お坊さんへの相談が殺到しており、質問受付数を制限中です。

回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

心の中に残っている黒い塊を解消したい

いつも仏教のこと教えてくださってありがとうございます。
いつもは質問なのですが、今日は実は相談なんです。ずっと心の中にしまっておいたことがどうしても解消できなくて、ここでご相談させていただきたいと思いました。楽しい話題でなくて、長文ですみません。

私は前の職場で日本人の上司とその取り巻きの日本人集団のいじめに遭っていたのですが、普段のいじめはともかく、いまだにどうしても許せないことがあって心の中で黒い塊になっています。法律的には裁けないようなので彼らのことは野放しにするしかないのですが、彼らをどうこうしようというわけではなく(本当はしてやりたいけど)、自分の心の中の黒い塊を何とかしたいと思います。

それは、去年亡くなった父の死に目に会せてもらえなかったことです。
父は難病で近いうちに危篤状態になりそうだったので、私は以前から上司に近々忌引きでお休みすることになるということをお話して、急にお休みする場合はどうすればいいかなどきいていました。
その時は上司の携帯に電話すれば調整すると言われていたのですが、いざ父が危篤状態になって電話したらいつも通り次の日出勤するように言われました。そして私はその日は実家へ帰らないで次の日出勤してその足で帰ろうとしたのですが、次の日母から「お父さん、亡くなったよ.....だって息していないもの」と電話がありました。

普段からいつでも私をクビにできると言われていたので、今思えば職場も全部捨てていいから無理やり休んでしまえばよかったのだけれど、当時はできませんでした。
後でわかったことですが、その日なぜ私が出勤しなければいけなかったかというと単にその上司が朝遅く出勤したかったからというだけで私を休ませることは本当は問題なかったそうです。

事情があって私は将来日本を離れるので、幸せを大切に考えて嫌な人や思い出とサヨナラするのが一番だと思うけれど、父が亡くなった時彼らがいじめの首領の定年退職祝いの準備をしてげらげら笑っていたり、私の顔を見てお悔やみの逆でにやにやしていたのが許せなくて、恨みと怒りがどうしても消えません。

最後に、私がハスノハに入りたての頃お坊様方が成仏についてそれぞれ教えてくださった事、とても感謝しています。父は成仏している、生きている私達の心で成仏させる。お父さんは仏様になったんだ....と、本当に救いになりました。

怒りを抑える
有り難し 17
回答 1

質問投稿日: 2018年9月21日 0:44

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

縁起に極まる

L.Mさんこんにちは、ご相談拝読しました。心にずっとお抱えの問題があるのですね。

私はL.Mさんやここhasunohaに相談を寄せていただく皆様の様などうしても許せない経験を他者からもたらされたことは今のところはありません。
しかし様々な境遇をお聞かせいただく中で、自分に引き当てて考えた想像にすぎませんが、その相手を許すとか、その行為を許すということはできないこともあるだろうと感じます。

しかし仏教に縁をいただいたからこそ、その相手や行為は許せずとも、そのように至った「縁を許す(認める・受け止める)」という救いは開かれているとも感じています。

既にご承知の通り仏教は縁起の教えです。縁によって物事は生じるということです。ですから起きてしまったその時はそうとしかなりようのなかった物事なのです。

L.Mさんはその時悔しかったのですよね。情けなかったのですよね。許せなかったのですよね。そして今もなお許せないでいるのですよね。それがこれまでにL.Mさんがいただいたご縁です。

そしてその上司や取り巻きが当時そのようなひどい行為に及んだのも、その当時にそれまで彼らがいただいたご縁によるものであります。
(いじめをしたいと生まれてくる命はない。様々な境遇によりいじめをしてしまうような条件がととのってしまったという悲しむべき縁)

それを私が許そうとも許せずとも、「それはそれとして縁によりそうなった」。

その事実はいつも目の前の物事について「あなたはこの事実をどう受け止める(解釈する)の?」と「(今の)私の問題」として問い返してくれます。私の外側の問題も私が見る時は全て「(今の)私の問題」であるのです。

そこにはとてつもない厳しさと同時に心地よくもある満足感が私には感じられます。

今これからをどう見るか=「私の問題であるという主体性」
過去から今までは縁よる=「責任からの解放」

この二つの矛盾するような救いが両立するのが仏教の面白いところだと感じます。

怨みや怒りは消えろといくら念じても消えません。しかし消える縁がととのえば消えて欲しくなくとも消えるものです。今消えてないものに責任は持たなくてよいのです。

最後に、海外に行かれるのですね。お会いしたことはありませんが遠くに行かれると聞くと少し寂しくも感じます。また色んなお話をお聞かせください。

8ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

文法先生、こんな泣き言に助言をくださってありがとうございます。

怨みも怒りも消えるご縁が整えば消えてほしくなくとも消えていく、今消えていないものに責任を持たなくてよい – 敵を許すように祈っても憎しみが増すばかりだったのが、ふーっと楽になれました。

はい、そうなったご縁を許すことはできます。許す前にもう事実なので、認めるものだし....今まで私は出来事に神のご意志が働いていて意味があると思うようにしていたけれど、それですべて納得するのは無理があると気づきました - いや、前から気づいてはいたのだけど立場上認めづらかったというのが正しいです。多数のご縁のめぐり合わせで起こった事を受け入れるほうが自然だと思います。

もとはといえば、いじめで職を失くしたことで日本を出るきっかけができました。永住権を取るのに何年もかかる気の長い話なので、今すぐにというわけにはいきません。日本にいるうちも向こうに行った後も、私は仏教をずっと勉強していきます(だってこんなに面白いんだもん)。

私は「最後になりましたが大切なことです」という言葉を時々長文の最終段落の文頭に使うけれど、ハスノハ最後という意味ではないので、これからも教えてください。

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