとり
「自分以外は他人」
頭の中でグルグルしています。
仏教からだったのか、やけに納得しています。
生まれるのもひとり。
生き抜く間もひとり。
死ぬのもひとり。
きっと、いつか自分さえ他人になります。
そしたら、ひとりでもなくなります。
その時がきたら幸せなはずです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ひとり
自分で考えているようで、案外に自分が考えているわけじゃない。
自分で生きているようで、案外に自分が生きているわけじゃない。
自分で見ているようで、目が勝手に見ている。
自分で聞いているようで、耳が勝手に聞いている。
自分で嗅いでいるようで、鼻が勝手に嗅いでいる。
自分で味わっているようで、舌が勝手に味わっている。
自分で感じているようで、皮膚が勝手に感じている。
自分で思っているようで、脳が勝手に思っている。
そんなみんなが一緒になって、ひとりになって生きている。
みんなだけどひとり。ひとりだけどみんな。
他人だけど自分。自分だけど他人。
人体の不思議展。
一人でありつつ一人でない
この体を中心に考えると自分と他人となるのでしょう。でも実際あなたの体を使って行われる活動は、すべてあなたの体なくして行われません。外国で行われているオリンピックの映像も他人事ではなく、あなたの体通してあなたの活動としてみることができる。
かわいい犬を見ればあなたの体の活動としてあなたと一体となって存在し、感触もあるし、声も聞こえる。
一人でありながら環境と一如になっている証拠です。
死ななくても解脱できます。悟れます。だって生まれながら人は一人でありながら、何でも自分の活動として使える素晴らしい力があるのですから。他人とかいちいち考えなくても自他を考えず問題なく話したり遊んだりする力があるのです。小さい子は自他がないでしょ。だから無邪気で楽しい。
みんなそうだったのです。実は今も体はそうなっているのです。
そこに目を向けていたら、さみしくないと思いますよ。一人でありながら、一人でない。何もかも自分と一体となっている温かな存在なんです。
自分も人も
拝読させて頂きました。
大切な方々を思うとき、かけがえのない方々を思うとき、亡くなられた沢山の方々を思うとき、やはりひとりではないと感じます。
あなたもわたし達とつながっていますし、多くの方々とのつながりを持っていらっしゃいます。
様々な災害が起こるたびに様々な争いや戦争が起こるたびにあまたの多くの方々が同時に亡くなっていきます。
そのようなとき、どうか亡くなられた方々が必ず仏様に共に正しく導かれて頂きたいと切に願います。
良きにつけ悪しきにつけわたし達は様々なつながりを持ちながら今までも今もこれからもあり続けていくのかと思います。
質問者からのお礼
邦元 様
自分の目や耳や鼻や肌などから感じとれたモノが入ってくるのですね。
ひとりでありながら五感で感じていて、それはつまり繋がっています。
ひとりでありながら、ひとりではありません。
邦元さんの声を文字として見て、1日考えていました。
繋がりでした。
大慈 様
人体の不思議展は、目、耳、鼻、舌、肌、脳による夢の共演かもしれません。
それぞれが勝手に感じているのに、それぞれで感じたものを脳で1つにしています。
自分の体の中では仲良く共同作業ができているのに、人間同士は何故、共同作業を仲良くできないのか摩訶不思議です。
Kousyo Kuuyo Azma 様
お盆ですし、亡くなった方の事を思い出します。
多かれ少なかれ影響を受けつつ、今があります。そのような中で、その人その人が必ず抱いていた大切な想いもあったように感じます。
生きている者が受け継ぎ、亡くなっても何年も何百年も生き続けるのかもしれません。