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怒る

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有り難し有り難し 59

先日怒るべきことと怒るべきでないことについて質問しました。
ありがとうございました。

その回答はいかなる時も怒るべきではないということでしたが、それはどのような理由からでしょうか?

怒らないせいで苦が増すことも多いと思うのですが。
例えば国民を苦しめる政治とか虐待とか...


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お手数をお掛けいたしました

お釈迦さまは侵攻中の軍を三度まで説得して止めました。でも、三度で諦めました。お釈迦さまは知っていたのです。攻める側も、攻められる側も、お互いに相手を怒らせる悪循環になり過ぎてしまったと。

そこでお釈迦さまは考えました。怒りの悪循環が生まれる前に、怒りの元栓を閉めてしまわないといけない。自分も怒りを離れて苦の原因を止める。被害者も怒りを離れて救われる。加害者もそもそも怒りを起こさないで理不尽をしない。お釈迦さまは、誰が正しく誰が間違っているかとは別のベクトルとして、全方向的に救いを達成しようとしたわけです。

そのため仏教に義憤は相応しくありません。世のためにはそれはそれで避けられないのですが、「仏法と王法は車の両輪の如し」という言葉があるように、それぞれ一長一短があり、どちらも採用するから補完できるという位置付けです。ちょうど病気に対する方法に手術や投薬といった西洋医学と、体質改善や食事療法といった東洋医学があるように。王法は前者、仏教は後者です。色即是空のたとえは生活習慣的な心の有り様の話です。

では元栓を閉めるとはどういうことか。面白いのが、お釈迦さまは弟子同士が戒律を破った破っていないで喧嘩をしているのを見て「他人の非に目を付けていないで自分の修行に専念しろ!」と叱っています。怒りは結局、自分に突き刺さるから。それがどんな義憤であろうと、怒っている限り心の平穏とはかけ離れていますでしょう?

相手を責め立てて、改善させました。それで社会は『良く』なるかもしれません。でも結局、怒りに飲まれて糾弾癖のついた心は次の不当を探して止まないでしょう。
すると遂に人々は満足することなく、その社会を良いと感じることはありません。だから「不当を許さない」ということと「不当を無くせなくても生きていく」という矛盾することを、どこかで矛盾なく同時に達成しないと人は幸せになれないのです。

>もろもろの
あしき業(わざ)をなすとも
おろかの人は
ふかくさとらず
まこと
智すくなきものは
火に焼(原文では別字)かるるごとく
おのれの業(わざ)により
自らくるしむなり
(友松円諦訳『法句経』第136)

お釈迦さまも理不尽に怒らざるを得なかったのが伝わってきます。いい加減にしろと。でも、それでも、怒りでは救われないと自分に言い聞かせ続け、伝え続けたのですよ。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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怒らなくても行動は可能

怒りとは、嫌な気分になること全部をいいます。
悲しみや嫉妬やケチも怒りです。
同じ物を見ても、ある人はすぐ怒る、別の人はなんとも思わないとします。
すぐ怒る人はすぐに嫌な気分になるわけだから、人生のストレスが多く、人生は快適ではないでしょう。
ハンバーガーを食べて「こんなジャンクフード食わせやがって!」としか思えない人はかわいそうでしょう。
怒っているときは不快です。怒りが冷めたら不快も減ります。

怒らない場合で苦を増すことはあります。
たとえば、欲や愚かさの煩悩があるときは、怒ってなくても苦しみの原因になります。
しかし、怒りは必要ではありません。
歯みがきするとき、いちいちバイ菌に怒って攻撃してはいないでしょう。
それでも歯みがきはできます。
悪い政治や犯罪に対しては冷静にツッコミ入れて適切に対処すればよいのです。
こぼれたジュースを静かに拭くときのように。
青に変わった信号を見て一歩出すときのように。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様

再びご返事ありがとうございます。
難しいけどやってみます。

大慈様

再びご返事ありがとうございます。
ようするに、ほどほどにしとかないと永遠に怒ることになるからやめとけってことですかね

「怒りがとまらない・抑えたい」問答一覧

自分の怒りの感情をどう処理したらいい?

上司とかそこまで仲良くないような人に酷いことをされたら怒りを感じても平気ですが、仲良くしていたはずの人に(自分にとって)裏切られたような気持ちになった時に、自分の怒りが正当ではないと思ってそこに怒りを感じていることが理不尽でおかしいことなのではないかと、ストレスが無限ループしてしまってずっと苦しいです。 正当ではない、と思うのも自分の被害妄想なんじゃないかと思ってしまうからです。 相手からコンプレックスを酷く刺激されているのが原因だと思うのですが、コンプレックスは結局、自分自身の問題でしかないため、刺激されたくない部分を持って、そこにコンプレックスを感じている自分が悪いんだと考えてしまいます。 打てる手は全て打ってると思うのですが解決しません。相手との接触を断つ、SNSも全てブロックする。今回の件は恋愛絡みなので、新しい出会いを探す…です。 本人たちに直接怒りをぶつけたらスッキリするのかなと思いましたが、結局、負け犬の遠吠えでしかなく、より自分が惨めになるだけだろうなと思ってしまいます。 そもそも、元々仲良くしていた人たちなので彼らを嫌いになりたくなかった、嫌いになってしまって、SNSを全部ブロックして、彼らの愚痴を共通でない友達に話して、ノートに書き殴っている自分は自分勝手で最低だと思ってしまいます。 その出来事から半年近く経ってもずっと苦しいです。元々根に持ちやすいタイプではやくどうでもいい、となりたいのですがなかなかそうはいかず苦しいです、助けてください。

有り難し有り難し 2
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怒りと怨みの蓄積

お世話になっております。 ここ3年程の他人に対する怒りと怨みの感情が軽減されず蓄積しています。 特に仕事で体験してしまった怒りと怨みが強く残っています。小売業をしていました。客からの理不尽な暴言は、昨日のように蘇ります。また、その頃は職場環境も良いものではなく悪口•陰口が蔓延していました。 私は、沸点が低い方です。暴言を吐く客の中には小学生以下の子供もいました。 職場には「子供だから発言の善悪の区別がつかない。子供はしょうがない」と、流せる寛容な方もいましたが、私は子供でも暴言は許せなかったです。そして、注意もしない親にも腹が立っていました。 中には親子で失礼な発言をする客もいました。 毎日ただただ耐えました。 「クソが。地獄に落ちろ」と、そんな事ばかり考えていました。 そして現在、その時期の出来事は今も私を苦しめます。 「過去と他人は変えられない」この言葉はつくづく残酷だなと思います。 その客達もいつか、自分達が吐いた暴言が自分に返ってくると理解し、改める日がくれば良いと思ってしまいます。 現状、一日の中のふとした瞬間に必ず何かしら記憶が蘇って来ます。 …解決策はやはり「日にち薬」が最善なのでしょうか。 そう遠くない将来、怨みつらみに全てを飲み込まれてしまいそうで自分自身が怖いです。

有り難し有り難し 3
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怒りや負の感情の捨て方

少しお話を聞いて頂きたいことがあります。 職場や家庭で他人や家族と何か軋轢があるとき、 たまに怒りを感じる時がありますが、それを全て相手に向けず、少し落ち着いて言葉を選び対応します。謝りますし、不快感も言葉を選びます。 人間関係を悪くしませんし、偉いね、とよく褒めてもらいます。 しかし、その時、自分の心に負の感情や怒りの力がグッとかかり、それを我慢してしまうときや、それが残る時、すごく辛くなる時があります。 周りとはいい関係は持続できる。これは良いことですが、 でも我慢した負の感情や残った怒りの感情のやり場、私も含め誰も傷つかないところへの捨て場所がよくわかりません。 しばらくするとどうでもよくなるのですが、 しかし「あの時あんなことを言われた」と根を持つこと感情が残ることにつながっているような気がします。 自分を楽にする、自分を救ってやるにはどうすればよいか。 その怒りの感情、負の力のやり場、捨て方、誰も傷つかない害のないところへの捨て方に少し悩んでいます。 相手に対して「もっと言ってやりたい」と思うのですが、感情に任せそれをやると後戻りができないほど相手との関係が悪くなることもあることはよく理解しています。 お話し聞いていただき、ありがとうございました。 乱文、失礼いたしました。

有り難し有り難し 5
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どうでもいいことで人を責めてしまいます

この間旅行先から帰る空港でパートナーの手荷物に入っていたお土産物が引っかかってしまい没収されました。 別に誰が悪いわけでもないのにパートナーを責めてしまいました。大したことではないので笑って流せばいいのに旅行で疲れていてつい棘のある言い方をしてしまいました。 父も同じように母をよく責めていました。母は病気がちで何度か移植手術をしていました。母は医者から処方された薬を「なんか合わないから飲みたくない」と言うと父は「素人判断するな」と一蹴しました。後にその薬が要因で移植した臓器が拒絶反応を起こしました。父はその時母に「自分の身体なんだからちゃんと自分で見極めろ」と全く逆のことを言って責めました。よく離婚されないなと思いました。 私は父のそういうところが嫌いなのに、似たようなことをしてしまっている自分に嫌気がさします。 SNS上でニュース投稿についている被害者非難のリプライも「醜いけど私に似ているな」と感じ嫌な気分になります。 その人は悪くないって頭では分かっているのにどうして非難してしまうのでしょうか?どうやったら他者を非難せずに生きられますか? 読んでいただきありがとうございました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
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主人の友人と彼女への怒りの抑え方について

半年前、主人(30代)の長年付き合いのある友人(30代)に初めて彼女(20代)ができました。 ある日、主人がどうな人なのかと尋ねると色々常識的に外れている方だったらしく「大丈夫?」と伝えたそうです。 そして一昨日の深夜、急にその彼女から私宛に個人メッセージが届きました。内容は「詮索してくるな。心配される筋合いはない。」との内容で、初対面とは思えないくらいの絵文字付きの文章でした。 主人と友人が急遽、電話することになったのですが、その時も、私に対して失礼なことを言い、暴言を吐かれました。 友人は止めることは一切ありませんでした。 主人は穏便に済ませる為、ただ謝り続けました。 私は、メッセージも暴言も止めなかった主人の親友にも、非常識な彼女にも正直呆れてしまいました。 主人には、急に深夜に連絡したことに対しての謝罪はありましたが、全く関係がないのに暴言などを吐かれた私に対しては、二人から一切謝罪はありませんでした。 彼女が過去に女性から嫌がらせをされていたことがトラウマで、それが原因で私に一方的に被害妄想をぶつけてきたそうです。 主人に友人の連絡先をブロックさせましたが、主人は休職から復帰したばかりでしたが、2日ほど休んでおり、寝込んでしまいました。 私は一番主人の友人に怒りを感じております。 長年付き合っている大切な友人の妻(自分)に対して暴言などを言ってきた彼女を止めず、肯定し、一切の謝罪もなく、まだ主人と友人関係を続けたいんだと、復帰したばりの主人に言ってきたことです。 自分達が見下されてるようにしか思えません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ