いつもお世話になっております。
最近ずっと、職場での周囲の人からの対応で、自分が無価値な存在のように感じていました。こちらで「周りと比べることはどんぐりの背比べ」とアドバイスいただいたりして、なんとか気にしないようにと意識していました。
しかし先日あった仕事の打ち上げで、私は無価値に思われているという事実を真正面からぶつけられる出来事があり、立ち直れないほどに落ち込みました。情けないことに三日三晩泣き続け、仕事を辞めることも本気で考えています。
どんぐりの背比べだし人と比較しても仕方ない。と、たとえ自分が思おうとしても、周囲が全くそう思っていなくて、あからさまに私のことを邪魔者・必要としていない・無価値な存在として扱ってくる場合、心の平穏を保つことなんて、できるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読いたしました。
自分に価値がないと、そう他人からぶつけられましたか。
悔しいですね、寂しいですね。
自分なりに努力してきたのに、そう思われていたのですから。
無価値な存在と扱われているのに、平穏なんて保てませんよ。
悲しいじゃないですか。
いくら人と比べないでおこうとしても、人から告げられると意思も揺らぎます。
と申しますか、比較しないでおこうと考える時点で、すでに比較が始まっています。
それは、我慢大会のようなものです。
いつまでも続きません。
あなたは、他の人のマネはできません。
すいさんは、すいさんでしかないのです。
自分の個性を大切に、というような意味ではなく。
ですので、比較するという事自体、意味を成しません。
また、相手をどうでもいいと思おうが思うまいが、相手は自分のしたいように動きます。
自分がどのようなものか分からないけど、今で正しいと信じるのです。
すいさんは、努力してきたのですから。
誰が何をどう評価しようと、恥じるものは何一つありません。
それが、あなた自身なのですから。
すいさんにしかできない事、それをあなたは行っているだけです。
評価しようがされまいが、決めるのは人です。
相手は自分の思うがままに評価します。
そこで打たれてもいい。
三日三晩泣きじゃくってもいい。
ただ、自分は間違っちゃいないと、そう思えればそれでいいのです。
人は孤独です。
自分で変えなくてはならないのです。
人を頼りにしていては、それは自分ではなくなります。
だからこそ、思い切って伝えたい。
人の評価はただの目安でしかありません。
すいさん、こんにちは。
職場の人から無価値といわれたのですね。仕事だからいろんな仕事上での評価がでるのは仕方がありません。でも人の価値は仕事で決まるものではありませんし、本当の人間の価値は仏さまだけが知ることです。そして仏さまは価値のない人間なんていないと述べてられます。
あなたがあなた自身の出来ることで生きているのであれば、人の評価なんて気にする必要はありません。あなたの価値の評価を信じるのは人ではなく、仏さまです。仏さまだけ信じればいいのです。仏教を勉強すると自分の価値がわかってきます。そして仏さまに褒められるために頑張ろうという気持ちになります。心の平穏は仏さまの教えによって安定しますよ。
さー、仏教を勉強しましょう。応援します。辛くければいつでもご相談を。がんばって!
たとえばあなたが死んで、来世で天(神様の世界)に生まれ変わったと想像してみましょう。
あなたは神様になりたて。
周囲の神様からは、
「あの子ってまるで人間みたいにレベル低いよね」
「なんであんなのが天界にいるんだろうね」
とか低評価の嵐になります。
しかしそれは、あなたが元々の自分のレベルよりも、ワンランク上の世界に登ってきたからこそ体験できることなのです。
自分のレベルに合った場所の方が楽々に過ごせます。
しかし、ワンランク上の世界、ワンランク上の職場に入るチャンスに恵まれるのは、それはそれでレアなチャンスです。
そう思ってポジティブに考えることもできます。
ただし、仕事は生活のためにやっているのです。
仕事のために生活が壊れたら意味ありません。
心身の健康を害するほど辛いなら、転職を考えたらよいと思います。