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人生の意味と価値

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初めまして

お答えしているお坊さんの中には、苦を滅しつくされた方が多数おられることと存じます。

 お釈迦様はこの世(苦界)に輪廻しないように解脱を説いてくださったと本で読んだことがあります。
 
 悟りを開かれた後で、他の修行者でも理解してくれるかどうか迷い、梵天さまから法を説いてくださいと言われたと記憶しています。

 この世での人生は、四苦八苦を体験させられ修行する場所である。人生は苦から逃れるために、楽しみを追い求めることに意味と価値を置くことは間違いなのでしょうか。
 
 お釈迦様が悟られたときには、法を説くこと以外に、お釈迦様にとって人生には意味も価値もすでになく人生に未練もなかったのでしょうか。

 真実に達した人は、人生を淡々と生きて自然に委ねている。悟り以外に人生の意味や価値を求めることは結局は苦を味わうだけなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

難しいことは言えませんが・・・

まずお答えする前に、お断りしなければならないのは、私は、苦を滅している者ではないということです。次から次へと様々な悩み、煩悩が渦巻いています。ただ、それらをいつまでも留めておくかの、それともスルーしているかは内容によりますが、できるだけスルーしようとはしています。

諸先師の中には、人生は苦であると説かれているものもありますし、苦というのは自らの考え方次第だともあります。どちらを選ぶかは自由だと思いますし、自分が納得できる方でいいと思います。

たしかにこの世には、四苦八苦はあります。人間として生まれた以上、物質として存在している以上は避けられない事なので、やはり苦しみとして受けとるか、そういうものとして楽観的に受け止めるかも自由でしょう。

この世を楽しむために生きることは素晴らしいと思います。道を楽しむ(道楽)ことができたら、なんと楽しいことかと思います。

ある本には、お釈迦様が悟りを開かれたといっても、決して退屈ではない。ふつうではないかもしれないし、非凡かもしれない。だか退屈ではない。ということもありました。

私自身、悟りについて、こういうものだと論議立てて言えませんし書けません。
ただ、ものすごくシンプルなものかとも思います。この世は、そう意味では楽しく(自分の快楽を満足させるためでははありませんが)生きるスペースとも思います。
満足なお答えができず失礼しました。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

鈴木海祥 様
 
 お返事ありがとうございます。正直で実直な生き方をされていることが文面から滲み出ておられます。仏教に真摯に向き合っておられ、檀家様も心強いのではないでしょうか。

 折角生まれてきたのですから「この世を楽しむために生きることは素晴らしいと思います。」には同感いたします。
1.人生を味わい尽くす。趣味や交友や芸術に人生を捧げる。
2.お釈迦様のように「苦」を滅する。
3.「苦」から逃げて自殺する。
4.人生の意味を知ろうともせずに不平不満を言いながら死んでいく。
5.なにかに・誰かにすがってでも救われたい(楽になりたい)。悩みながらでも生きて行く。
 他にもいろいろあると思いますが、誰もがそれぞれの人生を描いて生きています。

 人生の「苦」に立ち向かうことなく「苦」から逃げ回り放逸に生きる。
 人生の「苦」を知り尽くし「苦」を滅して隠居する。
 両者は外見をみれば同じに見えますが両極(人生逃避・悟り)なのではないでしょうか。

 難解な高等数学を解くことを最初からあきらめて逃げ出すのと、どんな難問でも解いてしまいNo problemの人生.
 人生の「苦」から早く卒業できればと思います。
 今後ともアドバイスお願いいたします。
 

柳原貫道 様
 お答えいただきありがとうございます。
 大変丁寧に説明していただきうれしく思います。

「楽しみは一時的なものであって永続はしません。」とは、餓鬼のように食べても食べても満足することなく、どんなに苦しくても食べないではいられない。
私たちが楽しみを貪っても決して満足することがなく、次から次へ新しい楽しみを求めるのと同じことでしょうか。

 楽しさが大きければ大きいほど喪失感があります。この喪失感が欲求不満という「苦」となっています。だから何度でも楽しみたいというのが本音です。
 旅行に行っておいしいものを食べて帰ってくると、やっぱり家が一番寛げたりして・・家事から解放されることが一番のご褒美です。

 お釈迦様の最後の言葉「もろもろの事象は過ぎ去るものである怠ることなく修行を完成なさい」 を何回も何回も読んでいますが、過ぎ去るとは消え去るということでしょうか。

人生の意味や価値は「苦」を滅すること。それ以外に人生に意味や価値を見いだすということは「執着・煩悩」であり、この世に再生する種となるのではないでしょうか。
 
「煩悩」を滅し尽くすには、一切の未練を断たなければならないのでしょうか。
人生の意味や価値を知り尽くすために「集諦、滅諦、道諦」の実践を修了させる。最終的に「人生はこれ以上求めるべき意味も価値もない」状態になることなのではないでしょうか。漠然とただそうではないかなと・・

 人生には何か意味や価値があると探究しているかぎり「集諦、滅諦、道諦」の実践が足りないと自覚しないといけないですね。
 お坊さんのレベルに近づけるよう今後ともアドバイスお願いします。

柳原貫道 様

 気にかけていただいた心遣いと丁寧な解説に感謝申し上げます。
 短い文章の中にも学識豊かであることに驚きを隠せません。
 一般人と専門に勉強されているお坊さんとは一線を画していることがよく分かりました。
 時間を作って仏教を学び続けていきます。

 これからも、人生の悩みに答えていただければ幸いです。

「生きる意味」問答一覧

昔の教え子と相撲をとり思わぬ結果に戸惑い

以前下記の質問をした者です。 https://hasunoha.jp/questions/66841 ご回答どおり教え子と相撲をとりました(スポーツ施設内の正規の土俵です)。 私は47歳、170cm、102kgの巨漢。彼は20歳、168cm、53kgの細身。 結果は10勝5敗で...彼の勝ち越しでした。 こんな結果になった原因ですが、私の体力が衰え過ぎでした。 日頃の運動不足に過度の喫煙が加わり、すぐに息切れしてしまいました。 そして脚の筋力はないのに体重だけはあるので自分の巨体を支えきれず、常に膝が伸びて棒立ちでした。 足腰が不安定な状態で彼に懐に潜り込まれ、私はまわしがとれないまま彼に双差しを許し、巨漢の私が細身の彼に真正面から寄り切られてしまう、という内容が大半でした。 最後の取組もこの負け方でしたが、土俵際に追い込まれた際あまりの苦しさに「まわしが、とれない」と声に出してしまう程でした。 私は、年齢差もあるので彼に負けるかもしれないとは思っていましたが、まさか幾度も真正面から寄り切られるとは予想していませんでした。 尤も、事前にまわしを締める際、私は羞恥心もあり下に短パンを履きましたが、彼は「男と男の勝負なので正々堂々と戦いたい」と、お尻を出してきました。この時点で、私は彼に気持ちの上で負けていたのかもしれません。 対決が終わった後、負けた私は寧ろ清々しい気持ちでした。 小学校時代は本当に華奢で身長も体重もクラスの男子で最低だった彼が、 私の巨体に物怖じせず相撲で真っ向勝負を挑んでくるほど強く育ってくれたこと、 女子にもよく泣かされる弱虫だった彼が、恥ずかしがらずにお尻を出してまわしを締めるほど精神的にもたくましくなってくれたことが、教師として嬉しくて仕方ありませんでした。 その反面、勝ったはずの彼の方が、どこか物悲しげで寂しそうな表情をしていました。 「勝てると思ってなかった」と幾度か言っていたので、私を本物の力士のように強いと思っていたのでしょう。 現実の私は、彼の思い描いていた姿ではありませんでした。10年の歳月はやはり残酷ですね。 彼に、電話か手紙で励ましの言葉を贈ろうと思います。敗者が勝者を励ますというのも変な話ですが、相撲の勝敗と勝負後の気持ちが逆だったので、私が励ます側だと思っています。何と言ってあげれば良いでしょうか。

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いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

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