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どんなに願ったり努力しても叶わないことがあることの意味

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長文失礼いたします。
祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。

唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。

結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。
どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最後まで諦めなかった可能性を信じることがとても素晴らしいです。

医療をもっても延命できなかった悔い残る旅立ちをされましたこと心よりお悔やみ申し上げます。

人には寿命があります。その中でも最高の寿命を迎えられたのではないでしょうか。92歳まで多くの「奇跡と努力と願い」の中で生きてこれたからこそ、大往生できたのではないでしょうか。

祖母さまもきっと最後まで、身近にいてくれた喜びをもって仏の国へ旅立たれましたことと感じます。

人は生き様は選べるが、死に方は選ばずという言葉があります。寂しいものであります。

「一病息災」一つの病を持っていることで、健康など生活習慣に気をつけることで長生きできることをいいます。
ジョジョの奇妙な冒険でいうところの失明したままだったからこそ、相手もこれでいいかと終わりにしたのです。

祖母さまを思う優しきお心で、祖母さまもお浄土より還相回向なる功徳があることと存じます。

合掌

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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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人は必ず死ぬという運命の中でどう生きるか?

春の雪さん、こんにちは。

ジョジョ好きなのですね。私も好きです。
大好きな祖母なのになぜ死んでしまったんだという思いが強いのですね。でも人は必ずしななければなりません。その現実を受け入れないと、漫画のように吸血鬼になるしかないのです。

あなたはショックかも知れませんが、祖母にとっては92歳という米寿を超えた大往生です。あなた以上にあなたが知らない人生を経験し、そして孫に看取られながら亡くなったのです。なんてすばらしい人生なのでしょう。祖母の生命のバトンはあなたに引き継がれているのですよ。それを祖母に喜ばれるようにどう生きるかは、これからのあなたの生き方次第になるのです。祖母と同じぐらい長生きするのであれば、少なくとも後50年あります。その人生をどう生きるかが春の雪さんにかかっているのです。ジョジョでは子孫が遺伝という形でスタンドを使う能力として引き継がれ、ストーリーを展開していきますが、春の雪さんはお婆さんから何をもらったのか、一つは生命、そして隠れた祖母からの力があるはずです。

がんばって、祖母からもらった生命を燃焼させてください。そして次の世代に受け継がせてください。それがあなたの役目なのです。

がんばって!応援します。合掌

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春の雪さま

「いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つか」

人が生きていくということは、自分の力、努力、願いだけで
可能になることではなく、自分の力以前にもっと大きな、確かな
調和のとれた力が働いでいる、ということを気付かせるという
意味を持つと思います。

生まれようと意図して生まれた人はいないと思いますし、
見ようとしなくても物は見えますし、心臓を動かそうと
しなくてもきちんと動いてくれています。
生きていくのに必要な感覚、思考、感情を自分でコントロール
しているようでしていないと思います。
生きることは、自分の力以前に大きな力が働いていると
私は感じます。
一人一人は世界から切り離されて、分離して個として生きている
そうゆう面もありますが、同時に命と言っていいと思いますが、
大きな力の上にあって、支えられてはじめて生きていけるという
そうゆう面というか基本があると思います。
善とか悪とか、有るとか無いとか、始まり・終わりそうしたものは
個としての人の上に有るもので、人を支えてくれている大きな力、
働きの上に在ってその流れの上にあるとき、繋がっている時、
もっと違った本質的なことが見えてくると思います。
死は無とは結びつかない・・・などなど。
「南無阿弥陀仏」は、南無は帰依する、委ねる・阿弥陀仏はアミターバー、
無量の光、永遠の命という意味だそうですが、自分を支えてくれている
大きな力、働きを信頼し委ねてくださいとなり、まさにこのことだと
私は思っています。

ジョジョの話は、わたしは読んだことありませんが、
目が見えるようになるという望みが、叶えられるのに意図的に
絶たれたことがお母さんのためであった、
それは望みが叶わないことにも正の価値が有ったということで、
おばあちゃんが元気になってほしいという望みが絶たれたことにも
何か正の価値が在るのではないかという思いが春の雪さんの心の中に
あって連想されたのではと思いました。

「全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。」
とありましたけれど、最後おばあちゃんは優しいご家族に大切にされ
これ以上ない幸せを感じて逝かれたのではないかと思います。
努力は全く無意味ではなかったと思います。

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地方の小さい町の小さいお寺の住職をしていました。
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その作品は読んでいないので分かりませんが、勝手に解釈させてもらいますと、
DVの夫は妻を失明させた事を悔やんで、それ以降は改心して妻に優しく接するようになった。
しかし、もし、その失明を治してしまったら、また元のように妻は夫から暴力を受ける、そう思って治さなかった、ということでしょうか。
あなたは祖母の手をずっと握っていました。
それは祖母が病になったからできたこと。
もし祖母が病になっていなかったら、あなたはその手をずっと握ることもなかったでしょう。
その辺りのことがその作品と被って思い出したのかもしれないですね。
願うこと、努力すること、それは無駄ではなくとても価値のあるものです。
現代社会では過程より結果ばかり求められますね。よくスポーツのインタビューでも、選手が結果にこだわっていきたいと言っています。
しかし、仏教的には結果よりも過程が大事なのです。
お釈迦様は言いました。生きることは努力することである。努力しない者は既に死んでいるに等しい。
これからも望むべき事を望み、努力すべき事を努力してくださいね。
南無阿弥陀仏

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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