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生きてたくない

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

とても死にたいです。
死にたい理由は
10年前からとにかく死にたかった。
しかしずーっと頑張って生きてた。
しかし、
頑張ってることが大間違いだった。
それをやめたらとても楽になった。
とても生きてるのが楽になったが、
今までが恥ずかしい。生きているのが惨めです。
今まで何だったんだろうと
無気力です。
涙が毎日止まらないです。
もう絶対立ち上がれないところまできました。
病院も行ってたけど、助けてくれなかったからムカつきます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

でも、生きてほしい

uuさん
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

10年もの間、ずっと死にたい思いを抱えていらっしゃったのですね。
長い間、よく頑張って来られましたね。

でも頑張ることを止めたら、楽になったとのこと。
それが恥ずかしい、惨めだとおっしゃいますが、私はuuさんが一歩前に進まれたのではないかと思います。

せっかく、とても楽になったのです。
涙を流しながらでも、もう少し歩んでみませんか。

14
有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

暇ならいらっしゃい

金沢のお寺です。

9
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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