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人生の意味と価値

初めまして

お答えしているお坊さんの中には、苦を滅しつくされた方が多数おられることと存じます。

 お釈迦様はこの世(苦界)に輪廻しないように解脱を説いてくださったと本で読んだことがあります。
 
 悟りを開かれた後で、他の修行者でも理解してくれるかどうか迷い、梵天さまから法を説いてくださいと言われたと記憶しています。

 この世での人生は、四苦八苦を体験させられ修行する場所である。人生は苦から逃れるために、楽しみを追い求めることに意味と価値を置くことは間違いなのでしょうか。
 
 お釈迦様が悟られたときには、法を説くこと以外に、お釈迦様にとって人生には意味も価値もすでになく人生に未練もなかったのでしょうか。

 真実に達した人は、人生を淡々と生きて自然に委ねている。悟り以外に人生の意味や価値を求めることは結局は苦を味わうだけなのでしょうか。

生きる意味
有り難し 9
回答 2

質問投稿日: 2018年9月14日 12:21

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

仏教はポジティブな教えです。

ご質問を拝読させて頂きました。
よく仏教を勉強されておられますね。
仏教好きの私としては、自分と同じように仏教を勉強しておられる方と接するのはとても嬉しい事です。
何点か疑問があられるようですので、分けて回答します。

確かに、釈尊は世俗的な楽しみを追い求めることを良しとはしませんでした。
もちろん、世間の方々がそのように生きる事を否定はしません。
けれども、それらの楽しみは一時的なものであって永続はしません。
その事に異議を唱えているのです。

これは仏教学者の間で議論になる事だそうですが、「釈尊は悟りに至ったあと、なぜ自死しなかったのか。」という疑問です。
法を説く事とは、抜苦与楽と表現されます。
私の推測ですが、釈尊はおそらくかつての自分と同じように苦しみを抱えている人々を救う事に自らの人生の意義を見出したのだと思います。

仏教には四諦という教えがありますよね。
苦諦があり、集諦、滅諦、道諦と続きます。
もしも、苦諦のみで終わっていれば、仏教はとてもネガティブな教えでしょう。
けれども、そうではありません。
苦に対して出来る事があるから集諦、滅諦、道諦が説かれています。
その事は仏教がポジティブな教えである事を示しています。

私自身は恥ずかしながら、苦を滅し尽くしてはいません。
今でも辛さや苦を感じながら生きています。
だけど、確かに出来る事があります。
それを探しながら、日々歩んでいます。

文章が拙く、読みにくい点が多々ある事と思いますが、あなたのお役に立てれば幸いです。

追記
>楽しみは一時的なものであって永続はしないので、仏教ではこれを渇愛と表現します。
喉の渇きも水を飲めば解消されますが、また喉は渇きます。
多くの人はこの事に無自覚ですので、自覚する事で生き方が変わってくるのではないでしょうか。

>「過ぎ去る」
大乗仏教では空の思想で「無い」事が強調されますが、初期経典には四元素、後代の説一切有部では極微などが示すように、すべてが「無い」とは考えていませんでした。
「有る」ものもある。
だから、過ぎ去ります。

>二度と生まれ変わらない事を意味する輪廻からの解脱が示すように、仏教は生きている事に意味や価値を見出してはいません。
しかし、大切なのは、その事を受けて個々が人生に対してどのような態度を決定していくかでしょう。
 

2ヶ月前

難しいことは言えませんが・・・

まずお答えする前に、お断りしなければならないのは、私は、苦を滅している者ではないということです。次から次へと様々な悩み、煩悩が渦巻いています。ただ、それらをいつまでも留めておくかの、それともスルーしているかは内容によりますが、できるだけスルーしようとはしています。

諸先師の中には、人生は苦であると説かれているものもありますし、苦というのは自らの考え方次第だともあります。どちらを選ぶかは自由だと思いますし、自分が納得できる方でいいと思います。

たしかにこの世には、四苦八苦はあります。人間として生まれた以上、物質として存在している以上は避けられない事なので、やはり苦しみとして受けとるか、そういうものとして楽観的に受け止めるかも自由でしょう。

この世を楽しむために生きることは素晴らしいと思います。道を楽しむ(道楽)ことができたら、なんと楽しいことかと思います。

ある本には、お釈迦様が悟りを開かれたといっても、決して退屈ではない。ふつうではないかもしれないし、非凡かもしれない。だか退屈ではない。ということもありました。

私自身、悟りについて、こういうものだと論議立てて言えませんし書けません。
ただ、ものすごくシンプルなものかとも思います。この世は、そう意味では楽しく(自分の快楽を満足させるためでははありませんが)生きるスペースとも思います。
満足なお答えができず失礼しました。

2ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

鈴木海祥 様
 
 お返事ありがとうございます。正直で実直な生き方をされていることが文面から滲み出ておられます。仏教に真摯に向き合っておられ、檀家様も心強いのではないでしょうか。

 折角生まれてきたのですから「この世を楽しむために生きることは素晴らしいと思います。」には同感いたします。
1.人生を味わい尽くす。趣味や交友や芸術に人生を捧げる。
2.お釈迦様のように「苦」を滅する。
3.「苦」から逃げて自殺する。
4.人生の意味を知ろうともせずに不平不満を言いながら死んでいく。
5.なにかに・誰かにすがってでも救われたい(楽になりたい)。悩みながらでも生きて行く。
 他にもいろいろあると思いますが、誰もがそれぞれの人生を描いて生きています。

 人生の「苦」に立ち向かうことなく「苦」から逃げ回り放逸に生きる。
 人生の「苦」を知り尽くし「苦」を滅して隠居する。
 両者は外見をみれば同じに見えますが両極(人生逃避・悟り)なのではないでしょうか。

 難解な高等数学を解くことを最初からあきらめて逃げ出すのと、どんな難問でも解いてしまいNo problemの人生.
 人生の「苦」から早く卒業できればと思います。
 今後ともアドバイスお願いいたします。
 

柳原貫道 様
 お答えいただきありがとうございます。
 大変丁寧に説明していただきうれしく思います。

「楽しみは一時的なものであって永続はしません。」とは、餓鬼のように食べても食べても満足することなく、どんなに苦しくても食べないではいられない。
私たちが楽しみを貪っても決して満足することがなく、次から次へ新しい楽しみを求めるのと同じことでしょうか。

 楽しさが大きければ大きいほど喪失感があります。この喪失感が欲求不満という「苦」となっています。だから何度でも楽しみたいというのが本音です。
 旅行に行っておいしいものを食べて帰ってくると、やっぱり家が一番寛げたりして・・家事から解放されることが一番のご褒美です。

 お釈迦様の最後の言葉「もろもろの事象は過ぎ去るものである怠ることなく修行を完成なさい」 を何回も何回も読んでいますが、過ぎ去るとは消え去るということでしょうか。

人生の意味や価値は「苦」を滅すること。それ以外に人生に意味や価値を見いだすということは「執着・煩悩」であり、この世に再生する種となるのではないでしょうか。
 
「煩悩」を滅し尽くすには、一切の未練を断たなければならないのでしょうか。
人生の意味や価値を知り尽くすために「集諦、滅諦、道諦」の実践を修了させる。最終的に「人生はこれ以上求めるべき意味も価値もない」状態になることなのではないでしょうか。漠然とただそうではないかなと・・

 人生には何か意味や価値があると探究しているかぎり「集諦、滅諦、道諦」の実践が足りないと自覚しないといけないですね。
 お坊さんのレベルに近づけるよう今後ともアドバイスお願いします。

柳原貫道 様

 気にかけていただいた心遣いと丁寧な解説に感謝申し上げます。
 短い文章の中にも学識豊かであることに驚きを隠せません。
 一般人と専門に勉強されているお坊さんとは一線を画していることがよく分かりました。
 時間を作って仏教を学び続けていきます。

 これからも、人生の悩みに答えていただければ幸いです。

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