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自分の醜さに絶望しました。 自己嫌悪が止まりません。

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有り難し有り難し 24

かにかまと申します。
自分自身の過去に対する自己嫌悪が止まりません。自分の醜さに絶望しました。

自分は他者と争いになった時は、悔しくても場を納めるために、自分から折れたり、怒りを相手にぶつけないようにしてきました。どちらかというと我慢する方でした。

自分は平均以上の知性と理性を持っている人間だと今の今まで信じておりました。

しかし、ふとしたことがきっかけで
自分がやってしまった悪いこと
(犯罪ではなく、他人を傷つけてしまった、他人に八つ当たりしてしまった、他人に失礼な態度をとってしまった、友人に嫌なことをしていた、友人にひどいことをしてしまった、他人を馬鹿にするようなことを言っていた、後輩をイジってしまった...など)

を思い出してしまい、自己嫌悪に陥りました。自分の醜さに耐えることが厳しく、とても辛いです。

他人にされる嫌がらせを人一倍嫌がり、それをした相手を人一倍嫌うくせに

自分が無意識に他人にやってきた何気ないことは、他人にとって、とても嫌なことだったのではないか?と考えました。

これは本当に恐ろしいです。自分が自分で嫌いなことを無意識に、考えなしに他人に実行してきたということは、このまま何も振り返らずに生きていると、これからもずっと繰り返してしまうということでもあるからです。

自分を被害者だと思っていた事実は、実は違っていて、自分は誰かにとっての加害者かもしれない恐怖と自分への強烈な嫌悪感。もう心が悲鳴を上げそうです。

対策として、紙に書き出しました。
心理学の観点から考え、過去は変えられず、これからどうするかを考えるべきだと結論が出て、これからの対策案を練りました。しかし、過去は変わることはありません

意図的に他人を貶めたり、嫌がらせ、いじめをしたことはありませんが、自分が知らず知らずのうちにしていたことは誰かを不快にさせていたかもしれない恐怖に心が折れそうです

こんなこともある、次上手くやれば良い、そんな考えもあると思います。ですが、自分はこの事実をこのまま流したくない、終わったことだからと開き直りたくない、しっかり向き合いたいと思います。

この事実に対してどう向き合い、これからの未来、これからの人生を生きていくために、どう捉えていけば良いのか、どう考えて生きていくのかのヒントをお教え願えませんか?

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心に絆創膏を。

かにかまさんのご投稿が
既にヒントそのものであるように感じました。
少なくとも私などは、かにかまさんのように在りたいとさえ思います。
不愉快に思われるかもしれませんが。。。

『自分の醜さに絶望しました。』
『これは本当に恐ろしいです。』
『過去は変わることはありません。』

とても誠実な方なのだなと思いました。
胸が熱くなるくらいまっすぐな姿勢ではありませんか。

かにかまさんは自分自身のことで苦しんでいるのではなく
他者との関係を想って、苦しんでらっしゃるのです。
なぜなら他者が無ければそのような問題意識は浮かび出てこないからです。
『自分が自分で嫌いなことを無意識に、考えなしに他人に実行してきた』
『自分が知らず知らずのうちにしていたことは誰かを不快にさせていたかもしれない』
他者を想わなければ出てこない苦しみでしょう?
その心意気に、多くの人々が救われるのだと思います。
「かにかまさんは、私たち他人のことをここまで想ってくれているのだ」と
そんなことが伝わるご投稿だと思いませんか。

ご自身をそのように省みても
変えることのできない過去を背負い続けるのはさぞつらいでしょう。
でも
『自分はこの事実をこのまま流したくない、終わったことだからと開き直りたくない、しっかり向き合いたいと思います。』
とおっしゃっていますでしょう。
どうせなら日本一向き合う男性になっていただきたいです。かつてのお釈迦さまのように。
在家出家を問わず、そのような方を人々は放っておきません。
そんなかにかまさんこそを必要としている方々が必ずいらっしゃるはずです。
どうか、そんな方々との出会いを、ご縁を結んで歩まれますよう願っています。

「過去」とは自分自身の心に他なりません。
たとえ誰かを傷つけてしまっても
ごめんねと、お互いの心に絆創膏を貼れる人になってください。

畏れ多くも、かにかまさんの善き未来をお祈り申し上げて私からの回答とさせていただきます。
ありがとうございました。

                        南無釈迦牟尼仏 合掌

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有り難し
おきもち

吉井浩文
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あなたの素養

拝読させて頂きました。あなたのそのようなお気持ちよく分かります。自分自身がしてしまったことで後から考え直してみるとひどいこと愚かなこと罪深いことをしてしまったと思うと頭の血が逆立つような顔から火が出るような気持ちになりいたたまれなくなってしまうことはよくありますね。
思えば何でも失敗の連続なんじゃないかとさえ思えてきますよね。
改めて自分は何と愚かなものなのだと思います。私もそうですからね。
とはいえその過去は消し去ることはできませんし、その過去を自分の中から出してしまうことはできないのです。
しかしそうしてばかりいては先ず人としてどうかな?と思います。これまで繰り返してきたことからしっかりと学ばなければならないなと思います。人間ですから失敗はつきものですからね。
逆にそこからどう考えてどう生きていくかが重要ですからね。
間違えてしまったことはしっかりと見つめなおして反省して、もし人を傷つけてしまったのならば心から謝ることですからね。
それができなければまた同じような失敗や誤りを繰り返してしまいますからね。
思うに人の分岐点はそこにあるかと思います。己れの考えや行動について真摯な姿勢で向き合い、人に対しても真摯な姿勢でしっかりと向き合うことができるならばその方はすくすくと成長なさっていくでしょうからね。
そして人間関係も広げていくことができるでしょうからね。
あなたにはもうそのような真摯な素養があるかと思います。

あなたがそのように素直なお気持ちで己れを見つめながらこれからの未来をしっかりと見つめ一歩一歩善い道を歩んでいかれますようにと心からお祈りさせて頂きますね。

あなたならば、あなただからそのように成長なさっていくことができるでしょうからね。

頑張ってくださいね。あなたを応援してますね!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

皆さま、こんな取るに足らない悩みにも真摯にお答えくださり、誠にありがとうございます。

お返事が遅れたことをお詫び申し上げます。

自分が招いた罪悪感や自分への情けなさに心が焼かれる思いでしたが
Kousyo Kuuyo Azuma様や吉井浩文様のお答えにより、少しずつ自責の念が治まってきたように思えます。

自分は大それた存在ではありませんが、自分がせっかくの人生を生きるのだから、せめてこれからは目の前の人へ、もう少しだけ気遣いと思いやりを持って接していければと思います。

人が何をどう捉えて傷つくかまでは、全部理解できませんが、少なくとも、自分と接して貰えて、良かったなと思っていただけるような、そんな穏やかな優しさを持つ人になります。
少しずつでいいので、毎日意識します。

お二人のお言葉で、凄く救われました。重ね重ね、ありがとうございました。

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