持病と夢
はじめまして。以前から拝見させていただいております。
私は昔から遠出や外食、緊張する場面にことごとく弱く、それでもなんとか高校も卒業し、進路は諦めましたが地元で就職しました。
ただ社会人になり、出張が怖いことや外食が苦手であることは仇となり苦しみました。
趣味であるライブにいくことも、行けばなんとかなるのですがその前の予期不安がとても酷いのです。
せめてものやりたいことと思い、アパレルをしましたが、プレッシャーからか不安が悪化してしまい、5月一杯で退職しました。
心療内科にいき、薬をもらい不安障害(パニック障害、社会不安障害)であることはわかったのですが、病院に行ったからといって治る訳ではないのだろうと思いました。
休養していますが辞めたことを責めたり、これからの人生をどうしても悲観してしまいます。
私はずっと東京に住みたいと思いつづけてきました。東京に行って本当は演技の仕事やモデルのお仕事をしてみたかったのです。
ただ不安感からタイミングが掴めず勇気がでないまま体も更に壊してしまいました。
持病にはそぐわない夢であることも承知です。
ただ、色んなことをまだ諦めたくないのです。
せめて上京だけでも一度してみたい。
年齢も22歳になるので焦っています。
面接も怖くて友達との外出も怖い状態ですが、どうせ治らないのであればいつ行ってもおなじなのではないか、行ったらなんとかなるのではないか、今行ってしまおうかとひたすら悩んでいます。
ただ自分で自分のことを養っていける自信はつきません。
東京に住みたい気持ちが強く地元での仕事探しにもなかなか踏み切れません。
行けるのではないかという気持ちと、無茶なのではという気持ちがせめぎあっています。
こればかりは自分にしかわからないのは承知ですが、お坊さんの考えをお聞かせ願いたいです。
やりたいことをやれる人生にしたい 色んな夢を諦めたくない 機能不全家族育ちのせいか幼少期から不安感に悩まされ、不安障害持ちです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不安は当然
ご相談拝読しました。不安障害をお持ちなのですね。それでもやりたいことや状況をあきらめたくはないのですね。
あきらめる必要など全くないと思いますよ。しかし同時に、遠くを見過ぎることなく現実の目の前の事に視野を向け、一歩一歩積み重ねることがまずは大事だとも思います。
不安障害について私は専門的知識はありませんが、おっしゃる通り投薬治療のみで治るものではないのだと思います。上手く付き合いながら成功体験を重ねることで症状が改善してくることもあるのかもしれません。
不安は人間らしい当然の反応です。けして不安がよくないものということではありません。人間には未来はわかりません。そしてわからないことに不安を感じるのが人間です。ですから誰でも不安を感じるものです。
しかし、不安障害をお持ちの場合はその不安について色々と考える事をどれも完璧にこなしたいと考えてしまう。時にはそれが不安から恐怖に変わることも。そして描いたプラン通りできなかった場合は受け入れられず激しく落ち込んでしまう。そういう面があるのではないでしょうか。
ですから不安を否定しない事、そして取り組んだ結果がどんなものでも認める事、それが大事だと思います。
まずは現実的に上京資金を貯めるために地元で就職し、継続することが目標ではないでしょうか。その結果がたとえ上京にまで至らなかったとしても無駄な事は何一つないのです。
私たちは「〇〇したい(希望)」がいつしか「〇〇でなければならない(義務化)」にかわり、やがては「〇〇以外は無駄・ダメ(否定・絶望)」というように自分の思いで自分を縛ってしまいます。
しかし事実としてはそもそも「〇〇でなければならない」などということはないのです「「△△」でも「◇◇」でもどれも素晴らしいことです。
夢をあきらめないことは希望となりますが、そこに至る過程、つまりは今この現実を受け入れられない限りはその夢は自分を傷つける諸刃の剣ともなってしまいます。
ある程度の計画を立てたらやってみる、やってみた結果が希望とそぐわなくても、
「それもまたよし」
と受け入れ、あらたなご縁を楽しんでいく。頭でいくら考えても実際の人生は自分が何を為すかです。考えている内に過ぎ去ってしまうのはもったいないですよ。「あいまいさ」「予定外」は当然のことと思い、やれることをやってみましょう。
質問者からのお礼
親切なご回答ありがとうございました。
その通りで完璧主義なところがあります。
勢いで上京するか、とても難しいですが遠くばかりみないようにしようと思います。