ネットでの言葉の使い方について
私はネットゲーム(オンラインゲーム)楽しんでいますが、どうしても気になることがあります。
それは、リアルの世界ではほぼ聞くことのない「はい、死んだ~」「(討伐対象のモンスターに向かって)殺す」「クソ」「地雷」「盗撮」などです。使う人を見ると悲しくなります。
「死んだ」を「倒れちゃった」「パタリした」
「殺す」を「倒す」「狩る」
「クソ」を「くやしい!」
と表現を言い変えるのは平気でいられます。
「地雷」は仲間の足を引っ張る人に向けての暴言。
「盗撮」は友達のキャラクターを勝手にスクリーンショットする事。
暴言は止めて欲しいし、盗撮は良い言葉ではないと思うんですが…
それを仲間に言うと「ゲームだし」「みんな楽しんでるのに水を差す事言わないで」と言われます。SNSで訴えても500人も居るフォロワーさん誰一人反応してくれません。むしろその言葉を冗談で楽しんで使っています。
でも、考えてみたんです。私には子供がいます。もし、仮に私がその言葉をゲームしながら楽しそうに発言すると、子供はそれを“お母さん楽しそう”=“その言葉は良い言葉である”と認識すると思うんです。きちんと子供に教えていれば問題はないのかもしれませんが。
最近は通話をしながらゲームを楽しむ人が増えています。通話している相手は未成年だったりもします。好きなゲームのイメージ、または友達が第三者から見て聞いて悪いイメージを持たれるのも嫌です。
SNSやゲーム内の友達に直して欲しいのですが、どう伝えれば良いか。素直に話しても同じことを言われるのではないか。理解してくれる人は居ないんじゃないかと不安です。好きだからこそ良い未来にするにはどうすれば良いか悩んでいます。
家族に相談しても「ネットのことは分からない。」「やめればいいじゃん。」と理解してくれません。どうか私に知恵をお貸しください。
長文失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「遠離」 (加筆しました)
「佛垂般涅槃略説教誡教(遺教教)(遺経)」というお経があります。お釈迦様が亡くなる直前にした最後の説法の内容が示されたものとされます。
そのお経の中に「八大人覚」という教えがあり、その「八大人覚」のひとつに「遠離(おんり)」があります。
以下お経を訳したもの。
「比丘達よ、もし寂静にして畏れない安楽を求めるならば、喧噪の地を離れて独り閑静な地で留まるがよい。静かな所(を好んで道を修める)の人は、帝釈天など諸々の神々が篤く敬うところである。であるから様々な人々との関わり交わりを捨て、ひっそりとして静かな地にて独り留まり「苦」を滅する法を行うべきである。もし人々との交わりを喜ぶ者は、諸々の事柄に悩まされるであろう。譬えば大きな樹に多くの鳥が群がれば、折れたり枯れたりする患いがあるようなものである。世間という束縛・執着は(人々に)諸々の苦悩を起こして逃れられなくなる。譬えば老いた象が泥沼にはまって溺れ、自分で出ることが出来なくなるようなものである。これを遠離と名づける。」
とあります。
心を乱すものからは離れなさいと説いたのです。
お子様のいるときはゲームをせずに、お子様と遊び、正しい日本語で話すように心がけるようにしましょう。
そのゲームで使われている言葉の使い方が気になるのなら、そのゲームからは離れると良いでしょう。
それも未来の社会を生きる子のための教育
すごく分かります。私もそんな理由や諸々の理由で、子供が分かる年ごろになってもう一年近くインしてません。むしろ据置きをほぼ子供(と妻)に譲った感じで私はSteamです。時々据置きで一緒にやります。ぶっちゃけ子供に一番影響されたくないものの1つがネット社会での『荒れ』ですよね。ゲームに限ったことではありませんが。
ぶっちゃけネット社会での人間性はリアルと別人になるのではなく、リアルで猫かぶっている部分がネットでは正直に現れているだけです。だから本質的にゲーム社会を居心地よくするためには、リアルの教育や啓蒙の段階から取り組まねばなりません。その手段の1つは仏教の教えを広めることです。
そこまで視野に入れなければ、例えば公式フォーラム等でママ友パパ友募集板を作り、『子供に聞かせても大丈夫な言葉遣いを望む人』を募ることもできます。リアルでも人生観や価値観が違い過ぎる人とは上手くいかないものです。ネットでも同じです。そういった立ち回りは後の社会で必要なスキルとなると思います。
あと、単純にギスギスせず強迫観念の薄いゲームを選ぶのも大切です。まぁ、ギスギスするゲームほど売れるから困るんですけどね。ゲーム市場はもっと支え合うことやリスペクトし合うことの心地良さに目覚めるべきです。長い目で見て本当にゲーム市場に必要なのは競技性ではなくスポーツマンシップです。
ところで、私はどこかの段階で親が子供をネット社会に連れて行ってやるべきだと考えています。夏休み等になるとどこも一気に荒れますが、あんなやり取りを普通だと思いながら育つことは恐ろしいことです。よく親御さんは放っておけるなと思います。無関心過ぎるでしょう。とは言っても、荒れるキッカケは子供でも本当に闇が深いのは大人なのが頭痛の種ですが。
今の時代、どんなに蓋をしてもいずれ子供の目に入ります。そしてビジネスの場も私生活も今後どんどんオンライン化する一方です。その中で何を反面教師とし何を見習うか。子供が進むべき方向を示せるのは親だけです。子供が社会に出た時、どんな社会になってるか想像してみて下さい。
スマホを買い与える年になったら親と一緒にオンラインゲームするくらいが理想だと思います。リアルで猫かぶっている部分がネットでは正直に現れるということは、不特定多数の人達の正直に現れた部分を見て育つということでもあるのですから
便利な言葉
例えば…↓以下wiki等出典
*ヤバい*
戦前、囚人が看守を「やば」と呼んだことを語源とする説もあるが、「やば」は江戸後期には既に使われているため、形容詞化の由来としては考慮できるが、「やば」の語源としては誤りで、「彌危ない(いやあぶない)」「あやぶい」と同じ語系と考えられる。 その他、「夜這い」が転じ、「やばい」になったとする説もあるが、民間語源説である。
今は誰しも普通に使っている言葉が、元は非常に限定された環境下でのみ使われていたものだったりします。
特定の状況を言葉で形容する時というのは、回りくどい表現は敬遠されます。なるべく一言でダイレクトにその状況を表す言葉に淘汰されていくのが常でしょう。
とは言え「死んだ」「殺す」「クソ」これらは決して行儀のよい言葉ではありませんが、一定の状況を形容するためには非常にストレートで使い良い表現になり得るものです。
「死んだ」→疲れた~という感情、動かない状況 を表す時にも
「殺す」 →何かの働きを抑える、動作を制御する時にも
「クソ」 →英語の「Shit」から来ているんでしょうかね、「とても○○」を表現する時にも
ちなみに、他者に「直せ」と強要しても多分直らないでしょうね…
こういうのは「カワイイ」とか「微妙」とか、一種の「流行り言葉」の一面もあると思いますので、もうこっちから違う言葉を流行らせるほか対抗策はないでしょうね。
うちの子も最近はこういう言葉をよく使います。友達やYouTube等から吸収するのでしょう。
よっぽど気になるときはTPOをしっかり教えるとか本当の意味をちゃんと伝えておくだとかしていますが、親の側が面倒くさがりにならずその辺の教育をおさえておけば、子供は多分大丈夫だと思いますよ(^^)
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。
私は子供が寝てから趣味を楽しんでいるので、子供が一緒に居る間は一緒にいます。
誤解させたようで申し訳ありません…
普伝院 TAIKEN(FDN) さん、コメントありがとうございます。
昔の言葉が現代では良い言葉になっていたり、「直して欲しい」は強制感があるのでその通りなんですよね(;^ω^)私も言い方伝え方まだまだですが、良い言葉で流行らせる対策を頑張ってみます!!