もうしんどいです
はじめまして。
初めて質問させていただきます。
生きることが辛いのです。
なんとか頑張って、歯を食い縛って、いきてきたつもりでした。
もう何が原因で苦しいのかもわかりません。
しにたい、ただ楽になりたい。
こんなことを思う甘ったれた自分も嫌です。
支離滅裂で申し訳ございません。
何かお言葉をいただけたなら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦の中に生まれる真の幸せ
こんばんは。亀山純史と申します。
お釈迦様は、「人生は苦である」とお説きになりました。しかし、世の中を見てみると、楽しく愉快に生きているように見える人が、なんと多いことでしょう。お釈迦様の教えを前にして、本当に、人生は苦なのか、と疑ってしまいたくなる人もいるでしょう。
しかし、どの人にとっても人生は苦なのです。多くの人は、その苦から逃避しようとしているだけなのです。たとえば、人は自分の死は遠い先にあるように思っています。しかし、死は生と共にあるのです。生きるということの先に死が待ち構えているのではなく、生きることの傍らに死は横たわっているのです。
天才将棋棋士村山聖九段の人生を描いた小説、『聖(さとし)の青春』という文庫本をご存じですか。映画化もされた小説です。彼は五歳のときに腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかり、もはや外で走ることもできなくなります。そこで、父は息子に病室で将棋を教えるのです。そして、病と闘いながら、「東の羽生、西の村山」と並び称される棋士へと成長していくのです。しかし、彼が27歳のとき膀胱に癌が見つかり、1998年の夏、29歳という若さでこの世を去ります。そのような彼はいくつもの言葉を残しています。
「もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」
「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」
彼にとって、幸せとは単に健康であることではなく、悲しみ、苦しみを生きて行く、受け入れて行くところに見いだされるものだったのではないか、と思うのです。そして、どの人にとっても、人生とは苦なるものですから、そのような悲しみ、苦しみの中に見出される幸せこそが、人間としての真の幸せではないかと思っています。
以上が私からの回答ですが、ねこ。さんの心に少しでも響くものになったでしょうか。
詳しい状況は分かりませんが、もしかしたら頑張り過ぎているのかもしれないですね。
少しくらい甘えてもいいのです。
誰かに頼ってもいいのです。
頑張っている自分にご褒美をあげてください。
質問者からのお礼
本当に長い間御返事ができず大変申し訳ございませんでした。
このときは問題が重なり一番精神状態がボロボロだったときに縋るように書かせていただいたのを覚えております。
お二方の回答は何度も何度も読ませていただき、励みとさせていただいておりました。
今はしんどい気持ちもだいぶ薄れてきて、ゆっくりと回復できるといいなと思っています
ここまでこれたのもお二方の回答あってのことです。
本当にありがとうございました。