いのちのながさ
1ヶ月に母を癌で亡くしました。
父も20年前に癌で亡くなっています。
心の中は寂しさと哀しみでいっぱいで、胸をグッとつかまれている様な感覚でとても苦しいです。
両親ともに、まだ年齢が若かったので、もっともっと長生きして欲しかった。一緒に居たかったと言う思いがあります。
母が亡くなった時に、知り合いの方に『お母さんの仏様から頂いた命はここまでだったんだよ。』と言われました。
母が自分の余命を聞かされた時、こう言っていました。この世に生まれたからには、一度は死なないといけない。必ず一度は別れが来る。そして、生まれた時から、その人の『いのちのながさ』は決まっているんじゃないのかなぁと…。
世の中には、色々な人がいて健康に気を付けて生活していても病気で亡くなる人もいれば、不摂生をしていても長生きする人もいる。
そう思うと『仏様から頂いた命のながさ』『その人のいのちのながさ』と言うのは決まっているのかなぁと思い、頭の中では納得しようと思っても、やっぱり心はついていけず、父が亡くなった事も、母が亡くなった事も、まだまだ若かったのに『何で死んでしまったの』と思ってしまうのです。
両親の死を受け入れ、哀しみを乗り越えるには一体どうしたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏さまから見れば、いのちに長短はなし。
こんばんは。亀山純史と申します。
うさぎさんからのご相談を受けて、「人生100年時代」という最近流行のキャッチフレーズが頭をよぎりました。若くして亡くなった親族、友人等がいる人にとっては、とても辛いフレーズです。
さて、私たちの命は仏さまからいただいた命です。自分の命は自分のもの、とみんな思ってはいますが、この自分の命は自分の所有物ではないのです。もしも自分の所有物ならば、自分の思い通りにすることが出来るはずです。しかし、命というものは、ある日突然、この世から消えてしまう可能性を秘めたものなのです。ですから、私たちは、自分たちの命を、私の命、あなたの命、と分けて考えますが、そのどの命も全て、仏さまからいただいたもの、として生きていきたいと思っています。そして、仏さまからすれば、その命に長い短いはないのです。私たちの目からみれば、この世での命の長短にこだわってしまいますが、仏さまの目からみれば、この世とあの世では、形や在り方は変わっても、命はこの世だけの命ではないのです。
最後に、親しい身近な人の死から来る悲しみを乗り越える術は、亡き人の死を無駄にしないことです。死を無駄にしないとは、「人生100年時代」と言われても、私たちの命は常に死と共にあることを、故人から教わることです。悲しみから出る涙は、時間が解決してくれるかもしれません。しかし、悲しみそのものは、消えてなくなることはないでしょう。悲しみを背負ったこの私は、悲しみだけでなく、命は常に死と共にあることを経験した者として、これからの人生を生きてほしいと思っています。
以上、私からの回答です。哀しみを乗り越えていくための一助になれば幸いです。
無常ということ
読まさせていただきました。
寿命は環境要因が75パーセント、遺伝要因が25パーセントということまで科学的に、
わかってきています。生まれながらにして寿命が100パーセント決っていると
いうことはないのです。
母親の言葉に仏教の無常観を強く感じました。人はいつかは死ぬし、必ず別れが来るという
のは、生者必滅 会者定離(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)と言い、仏教の無常観の
受け取りとして素晴らしいものです。
私も大の親友をがんで亡くしましたから、悲しいですが、それを乗り越えるには、一生懸命に
生きることしかないなと思っています。
ご縁
うさぎ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご両親様とのお早いお別れ・・誠におつらいことでございます・・
「いのちのながさ」は、仏さまがお決めになっておられるわけではありません。
全ては因縁(原因と条件)次第、ご縁次第となって参ります。
もちろん、この世における出逢いと別れも因縁次第・・
しかし、何もご縁は今世だけでのみのものとは限らないもの。
ご縁次第では、来世、来来世にもご縁があるものとなりますでしょう。
来世、来来世以降にも、いや、既にこの世界、この星にもう再び生まれ変わっていらっしゃられるのであれば、今世でもまだご縁があり得るかもしれません。
ご縁の結びつきが続いて参りますように、またご縁があり、逢えることができますように、確かなるご仏縁も頂いて下さいまして、ご供養をなさられて頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌