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心の中に残っている黒い塊を解消したい

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有り難し有り難し 22

いつも仏教のこと教えてくださってありがとうございます。
いつもは質問なのですが、今日は実は相談なんです。ずっと心の中にしまっておいたことがどうしても解消できなくて、ここでご相談させていただきたいと思いました。楽しい話題でなくて、長文ですみません。

私は前の職場で日本人の上司とその取り巻きの日本人集団のいじめに遭っていたのですが、普段のいじめはともかく、いまだにどうしても許せないことがあって心の中で黒い塊になっています。法律的には裁けないようなので彼らのことは野放しにするしかないのですが、彼らをどうこうしようというわけではなく(本当はしてやりたいけど)、自分の心の中の黒い塊を何とかしたいと思います。

それは、去年亡くなった父の死に目に会せてもらえなかったことです。
父は難病で近いうちに危篤状態になりそうだったので、私は以前から上司に近々忌引きでお休みすることになるということをお話して、急にお休みする場合はどうすればいいかなどきいていました。
その時は上司の携帯に電話すれば調整すると言われていたのですが、いざ父が危篤状態になって電話したらいつも通り次の日出勤するように言われました。そして私はその日は実家へ帰らないで次の日出勤してその足で帰ろうとしたのですが、次の日母から「お父さん、亡くなったよ.....だって息していないもの」と電話がありました。

普段からいつでも私をクビにできると言われていたので、今思えば職場も全部捨てていいから無理やり休んでしまえばよかったのだけれど、当時はできませんでした。
後でわかったことですが、その日なぜ私が出勤しなければいけなかったかというと単にその上司が朝遅く出勤したかったからというだけで私を休ませることは本当は問題なかったそうです。

事情があって私は将来日本を離れるので、幸せを大切に考えて嫌な人や思い出とサヨナラするのが一番だと思うけれど、父が亡くなった時彼らがいじめの首領の定年退職祝いの準備をしてげらげら笑っていたり、私の顔を見てお悔やみの逆でにやにやしていたのが許せなくて、恨みと怒りがどうしても消えません。

最後に、私がハスノハに入りたての頃お坊様方が成仏についてそれぞれ教えてくださった事、とても感謝しています。父は成仏している、生きている私達の心で成仏させる。お父さんは仏様になったんだ....と、本当に救いになりました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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縁起に極まる

L.Mさんこんにちは、ご相談拝読しました。心にずっとお抱えの問題があるのですね。

私はL.Mさんやここhasunohaに相談を寄せていただく皆様の様などうしても許せない経験を他者からもたらされたことは今のところはありません。
しかし様々な境遇をお聞かせいただく中で、自分に引き当てて考えた想像にすぎませんが、その相手を許すとか、その行為を許すということはできないこともあるだろうと感じます。

しかし仏教に縁をいただいたからこそ、その相手や行為は許せずとも、そのように至った「縁を許す(認める・受け止める)」という救いは開かれているとも感じています。

既にご承知の通り仏教は縁起の教えです。縁によって物事は生じるということです。ですから起きてしまったその時はそうとしかなりようのなかった物事なのです。

L.Mさんはその時悔しかったのですよね。情けなかったのですよね。許せなかったのですよね。そして今もなお許せないでいるのですよね。それがこれまでにL.Mさんがいただいたご縁です。

そしてその上司や取り巻きが当時そのようなひどい行為に及んだのも、その当時にそれまで彼らがいただいたご縁によるものであります。
(いじめをしたいと生まれてくる命はない。様々な境遇によりいじめをしてしまうような条件がととのってしまったという悲しむべき縁)

それを私が許そうとも許せずとも、「それはそれとして縁によりそうなった」。

その事実はいつも目の前の物事について「あなたはこの事実をどう受け止める(解釈する)の?」と「(今の)私の問題」として問い返してくれます。私の外側の問題も私が見る時は全て「(今の)私の問題」であるのです。

そこにはとてつもない厳しさと同時に心地よくもある満足感が私には感じられます。

今これからをどう見るか=「私の問題であるという主体性」
過去から今までは縁よる=「責任からの解放」

この二つの矛盾するような救いが両立するのが仏教の面白いところだと感じます。

怨みや怒りは消えろといくら念じても消えません。しかし消える縁がととのえば消えて欲しくなくとも消えるものです。今消えてないものに責任は持たなくてよいのです。

最後に、海外に行かれるのですね。お会いしたことはありませんが遠くに行かれると聞くと少し寂しくも感じます。また色んなお話をお聞かせください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

文法先生、こんな泣き言に助言をくださってありがとうございます。

怨みも怒りも消えるご縁が整えば消えてほしくなくとも消えていく、今消えていないものに責任を持たなくてよい – 敵を許すように祈っても憎しみが増すばかりだったのが、ふーっと楽になれました。

はい、そうなったご縁を許すことはできます。許す前にもう事実なので、認めるものだし....今まで私は出来事に神のご意志が働いていて意味があると思うようにしていたけれど、それですべて納得するのは無理があると気づきました - いや、前から気づいてはいたのだけど立場上認めづらかったというのが正しいです。多数のご縁のめぐり合わせで起こった事を受け入れるほうが自然だと思います。

もとはといえば、いじめで職を失くしたことで日本を出るきっかけができました。永住権を取るのに何年もかかる気の長い話なので、今すぐにというわけにはいきません。日本にいるうちも向こうに行った後も、私は仏教をずっと勉強していきます(だってこんなに面白いんだもん)。

私は「最後になりましたが大切なことです」という言葉を時々長文の最終段落の文頭に使うけれど、ハスノハ最後という意味ではないので、これからも教えてください。

「嫌なことを思い出す・忘れたい」問答一覧

学生時代の嫌な思い出が忘れられない

社会人になって7年ほど経ちますが、いまだに高校生時代の嫌な思い出ばかり思い出してしまいます。 当時、一年生の時は友達だった数名がいました。しかし段々とおそらく相手にとって私は気が合わない存在になったようで、そのうち私以外で遊びに行くようになり、SNSでそれを悪びれることなく投稿していました。 私はそれを見てハブられていることに気づいて傷ついているのに、それでもその友人数名に固執してひっつき回っていました。 ハブられる以前に、私は彼女たちに見下されていたようです。いつも雑にイジられて小馬鹿にされていました。 卒業間近になるころには「友達でいたい」という気持ちと「ひどいことをする人なのだから不幸になってほしい」という気持ちの2つが同居するようになりました。 あれから数年経ち、最早連絡を取っていないくらいですから、忘れて今の人間関係の構築をすればいいのですが、ときどき夢に出てはまた小馬鹿にされるのです。 たまに思い出しては「痛い目に遭っているといいのに」などと呪ってしまう自分が醜くてしんどいです。忘れたいと思うほどに思い出してしまいます。 このような忘れたいのに忘れられない記憶とはどう向き合えばいいでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

脳裏に浮かぶ嫌な奴を消す方法

お世話になっております。 ふとした瞬間に、過去にひどい言動をしてきた奴や、 暴力を振るってきた奴の事が 脳裏によみがえり嫌な気分になって苦しんでは掻き消して、また浮かんでくる、 といったことがどうしても繰り返されます。 内容は学生時代、自分が同級生から一方的に暴力を受けたり、 嘲笑されたりした屈辱的なもので、どうしても頭に浮かんでくるのを止めることができません。浮かぶとすぐに止めようとするのですが、どう頑張っても勝手に脳内再生されて、奴らの顔、言葉、 一連の流れが終わるまで消えてくれないのです。 当時は知恵も勇気も力もなく(学力、運動能力等) 相手が怖くてただやられることを受け入れるだけでした。 その根底には今の精神状態なら反撃できるのに、と言った悔しさと当時の無力感があるのだと思います。できる事ならば、報復して過去ごと消し去りたいと考えるのですが、現在の立ち位置や法律等を思えば、面倒ですし、時間もかかりますし、胃が痛くなるだけなので、流石に目の前に再び現れて挑発でもしてこない限り、そうは思いません。 しかし、せめて毎日悔しい映像が浮かんでくるのを止めたいと思います。 基本的に仕事中に退屈になった時、奴らと似たような名字を見た時、 入浴中など手持無沙汰になった時に脳裏に現れます。 どのような心がけ(修行を積む)で生きれば このような嫌な記憶を引き出さずにいられるのでしょうか? ちなみに仕事や生活、金銭面は順調で、 独身であること以外はそこそこ普通に過ごせております。

有り難し有り難し 7
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昔、コンビニで働いてた頃の消えない傷

昔の事でずっとずっと消えたくても消えない心の傷を相談させてください。 私が20歳の時、生まれて初めてアルバイトをし始めて数カ月たったころでしょうか いつものレジ打ちで、一つの大きなミスをしていました。 それは、レジの金額差異がマイナス5000円出してしまった事です。 私は、どうしてこのようなミスをしてしまったのかショックで頭真っ白になってしまいました。 コンビニのチーフさんから「どうしてこうなったんですか?」や「反省してるなら行動で示せ!」とか「お前反省してないだろ!!」と怒鳴られ、酷く怖い思いをしました…… でも、もっともっと辛いのは、副店長に言われたことが 「お前はどこの会社に入っても、3日でクビにされる」 という言葉が、今でも無意識の中でも、前に働いてた100円ショップのアルバイトにいたころでも、忘れられないのです…… その言葉に憑依されたかのように、私は新しい職場で働きに行こうを思えなくなり、ずっと人間を信じない思いをしてしまうばかりか、始めようとする一歩が 全く踏み出せないのです…… 今でもずっと頭の中でも聞こえるんです。 「お前はどこの会社に行っても3日でクビにされる」 「3日でクビにされる」 「お前はどこに行っても…」 私は今、悲しくて、人間が怖くて、何もかも信じられなくて、新しい未来に踏み出せないニートです。 私は一回の大きなミスで本当にどこの会社でもバイトでも、本当に3日でクビにされる目に遭う天罰が下るんでしょうか… 私の生き方は真面目に正社員として働く人間と全く違う、劣化した人間だという事を認めざるを得ないんでしょうか…

有り難し有り難し 19
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数年越しに謝りたいと連絡がきました。

嫌がらせをしてきた同僚から数年越しに謝りたいと間接的に人を通して連絡が来ました。 当時勤めていた会社で、数年にわたりその方から嫌がらせを受けていました。 大人だから、仕事だからと割り切り働いていましたが適応障害になるほど苦しめられ薬なしでは身体も動かなくなり退職しました。 ずっと夢だった場所で働いていたので、正直辞めたあとも数年間引きずりました。 その人は今でもその会社に勤めています。 そして何故か今更「あの時のことを直接謝りたい。本当に自分が悪かったと思ってる。」と言ってるらしく共通の知人を通して連絡が来ました。 今更なんなんだ。 あなたのせいでこっちは人生狂わされたんだ。 謝りたいのは自分が許されたいだけだろ。 と怒りがわきました。 昔のことが蘇ってきて辛いし、なぜこんな人のせいでまた落ち込まないといけないのという気持ちになります。 私は二度と会いたくないです。 許したくもないです。 ただこの選択をするとなんてちっさい人間なんだって自己嫌悪になります。 自分よがりな謝罪なんて要らない。巻き込まないで欲しかった。ほっといて欲しかった。 感情がぶわっと溢れてしまって辛いです。 どうするのが正解なのか分かりません。

有り難し有り難し 23
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ