色んな人に反対されますが…
10年以上前に亡くなった母の遺骨や、親族の遺骨が家にあります。仏壇に置いてあります。
うちは、墓はないです。母は亡くなった時に未婚でしたので遺族の私の元にあるのですが、海への散骨を考えております。
私自身の死後の希望も海への散骨です。
他の方に話すと、10年以上も遺骨を置いておくことをまず咎められます。
それから、散骨についても咎められます。
私の考えとしては、子供や孫に墓を気にかける事が必要なく過ごしてほしいし、海水浴に行って思い出したら、手を合わせるくらいでいいのではないかと考えております。
粗末にしてるとか、非常識と言われるのですが、そうなってしまうのでしょうか?。
やはり、永代供養などの方がよろしいのでしょうか?
後、主人は宗教をもっておりますが、私は無信仰者です。だけど、毎朝、主人の用意した仏壇に線香をたて、御先祖様に向かい手を合わせます。
信心深い友達に、お母さん、お父さん、などなど一人一人を思いながら、その数の線香をたてるものだと教えてもらいましたが、それも私には理解できません。私の知らない御先祖様もいらっしゃるし、主人の御先祖様や離婚して離れていますが、子供の父親の御先祖様にも手を合わせたい気持ちもあります。そんな気持ちを一本の線香に託すのは間違っているのでしょうか?
墓にしろ、毎朝の線香にしろ、形式じゃなくて気持ちが一番大事なのではないかと生きてきましたが、あまりにも、あなたは間違えていると多く耳にしますと考え直す必要があるのかと思い質問させていただきました。
無知すぎてお恥ずかしいばかりなのですが、御先祖様を大切に思い生きていきたいです。
間違えてるなら正したいです。
どうぞ御指南お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「お墓は残された人たちのもの」で「お線香はあなた自身の問題」
こんばんは。亀山純史と申します。
私自身の考えを述べさせていただくと、「お墓は残された人たちのもの」そして「お線香はあなた自身の問題」ということです。
【お墓について】
あなたが「子供や孫に墓を気にかける事が必要なく過ごしてほしい」と思うのはなぜですか。最近、このような発言をよく耳にしますが、私の墓石への基本的なスタンスは、墓石は残された人たちのものである、ということです。ですから、私自身の遺骨をどのように扱うかは、残された人たちが考えてくれたらいいと思っています。そのうえで、私自身が残された人たちになった場合、私は故人の墓石についてどう考えるかと言えば、私は、子どもや孫にご先祖様を敬う気持ちを持ってもらいたいと思うので、それには墓石は必要だと思っています。確かに、現在は海への散骨もあるようですが、果たして海への散骨がご先祖様を敬う気持ちに繋がるかどうかは疑問です。それは、決して遺骨を粗末にしている、とか言うことではなく、どこを向いてご先祖様と対面すればよいのか、それが海への散骨の場合、不確定になりはしないか、ということです。少し前に流行った『千の風になって』の歌詞の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」のように、お墓に、あるいは遺骨に故人が宿っているわけではありません。しかし、故人を偲ぶうえで、遺骨が納められている墓石は必要ではないかと思っています。勿論、それは永代墓地であってもいいのです。
【お線香について】
お線香については、宗派によってその作法が違うでしょうから、「こうすべきだ。」と断言することはできません。確かに、形式ではなく、気持ちが一番大事なことは確かなことです。そして、お線香をたてることはあなた自身の行為ですので、あなたがどのような気持ちで行うかが一番大事なんだ、と言えば、それはそうだと思います。しかし、ある宗教・宗派に属している人にとっては、作法・儀礼はとても大切なことであり、そのような作法や儀礼を通して、その宗教・宗派において望まれる気持ちが育まれていくものだと思っています。
以上が私からの回答です。ご参考になさってみてください。
質問者からのお礼
考えつかなかった面を御指南下さりとても参考になります。無宗教者であることで理解できない面が多々あるのだと思いました。
御指南下さり心より感謝いたします。
ありがとうございました。