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どうせ死ぬという意識と虚無感について悩んでおります

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有り難し有り難し 35

こんにちは。いつもお世話になっております。

突然ですが、最近なにもやる気が出ないです。なにもしたくないしやるだけの価値があるものがないように思えてすごく虚無です。
どうせ死ぬのに何がそんなに大事なのだろうとか、どうせ忘れるのに何がそんなに面白いのだろうとか思っていつも中途半端なことをしてしまいます。

こういうのを、西洋的な考えではニヒリズムというのですよね。共通の思想や宗教よりも、個人の信念や価値に目が向けるようになった近年では、ニヒリズムからの脱却が大きな課題になっていると思います。

今回、ハスノハにメッセージを投稿しようと思ったのは、仏教がニヒリズムからの脱却において強い味方になってくれるのではと感じたからです。仏教の思想を詳しく勉強したことがないので、誤解があったら申し訳ありません。

自分という個人と向き合うことによって生まれる虚無感や個人としての孤独感、無知を感じることでの無力感などがあるとき、その負の感情をどうすべきかアドバイスを頂きたいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦様は、他人から頼まれて活動した

お釈迦様が悟りを開いて煩悩を克服した直後は、そのまま独り静かに寿命を全うしよう、悟りの内容を人々に説いてもわかってもらえないだろうし、みたいな感じだったのです。
しかし、梵天という神様に頼まれて、人々に教えを説くことを引き受けました。
そしたら40年以上にわたって勢力的に教えを説き、たくさんの弟子や信者を導くことになったのです。
お釈迦様は、自分のためにやるべきことは全て成し終え、もう独りで死んでもいいやという状態だったのに、いや、そういう状態だったからこそ、
その後は他人のためだけに生きたのです。

あなたも、他人のために活動してはどうでしょうか?
たとえば、献血してみましょう。
どうせ死ぬ身体なんだから、血を欲しがってる人々のために、血を寄付すればよい。
たとえば、働いて1円でも税金を納めてみましょう。
どうせ死ぬ命なんだから、今、福祉の助けを求めている人々のために、税金を納めたってよいでしょう。

仏教では、軽安な心は良い心なのです。
お釈迦様は、他人に何か頼まれたら軽々と引き受ける。怠けの煩悩がないから、身軽にエネルギッシュに活動できるのです。

まずは、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は悩み苦しみの原因だと、理解しましょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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無限の広がり

拝読させて頂きました。
なるほど、あなたがそう感じてしまうのも無理からぬことかと思います。自分は今そしてこれからも何のために生きているのか?考えてしまうと生きていることが空虚にむなしく感じるでしょうからね。

一つ言えることはあなたが今そこに存在していることは遥か彼方から無限に広がるつながりの中で巡り合わせて生きているのです。ですから決してその無限の記憶は消え去らないということです。あなたがそこに存在するだけでも遥かに想像を絶するような経験や蓄積の中であなたは今存在しています。
ですからあなたは存在しているだけでとても尊いのです。
あなたはいつの日か確かにその生を全うする時が来るでしょうけれどもこれから様々な出会いが恵まれて様々経験を積んでいかれます。その中であなたは常に成長なさっていかれて変化していくのです。そして様々な方々とのご縁が生まれていろんなことを考えながらたくさんの出来事をこなしていくことでしょう。
それは嫌なこともあるでしょうけれども本当にありがたい尊いことにも巡り会えるでしょうからね。
あなたとこの場合でお話しできていることも不思議なご縁ですからね、あなた自身もこのご縁からまた変わっていかれると思います。

ニヒリズムは本当に些細なことです。
それよりも遥かに想像超えて無限に広がるものごとをどうか思い描いてください。そして今までの様々な蓄積である教えや学問や書籍にも目を通してみてくださいね。

あなたの目の前には無限の歴史と世界が広がっています。

どうかこれから様々な経験を積んでいかれて成長なさってくださいね。

あなたを心から応援してますね!

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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確かに仏教はニヒリズムの脱却に役立ちます

むらさき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教は、確かにニヒリズムからの脱却にとって大きな力となります。

ニヒリズムは、「無」を実体視してしまい、「無」に囚われを起こして、虚無主義・悲観主義に陥ってしまっているところとなりますが、仏教は、そんな「無」の実体視、囚われを否定する立場であるからであります。

しかし、そのことを理解するには、ある程度仏教を学び実践していくことが求められるところとなります。

特に、「空と縁起」という考え方を学ぶ必要がございます。是非、般若心経についてから取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。

「自分という個人と向き合うことによって生まれる虚無感や個人としての孤独感、無知を感じることでの無力感などがあるとき、その負の感情をどうすべきか」・・

「縁起」という世界観を理解することから、基本的に自分は他との関係性の中でしか存在できないということを知れば、自ずと、自らを成り立たしめている他との無数の繋がりを知ることができるのではないだろうかと存じます。

究極的には、ミクロ的にもマクロ的にも、全ては関係性にて繋がっているのであります。華厳経で説かれているような印陀羅網の世界観となりますが、ある意味では、自分と無関係にあるものは無いという感じでもあります。

少し、日常の何気ないことも、ふと自分との関係性について考えれば、虚無感、孤独感も和らぐことに役立つかとも存じますし、無力感については、互いに助け合い、支え合い、分かち合いでしか存在し得ないことに気付ければ、できないことも、他の力を借りればできることもあるとして、力を借りる勇気を持つことで、少しは解決できるのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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