元気なのに死にたいです
何かにつけて、「死にたい」と思ってしまいます。
少し前まで、すごく落ち込んでいた時期があり、死にたい消えたいと思っていました。
でもそれは、「変わりたい!」という気持ちの裏返しだなと気がつきました。ここでのアドバイスも頂いた上で、なりたい自分を目指し、思い切って行動するようになり、うまく行くことも多くなりました。
気持ちの浮き沈みも少なくなり、幸せだな〜と感じています。
それなのに、ふとしたときに、「あ〜死にたいな〜」と思ってしまいます。
特にこれといった理由もないのです。
毎日充実していると思うし、目標もある。
それなのに、口癖のように、ぽろっと出てしまうし、気持ちもこもっているのです。
なんでだろう?と考えてみても、まあ特に生きる理由もないな、と思ってしまって、どちらかというと生きる方がめんどくさいからかな?と思ったりします。
特に辛くもないのに、死にたくなるのは何故なんでしょう。
死ぬつもりは毛頭なくて、できれば死にたいと思わずに邁進したいのです。
こうして日頃から死にたいと思ってしまうから、少しの辛さでも耐えられなくて、本当に死にたい!もう消えたい!という気持ちになってしまう時があるのかな、とさえ思います。
死にたいと思わずに過ごしたいです。
どうしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きるのって何かとめんどくさいですよね。
でもね、めんどくさい事って、後になって振り返ってみると、やってよかったと思う事が多いんですよね。
仕事するのめんどくさいなって思ったけど、仕事が終わったら、やってよかったなって思いますし、料理するのめんどくさいなって思ったけど、食べてみて美味しかったら、家族が美味しいって言ってくれたら、料理してよかったなって思う事が多いです。
勉強もそう、掃除もそう、人と会うのもそう、やる前はめんどくさいと思うのですが、後になってみると、やってよかったと思うことが多いのです。
つまり、めんどくさい事、イコール、やった方がいい事、という関係なのですね。
なので、あなたが何かについて、めんどくさいなって思ったら、それはやった方がいい事だなって思って実行したらいいと思いますよ。
生きるのって本当にめんどくさいですね。
でもそれは、後になったらきっと、生きてよかったと思える時がある、ということですよ。
身口意の三業
あんまり重大事のように扱わないことです。
口癖のように…といいますか、口癖なんですよ、単に。頭の中の口癖。
仏教に「身口意の三業」(シンクイのサンゴウ)という言葉があります。仕草や言葉の癖だけでなく、頭の中にも癖が有るんですね。
変に思い悩んでしまうと結果として思いがこもってしまいます。
頭の中の口癖。ただそれだけのことでしょう。ただ死にたいという『言葉を思い浮かべている』だけで、死にたいという『欲求ではない』。だから大した問題じゃない。まずはそう思って下さい。『これはただの頭の口癖だ。大したことない。』という言葉を思い浮かべて、それを頭の口癖にしましょう。
些細なことだと思う癖がつけばしょっちゅう思うことも次第に減りますし、思ってしまっても延焼しなくなります。
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございます。
めんどくさいことはやった方がいいことについては、本当にそうだと思います。めんどくさいことは、大抵が避けて通れないことなんです。しかし、避けて通れないとするのは、今後の自分のためであり、自分の目指す姿のためにやった方がいいことだと気がつきました。
また、頭の中の癖については、「死にたい」と口走ってしまったあとには、とにかくこれは口癖だ、また癖が出ちゃったと思うようにしました。まだ癖が出てしまう辛さはありますが、今まで欲求のように思っていた部分は少し和らいだような気もします。
今後も上手く思考を切り替えていけるようにしたいと思います。
ありがとうございました。