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父の突然死

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先月の暮れに父が自宅で突然亡くなりました。

前日までスキーに行っていた父
よくスキーの次の日は仕事を休んでいました。
私はその日夜勤明けで朝家に帰って
家の鍵が開いているので誰か家にいるのかと思いました。
寝ようと思い自分の寝室へ行くと父の部屋に父が寝ていました。
そのとき私はお父さん寝てるんだと思いました。
私が起きたときも少し覗いてお父さんまだ寝てるとしか思いませんでした。
そのまま声もかけず何もせず友達と飲みに出かけました。
したら夜22時ころ母から連絡がきました
早く帰ってきてと。
私は一瞬でなんであのとき声をかけなかったんだろうと思いながら家に帰りました。
そこにはもう冷たくなっていた父の姿がありました。
私は自分のせいじゃないかなと思いました。だけど死亡推定時刻は私が朝帰ってくる前でした。
いつも通りの寝顔で寝姿でまさか死ぬなんて思っていなかったくらいの父の元気な姿を見ていたのでとてもびっくりしました。
とっても泣きました。
いつもある生活が、お父さんがいてこそのものだったこと
たくさん気づいたことがありました。
また、これからお父さんにしてあげたかったこと、
お姉ちゃんのようにウェディングドレス姿を見せて、孫の顔を見せてあげたかった。
思えば思うほどいろんなことがあります。
生前父と仲が良かったのかと言われればそこまで仲良かったわけでもなく
だから、余計に悔しさや哀しみがあります。
だんだんと日常に戻っていく中で
泣くタイミングというのもわかりません。
本当はものすごく泣きたくなるときもあります。
友達と会ったときにも本当はお父さんの話を聞いて欲しくて、泣きたくて
でも我慢してしまいます。

今でも、
なんでお父さんだったんだろうと
思ってしまいました。
父は60歳でした。
早いと思いました。これから定年迎えて第二の人生を楽しもうとしてたところでなぜ。お父さんなの。と

文がまとまらないのですが、
身近な人の死を経験したのが初めだったので、少し話を聞いてもらいたい気持ちもあり投稿させてもらいました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き方の願いは、遺された者の幸福

大切なお父様が亡くなり、心よりお悔やみ申し上げます。

私の父も、ぼんじり様のお父様と同じように、一昨年突然亡くなりました。午前中お寺で法事をして、ご飯を食べた後ゆっくりしていたら、そのまま極楽浄土に往生いたしました。ちょうどその時、私も用事があって出かけておりまして、帰ってきたころにはすでに冷たくなっておりました。必死に阿弥陀様にすがる思いで心肺蘇生を試みましたが、その時にはもう遅かったです。
後でお医者様のお話を聞くと、おそらく私が気づく2時間前くらいに亡くなったそうです。「なぜあの時…」と悔やんでも悔やみきれない思いでした。世寿56歳。ぼんじり様のお父様と同じくらいです。

親孝行 したいときには 親は無し

まさしくその通りです。いろいろ迷惑をかけてきて、これからやっと楽をさせてあげたかった、その矢先の出来事なので、目の前が真っ暗になりました。僧侶という立場ですが、あれほど人目をはばからず泣いてしまったのは初めてでした。

ぼんじり様の大切なお父様を失った悲しみを、私も痛いほど感じます。思うに、大切な人を失った悲嘆というものは、そう簡単に癒えるものではございません。この先もそうでしょう。泣きたいときには、我慢せず泣いたらいいと思います。

ぼんじり様のお父様は、きっと安らかなお浄土に往生されております。そこで、ぼんじり様やご家族の皆様を見守ってくださっております。親孝行ができないならば、我々に何ができますでしょうか?それがご供養です。お仏壇の前でも、お墓の前でも、いつでもどこでもお父様のことを念じて、手を合わせてください。思いは通じます。

もう一つ大切なことがございます。亡き方の願いは、遺された者の幸福です。何よりもぼんじり様の幸せを願っているのは、お父様だと思います。この先、ぼんじり様がご結婚され、ウェディングドレスを着た時も、お子様が生まれた時も、お父様はお浄土で喜んでくださるでしょう。見守ってくださっているお父様のためにも、ぼんじり様のためにも、少しずつ前を向いて、歩んでいっていただきたいです。

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有り難し
おきもち

浄土宗の僧侶です。一緒に悩みましょう!

いまを生きることだけ。そしてそれが供養になる。

ぼんじりさま

初めまして、hasunohaの井上広法です。

お父様を突然亡くされて、深い悲しみに包まれてしまっている状況とお察しいたします。

心の準備はおろか、前日まで元気にスキーに行っていたならなおさらのこと、突然の死別に心を痛めておられるのでしょう。

親孝行をしたあげたかったと思えば思うほど、悲しみも深まってしまうことでしょう。

わたしたちは普段「死」ということを忘れて生きています。

知ってはいるけど、そんなの関係ないと頭のどこかでフタをしてしまっています。

しかし、ぼんじりさまのお父様のように死とは足音も立てずに忍び来るもの。

それが、諸行無常といわれるこの世の姿です。

そのようなとき私たち僧侶は、死者に対して供養を行いますが、そこには二つの側面があります。

一つは、来世での故人の幸せを願うもの。

もう一つは、私たちの生き方を捉えなおすことです。

残念ながら、この世は無常であり、いつ突然別れがくるかは誰にもわかりません。

このようなこの世の実態を嘆くことは簡単ですが、この世は無常であると知ることは難しいことかもしれません。

しかし、お父様が残された最期のメッセージは「この世は無常で、いつ死ぬかわからないんだよ、だから今の瞬間を一生懸命生きなさい」という意味を感じることもできるかもしれません。

もし、ぼんじりさまがそのようなメッセージをお父様から受け取ることができたとしたら・・・

深い悲しみのなかにいるぼんじりさんへの回答としては、不十分かもしれませんが

「いまを生きてください」

いまを生きる積み重ねが未来を作ります。

お父様から教わったこの世の無常を知りながら、いまを生きるのです。

そして涙を払い、ご自分の人生をもう一度みつけたとき、そのときにぼんじりさまが笑顔でいることができたら・・・

それが最高のご供養になります。

娘さんであるぼんじりさんがお父様を喪って、しかし、もう一度笑顔を取り戻せたら、まちがいなくお浄土のお父様も喜ばれていることでしょう。

お父様のお浄土でのお幸せをこころより念じます。

南無阿弥陀仏

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おきもち

hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を執筆。 科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げる。 また心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考にワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催している。 史上初のお坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」の立ち上げにかかわるとともに同番組をはじめとした様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中。

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