怒るべきこと怒るべきではないこと
私は最近よく怒ることが多いです。
つまらないことで怒りすぎているのではないかと不安になっています。
最近法律の本を読んでいたのですがその本には、犯罪者が多い時は刑に服す人が多くても多くない。反対に犯罪者が少ない時はいくら刑に服す人間が少なくても少なくない。
犯罪者の数が少ないのに多く刑がある時を多いと言い、その逆を少ないと言うと書いてありました。
ようするにそれが適切かどうかが重要だという内容でした。
これは怒ることと同じではないかと思ったのですが、考えても怒るべきことと怒るべきではないことが区別がつきません。
今までは感情の赴くままに怒っていましたが、これでは良い友や恋人や人間とは言えないと思います。
そこで怒るべきことと怒るべきでないことの区別を教えていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ほう、なるほど、
ほうほうほう、なるほどなるほど、面白い発想ですね。このようなお話は好きです(笑)私は仏教の話しかできないので仏教の視点から回答します。
さぁ、グーグルマップを開いてください。航空写真はオフにしておきましょうか。まず、グングン拡大して下さい。家が一軒一軒表示され、時には「おい、こんな敷地内の通路や防火用のため池まで表示されるのかよ」ということもあります。これは「1つ1つが独立している」状態です。
次にグングン縮小してみましょう。一軒一軒の家は消え、細かい道も消え、〇〇町や〇〇市の次元になり、やがて国名や海の名前だけになります。グーグルマップではこれが限界ですが、脳内でさらに縮小すれば地球そのものになり、太陽系になり、銀河系になり、宇宙そのものになることでしょう。これは「すべてが1つにまとまっている」状態です。
ハイ、これが人間の正体です。
どっちだよって?両方です。「1つ1つが独立している」のが「色」であり、「すべてが1つにまとまっている」のが「空」です。そしてその視点にとらわれないで、拡大も縮小も自由自在な心が「色即是空・空即是色」です。
胃は胃、白血球は白血球でそれぞれ独立して働いていますが、みんなまとめて俺という1つの人間です。同じように、1人1人の人間は独立しているようで、本当は1つの世界。だから他人に怒りを向けるということは、本当は自分の胃や白血球に怒りを向けるのと同じだけ意味がないことなのです。あなたは私の生命で、hasunohaは私の生命で、この世に私の生命で無いものなどありません。
まぁ、言うは易しです。私だって自分のメジャーリーグ級にクソッタレな花粉症の鼻野郎にファッ〇ン腹が立って仕方がありません。でも、それは嫌うという行為を通して、自分の苦を増幅させているに過ぎません。
面白いでしょう?お釈迦さまの考え方って。
ー追記ー
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いかなる場合も怒らないほうがいい
お釈迦様は、たとえノコギリで自分の身体を切られたとしても怒るな、と言われました。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因なので、怒らないほうがよいのです。
また、怒らないようにしようと思ってても怒ってしまうのが人間ですから、いかなる場合でも怒らないようにするぐらいでちょうどよいのでしょう。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ご返事ありがとうございます。
なぜノコギリで切られても怒ってはいけないのでしょうか?怒って反撃しないと死んでしまうと思うのですが...この場合は怒りが苦しみを取り除くと思うのですが...
なぜいかなる時も怒ってはならないのでしょうか?深い理由があるのならそこも教えていただけたら嬉しかったです。
大慈様
ご返事ありがとうございます。
そう考えると少し怒りが収まります。大したことではないなと思えてきます。
しかし理不尽に尊厳を踏みにじられたり、不当なことをしている政府に怒る。
こういったことでも怒るべきではないのでしょうか?
大慈様
了解しました。