嫌な想像ばかりはたらかせてしまいます
私はものごころついた頃から意識するしないに関わらず空想や想像をすることがとても多いです。
なにもない空の状態から物を考えたりすることもあれば、どこかで見たり聞いたり読んだりした話をきっかけに広げることもあります。
ですがその内容を自分で上手くコントロールすることができません。ネガティブな性質なのか特別苦労したり悲しい目にあったりした訳でもないのに悲しい想像や悲惨なイメージを広げて気分がそちらにひっぱられがちです。
オカルトじみた迷信や予言さえ真に受けて考えを広げてしまいます。
正直杞憂だなと自分でも思うレベルです。
確かに悲しい気持ちになるし何もする気が起きなくなりますし、場合によってはストレスで体調に影響を及ぼしたりしますが原因が言ってもどうにもならないバカバカしいことだとわかっているので周りの人に話すこともできません。
今の実生活に特に不満はありません、世間的にも体感的にも十分に恵まれていると思います。だからこそ何かが失われる想像をしてしまうのかなとも考えます。
恵まれているのに勝手に一人で悲しい事を考えて気分を沈めるのは本当にナンセンスだとおもいます。どうしたら気分を明るい方にむけられるでしょうか。助言いただけたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思いの前にあるのは何?
あなたの得意の空想で空想してごらんなさい。
①あなたが空想を働かせる以前には何がありますか?
②あなたがパンにバターを塗る前はパンはどうなっていますか?
③東京に雪が振る前、融けたあとは何がありますか?
④焼き鳥のタレを塗る前の焼き鳥はどうですか?
⑤ウナギにタレを塗る前のウナギはどうですか?
あなたの得意の空想でそれを感じてごらんなさい。
空想では、感じられないのです。
もちろん空想がそこまで運んでくれることはあります。
ですが、空想では思いの前には至らない。
何故なら、空想する前を観よ、といっているから空想を果たらせながらそこは見えない。
あなたのような方のためにこそ坐禅はあります。
坐禅はその思いの前後の事実をみるのです。
思いが始まる前。思いが尽きた後。
そこに意を注いでみてください。
物事や出てきた思いに、思いを付加させない生活が禅です。坐禅会でお待ちしております。
あなたはまだ思いに使われていると思います。
あなたが思いを自由自在に使えるようになれるといいと思います。