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どうせ死ぬという意識と虚無感について悩んでおります

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こんにちは。いつもお世話になっております。

突然ですが、最近なにもやる気が出ないです。なにもしたくないしやるだけの価値があるものがないように思えてすごく虚無です。
どうせ死ぬのに何がそんなに大事なのだろうとか、どうせ忘れるのに何がそんなに面白いのだろうとか思っていつも中途半端なことをしてしまいます。

こういうのを、西洋的な考えではニヒリズムというのですよね。共通の思想や宗教よりも、個人の信念や価値に目が向けるようになった近年では、ニヒリズムからの脱却が大きな課題になっていると思います。

今回、ハスノハにメッセージを投稿しようと思ったのは、仏教がニヒリズムからの脱却において強い味方になってくれるのではと感じたからです。仏教の思想を詳しく勉強したことがないので、誤解があったら申し訳ありません。

自分という個人と向き合うことによって生まれる虚無感や個人としての孤独感、無知を感じることでの無力感などがあるとき、その負の感情をどうすべきかアドバイスを頂きたいです。よろしくお願いいたします。

2018年9月12日 2:16

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦様は、他人から頼まれて活動した

お釈迦様が悟りを開いて煩悩を克服した直後は、そのまま独り静かに寿命を全うしよう、悟りの内容を人々に説いてもわかってもらえないだろうし、みたいな感じだったのです。
しかし、梵天という神様に頼まれて、人々に教えを説くことを引き受けました。
そしたら40年以上にわたって勢力的に教えを説き、たくさんの弟子や信者を導くことになったのです。
お釈迦様は、自分のためにやるべきことは全て成し終え、もう独りで死んでもいいやという状態だったのに、いや、そういう状態だったからこそ、
その後は他人のためだけに生きたのです。

あなたも、他人のために活動してはどうでしょうか?
たとえば、献血してみましょう。
どうせ死ぬ身体なんだから、血を欲しがってる人々のために、血を寄付すればよい。
たとえば、働いて1円でも税金を納めてみましょう。
どうせ死ぬ命なんだから、今、福祉の助けを求めている人々のために、税金を納めたってよいでしょう。

仏教では、軽安な心は良い心なのです。
お釈迦様は、他人に何か頼まれたら軽々と引き受ける。怠けの煩悩がないから、身軽にエネルギッシュに活動できるのです。

まずは、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は悩み苦しみの原因だと、理解しましょう。

2018年9月12日 12:43
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おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

無限の広がり

拝読させて頂きました。
なるほど、あなたがそう感じてしまうのも無理からぬことかと思います。自分は今そしてこれからも何のために生きているのか?考えてしまうと生きていることが空虚にむなしく感じるでしょうからね。

一つ言えることはあなたが今そこに存在していることは遥か彼方から無限に広がるつながりの中で巡り合わせて生きているのです。ですから決してその無限の記憶は消え去らないということです。あなたがそこに存在するだけでも遥かに想像を絶するような経験や蓄積の中であなたは今存在しています。
ですからあなたは存在しているだけでとても尊いのです。
あなたはいつの日か確かにその生を全うする時が来るでしょうけれどもこれから様々な出会いが恵まれて様々経験を積んでいかれます。その中であなたは常に成長なさっていかれて変化していくのです。そして様々な方々とのご縁が生まれていろんなことを考えながらたくさんの出来事をこなしていくことでしょう。
それは嫌なこともあるでしょうけれども本当にありがたい尊いことにも巡り会えるでしょうからね。
あなたとこの場合でお話しできていることも不思議なご縁ですからね、あなた自身もこのご縁からまた変わっていかれると思います。

ニヒリズムは本当に些細なことです。
それよりも遥かに想像超えて無限に広がるものごとをどうか思い描いてください。そして今までの様々な蓄積である教えや学問や書籍にも目を通してみてくださいね。

あなたの目の前には無限の歴史と世界が広がっています。

どうかこれから様々な経験を積んでいかれて成長なさってくださいね。

あなたを心から応援してますね!

2018年9月12日 14:33
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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

確かに仏教はニヒリズムの脱却に役立ちます

むらさき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教は、確かにニヒリズムからの脱却にとって大きな力となります。

ニヒリズムは、「無」を実体視してしまい、「無」に囚われを起こして、虚無主義・悲観主義に陥ってしまっているところとなりますが、仏教は、そんな「無」の実体視、囚われを否定する立場であるからであります。

しかし、そのことを理解するには、ある程度仏教を学び実践していくことが求められるところとなります。

特に、「空と縁起」という考え方を学ぶ必要がございます。是非、般若心経についてから取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。

「自分という個人と向き合うことによって生まれる虚無感や個人としての孤独感、無知を感じることでの無力感などがあるとき、その負の感情をどうすべきか」・・

「縁起」という世界観を理解することから、基本的に自分は他との関係性の中でしか存在できないということを知れば、自ずと、自らを成り立たしめている他との無数の繋がりを知ることができるのではないだろうかと存じます。

究極的には、ミクロ的にもマクロ的にも、全ては関係性にて繋がっているのであります。華厳経で説かれているような印陀羅網の世界観となりますが、ある意味では、自分と無関係にあるものは無いという感じでもあります。

少し、日常の何気ないことも、ふと自分との関係性について考えれば、虚無感、孤独感も和らぐことに役立つかとも存じますし、無力感については、互いに助け合い、支え合い、分かち合いでしか存在し得ないことに気付ければ、できないことも、他の力を借りればできることもあるとして、力を借りる勇気を持つことで、少しは解決できるのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

2018年9月13日 12:56
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おきもち

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

立ち上がる気力も動機も、もはやない。

朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。そう信じてきた。 思春期の到来と同時に、心の裡にある虚無感と自殺願望に気付いた。 人は無意味に生まれ無価値に死ぬ。だが今死ぬのも怖い。生きるに足る何かを自身で見出さねばと決意してから20年が経った。 何度も膝が屈した。 不登校になり高校は辞めた。だが、何かを見出すためには外と接点を維持しなければと高認を受け大学へ行った。 就活に折れ何年も家にこもった。それでも社会に出て広がる視野もあるだろうと公務員になった。 虚無感も自殺願望も消えてくれなかった。 情熱は無く、熱意は無く、意欲は無かった。 心理学や哲学をかじった。アドラーとニーチェは劇物だった。 ある日唐突に恋人が出来た。歓喜した。無辺の海原を彷徨うが如き人生に、共にゆく同志が現れた! 彼女もまた人生に悩んでいた。陰鬱な話題も多かったが、共に解決していけると信じた。 別れを切り出されたのも唐突だった。 何を間違えたのだろうか。 仕方ない。それが彼女に必要な事ならば身を引こう。どうか幸福を掴め。私は応援したい。そう伝えた。 「応援とかいいから。とにかく別れて」 それが返答だった。 愛おしいのに憎い。「愛憎」の意味を知った。 人はこうも真っ直ぐに他人を呪えるものか。人はこうも醜くなれるものか。 親らしいことを何一つせず消えた父にも、いじめパワハラを繰り返されたかつての同級生や職場の上司にも、こんな憎しみは抱かなかった。 結局、罵詈雑言の応酬で15ヶ月の泡沫の夢は醒めた。 出会いがあれば別れがあるもの。でもきっと次の出会いが。恋愛は人を成長させる。 そうなのかもしれない。 痛みを知るからこそ人は優しくなれる。 仰るとおり。 癒やされるには傷が必要で、幸福を知るには不幸が必要で、善行を成すには悪行が必要だ。 出会いにはもれなく別れがついてくるし愛情と憎悪は表裏一体。 満たされるには、飢えていなければならない。 生きるために死に、死ぬために生きる。 もうたくさんだ。 得れば失う。そんなものは賽の河原だ。穴堀の拷問だ。 夜明けは無い。掴んだと思った幸福は手から零れていった。 海原だと思っていた人生は無間の闇だった。 20年足掻いてはみたが、いい加減幕を引きたいと思う。 朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。それがただの夜であるならば。

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幸せなのに虚しいのは傲慢でしょうか

初めまして、道草と申します。今回初めて質問させていただきました、もし宜しければお手空きの際にご覧頂けますと幸いに存じます。 私は、今学校生活でも様々な機会に参加させていただきありがたい状況に置かれていると思います。 機会をいただき、チャレンジし、感謝される機会もありました。人の相談に乗り、感謝された時はとても満ち足りています。 成績が良くなったり、何か大会やコンクールで優秀な賞を取れた時はもちろん嬉しいです。 就活も、ご縁あって現在2社ほどに最終面接を受けさせていただき結果を待っています。第一志望の会社も決まりました。 もちろんうまくいかないことはあるにしろ、自分の努力が認められるのはとても嬉しいことです。家族とも、お互いに良好だと感じています。 ですが、たまに、賞をもらったり自分が努力する、今までのことが虚しくなる時があります。 ふ、とその瞬間になった時、「自分は幸せなはずなのに、こんなことを思うなんて傲慢なんじゃないだろうか」と思ってしまいます。自分がこんなふうに思ってしまうだなんて。 それなら、もっと努力している人がこの成果を得る方が公平ではないかと。自分よりももっと努力して夢に進んでいる人はたくさんいるはずだ、だからその人がもっと報われた方がいいのではないかと。 勿論今書いているこの文章そのものが、傲慢で、上から目線だと自負しております。 もし宜しければ、このような虚しい気持ちに襲われた時、どのように現在の状況を受け入れ満足していくか、その方法がございましたらご教授ください。また、傲慢さを抑え謙虚に生きる方法もありましたら、お教えくださると幸いです。 長文になってしまい申し訳ございません。 私の立場から申せたことではございませんが、気温が急激に変わる時期も続いております。何卒お坊様方もお身体大切になさってください。 失礼いたしました。

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情熱も冷めて怒り、虚無感、後悔

幼少からとある分野の技術を学んでおりました。将来それを使い独立したいと考え、20代で大きな団体で師が常時5、6人いる所に所属し直し、6年間学んだのち、半独立しました。 半独立というのは、その団体に所属し、定期的に講義を受けたり、費用を払い続けないとその資格者を名乗れない為です。 関わりを断つと資格も記録もなくなり今までの積み重ねがなかったことになります。 その団体の師の一人が私に特別当たりが強く、大勢の前でプライベートなことを質問したり、叱責したり、やたら高額のものを買うよう勧めてきたり、努力も結果を認められなかったりという事が続き、その分野で長年やってきても報われない悔しい思いも今まで蓄積していた為、虚無感が募り道具を見るだけで怒りと悲しみで耐えきれなくなるまでになり、心が限界になりました。 その師がいなくなるまで1度離れようと決め、2年間、費用だけ払い所属しつつも極力思い出さないよう過ごしていました。 半独立したはずでしたが収入にはできず、今は別の仕事をしています。 心の中で怒りと執着がずっとあり、辛いです。 心理学を学んだり、時間が解決するからと自分に言い聞かせたりしても、その分野で活躍している人を見聞きすると、心の中の地雷が爆発するような、怒りと嫉妬と、悲しみがごちゃ混ぜになった感情が度々おこります。 頻繁に感じる気持ちは、認められたくてあんなに努力したのに報われないという怒り、自信が全くなくなり好きだったものが避けたいくらいに嫌いになったという悲しみ、応援してくれた期待してくれた人に申し訳ない気持ち、理想通りにいかずダメになってしまったという後悔です。 気分が落ち込んでいる時、 こんなしょうもない人生を送ってしまったとぐずぐず考えてしまいます。 冷静な時は、そんなことくらいで馬鹿げてると思い直せるのですが、執着と後悔が消えません。どのように考えたら、前に進めるでしょうか。 その団体をやめて、もう一切かかわらないようにしようと思いつつ、ふん切りがつきません。自分の気持ちがなんとかなり、またやりたいという気持ちが強くなって復帰できる未来を望んでもいます。でもそう思い続けるのはただの執着かもしれません。 何か、その状況から脱するヒントをご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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人は変わることができるのでしょうか。

実感を感じたいです。 何を見ても、心から感動することがなく、いつも頭で判断して動いている感覚があります。 何故か怒りだけ感じることはできるのに、それ以外の感情は作りもののように感じます。普通に生活をしていて笑ったり泣いたりしますが、同時に自分に向けて演技をしているような気持ちになります。 夢を見ている時にだけ、心から喜んだり、悲しんだりできるので、目が覚めるとがっかりし、目覚めなけれよかったという気分になります。 実感を得たいというこの欲のために、いろんな場所に出かけたり、人とあったり恋愛もどきをしたり、旅をしたり、本を読んだり、スポーツをしたり、芸術に触れたり、ものを作ったり、ただ何もしないでいたりと、試行錯誤してみましたが、それでも心が動かない自分にゆっくりと失望しました。いまは欠落人間の私は、結婚や子供を持つことも諦めたほうが良いと考え、かといって残りの人生の長さに虚しさを感じずにはいられないです。他人のために時間を使おうと、余暇にボランティアとかもやっています。それでも虚しさは埋まらないです。 私に信仰があればなと強く思う時もありますが、神や仏を信じることすら、頭でっかちの自分には無理なのかなと諦め、残された生の時間が恐ろしく、かといって死ぬことも恐ろしく(試したけどできませんでした)、毎日を宙に浮いたまま過ごしています。 寿命が尽きるまで、私はこのままなのでしょうか。

有り難し有り難し 24
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