回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝読させて頂きました。
生きることも死ぬこともやっぱり本当大変ですね。つくづく実感致します。
楽に死のことはなかなか難しいと私も思います。
とはいえ私達はいつかは天寿を全うする時がきます。
私達はこの世の不思議なご縁でいろんな方々に出会い、沢山の辛いことや少しの嬉しいことに出会い生き抜いて往きます。
その天寿を全うなさる時必ず仏様や親しい方々があなたも私も導いて下さいます。
あなたがこれからも健やかにその人生を生き抜いていかれ沢山の嬉しいことに出会い、そして天寿を全うなさり、そして天寿を全うなさる時必ず仏様があなたを正しくお導きなさって下さいます様にと真心を込めてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつと
あなたは必ず仏様が救って下さいます。
辛いことも苦しいこともあるでしょうけれどもその思いを仏様に手を合わせてお伝えなさってくださいね。
仏様は必ずあなたを受け止めて下さいます。そしてあなたを救って下さいますからね。
これからどうか共に仏様を思い手を合わせてお念仏おとなえなさって下さいね。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつと
日常に仏教の修習を
川口英俊でございます。
「自殺」の反対は何になるのだろうかと考えてみたら、「自生」となるのかと思いましたが、「自生」は、仏教では否定されるのですよね・・
自分は、自分から生まれることができるのか、となれば、そんなことはあり得ないからであります。
もしそうなら無限に自分から自分を生じさせられることができるはずでもありますが、そんなことはあり得ないのであります。
最も端的に「自生」を否定していることが表されているのが、龍樹大師「根本中論」の「観因縁品」(第一・第三偈)『もろもろの「存在(もの・こと)」は、どこにおいても、どのようなものでも、自身から、また他者から、また〔自身と他者との〕両者から、また無因から、生じたものとして存在することは、決してない。』とございます。
そして、「自生」が成り立たないのであれば、「自殺」(自滅)もやはり成り立たないのではないだろうか・・と。
というよりも自性・実体による成立を否定する仏教においては、結論的には成り立たないのであります。
とにかく、自分という存在は、他に依存して成り立っているもの。生きる自分も、死後の自分も。因縁により成り立つものとなります。そして、両者ともに善い因縁によれば、善い結果に恵まれることがあり得るところとなります。全ては因縁次第。
この迷い苦しみの輪廻から逃れるためには、今世も、そして、来世も、来来世も、できる限り仏道に努めることによりて、悟り・涅槃への因縁を調えて参りたいところとなります。
今日やるべき宿題を明日に持ち越しても、いずれやらねばならないことに変わりはありません。
できる限り、今世でも生きれるだけ生きて、仏道にも精進して参りたいものでございます。少しずつでも、仏教の修習を日常に取り入れて頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
中田さん、有難うございます。