生き長らえる意味
母親は要介護5で認知症を患っています。
私や他の家族や物の認識が出来なくなっていますが、居宅サービスを利用しながら在宅介護をしています。
多分今の母を施設に入所させたら、一週間で寝たきりになるでしょう、今は私達家族が寝たきりにさせないように、在宅の時は車椅子に座らせるようにしています。
反応が無い事が多いのですが、声掛けも出来るだけやるようにしています。
とにかく傾眠を無くそうと頑張っていますが、母にとって果たして幸せなのか?
母も調子が良い時は私達に答えてくれる時もありますが、このまま施設で静かに暮らした方が母にとってはいいのでは無いのか?
と、考えてしまいます。
元気な頃の母親だったら、今の自分の姿はきっと嘆き悲しむ筈です。
長生きしても母のように何も分からなくなってしまっても、生きる価値はあるのでしょうか?
勿論 命がある限り生きるべきだとは分かっています。
こんな事を書くと、数年前に起こった精神障害者施設の殺人事件の被告人と同じじゃないのか、と思われるかもしれませんが、私は母の姿を見ると悲しくて仕方がないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏さまからの「いのち」を生きる
こんばんは。亀山純史と申します。
介護は本当に大変なことだと思います。そして介護をしている中で、「幸せに感じなければ、生きいている意味がないのではないか。」「長生きをしても、何もわからなくなってしまっては、そこに生きる意味は見いだせないのではないか。」などと考えてしまうのも、無理もないことだと思います。
私たちが「生きる」ということは、私たちが仏さまから頂いた「いのち」をこの世で全うして行くことでしょう。私たちは自分のいのちは、自分のもののように思いがちですが、もとは仏さまからの頂きものです。ですから、粗末にしてはいけないのです。何もわからない赤ちゃんのいのちも、寝たきりになってしまった親のいのちも、ともに仏さまからの頂きものです。そして、「幸せを感じる」「幸せを感じない」「意識がはっきりしている」「何もわからなくなってきている」などということで、いのちの価値が変わるわけではないのです。“仏さまから頂いた”という点で、すべてのいのちは、それがどのような状態にあろうとも、尊いものなのです。
お母様の姿を見ていると、とても悲しくなることは、非常によくわかります。施設に預けるときが来るかもしれませんが、お母様がこの世でいのちを全うして行かれることが、仏さまからのいのちを生きることなのです。
以上が私からの回答です。いつまでもお母様を大切になさってください。
質問者からのお礼
亀山ご住職様 ありがとうございます。
「命は仏様から頂いたもの、命ある限り人の価値は変わらない」事を胸に刻みます。
涙が出ます。
いい歳してこんな当たり前の事もわからないなんて、情け無いです。