子供が病気になり
成人した子供が病気になりました。
まだ病名を言われたばかりで、
これからどうしていったらいいのかを
ネットで検索して、
食事のサポートなどをしています。
子供もとても落ち込んでいて、
今は症状は軽いのですが、
ネット検索すると最悪の事が書いてある為
先を悲観しています。
私はなるべく明るく接するように
心がけてはいますが、、
私自身が未熟な人間のため
こんなことを言っていいのか?とか
励ますだけでいいのか?とか
迷ってばかりです。
どのように声をかけて
接していけばよいでしょうか。
アドバイスをください…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現状を受け入れていくところに、病からの克服はある。
こんばんは。亀山純史と申します。
人は理想の人生像を持ちながら生きています。小学校でも、自分の将来についての作文を書かせたりしています。確かに、未来に対して理想を掲げ、それに向かって生きていくことは大変すばらしいことですが、もしも、その理想から外れるような出来事が人生におきたらどうするか、ということが、私たちが自分の人生を生き抜いていく上で、とても大切なことになってきます。今回のご相談の病気というものも、そういった自分の理想から外れるような出来事のひとつなわけです。
病気を持ちながら生き抜いた人で、私がしばしばこのhasunohaでもご紹介している人に、天才将棋棋士であった村山聖九段がおります。彼は1998年に29歳という若さでこの世を去ってしまいましたが、彼の人生を描いた小説、『聖(さとし)の青春』は、映画化もされました。彼は五歳のときに腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかり、死ぬまで闘病生活を強いられることになるのです。そのような彼はいくつもの言葉を残しています。
「なぜこんな病気になってしまったのか、自分は運が悪いといった感情は体にも心にもよくありません。もっともっと体に障害がある人は苦しい思いをしているはずです。」
「ネフローゼという事を短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切だと思います。私自身も修行時代、もし健康だったらと思うことはありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」
上記の村山聖棋士の言葉から、病が完治するということだけが、「病を克服する」ということではなく、「病と共に生きていく」ということも「病を克服する」ということなのだ、ということを私自身、教わったと思っています。そして「病と共に生きていく」ためには、現状を受け入れ、決して「健康だったら…」などという現状を否定するような発言はしないことでしょう。
以上が私からの回答になります。少しでもお役に立てればと思っております。
ネットで調べてみると明るい情報もあります。
例えばこの人
(編集部より。URLは編集しました)
どうやら手術した様子。
それでも仕事復帰できてるみたいです。
奥さんも子供もいる様子。
だから、息子さんも大丈夫。
色々辛い時、苦しい時もあると思うけど、何とかなると思っていきましょう。
医学も年々進歩していますからね。
気になるのは職場かな。
事情を話してできる範囲で配慮してもらいましょう。
息子さんには常に前向きに接してあげてくださいね。家族が前向きだったら息子さんもつられて前向きになれますからね。
質問者からのお礼
柳原貫道様、ありがとうございます。
普段通りに過ごせるように
心がけたいと思います。
今は、1人でいる時間は
ネットの情報から絶望感しかありませんが
がんばって支えたいです。
亀山純史様、ありがとうございます。
村山聖九段の言葉心に響きました。
病とともに生きていく…そうですね。
少しずつ現状を受け入れていきます。
私が代われたらいいのにと思います
辛いです。
三宅 聖章様、ありがとうございます。
サイトを見ました。
強く明るく生きられていてすごいなと
思うとともに
やはりそこまで悪化するんだということを知り
絶望と両方を感じました。
前向きに子供を支えたいです。
柳原様、亀山様、三宅様、
お言葉をありがとうございました。
文章が苦手な上に 今心が病んでしまっていて
ちゃんとした言葉でお礼を書けずに
申し訳ありません。
また相談をすることがあると思います。
これからもよろしくお願い致します。