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なまけの克服

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最近ヴィパッサナー瞑想を定期的にしているのですが、予想以上に悪戦苦闘をしております。

特に眠気が酷いです。

疲れているわけではないのですが、目を閉じた途端に襲ってきます。
しかし目を開けたり休憩をすると目が覚めます。
もちろん事前の睡眠時間はしっかりとっております。

分析するに疲れからではなく、学生時代に授業中に眠くなり、休憩時間には目が冴える類の眠気と一緒なので、怠け心が原因だと思います。

まさかここまで自分の心が弱いとは思っていなかったので驚いています。
(自分の心はなによりも弱く、誰よりも強敵です)

ここで質問ですが、僧侶の皆様は行や座禅を組まれているときに、怠け心から眠くなったらどのように対処していますでしょうか。

私は眠くなりだすと結跏趺坐にして痛みで目が冴えるようにしたり、息をゆっくり深く吸って脳に酸素を行き渡らせる様にしておりますが効果は限定的です。
最終的には諦めて何かしらの動く瞑想をしております。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目が覚めたらまた念仏すればよい

浄土宗の修行は口で南無阿弥陀仏と称(とな)える念仏がメインです。
浄土宗開祖の法然上人に、ある人がこんな質問をしました。
「念仏していると眠くなるんですがどうしたらいいでしょうか?」
法然上人の回答は、
「目が覚めたらまた念仏すればよい。」
でした。
答えになってなくてゴメンね。
なお、法然上人は、晩年は1日に6万回の念仏をされていました。起きている時間のほとんどを念仏に使っていたと思われます。

冥想については指導者に質問するのが一番ですが、怠けの煩悩は誰にでもあります。
あなた自身が怠けの煩悩に気付かれたこと自体が、冥想のおかげで一歩成長したことだとも思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

>>願誉浄史様
お返事ありがとうございます。
過去に2度、怠けに関して指導者に質問を致しました。
1度目は座る立つ歩くことだけが瞑想ではなく、生活全般が瞑想である旨
2度目は怠けは自分の問題であり、怠け続けた場合の弊害を説かれて、既に答えを知っているでしょうと言われました。

法然上人の目が覚めたら念仏をすればよいというのは、相手の方は念仏をし続けたらどうなるんでしょうかね。
一生もしくは24時間のうち大半を眠り続けるのか、念仏では眠くならなくなるのか、、、、、

ただ法然上人ご自身は目が覚めていたんでしょうね
一説には9歳でダンマパダの教え通りの生き方をされていたので、
相当な仏教的な能力というか業と言われるものがあったのではと思います。
まぁ会ってお話したことがないので確証はありませんが。

結論としては、一歩一歩しっかりやるべきことをやるだけですね。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ