皆様はこんなときどうされてますか。
こんにちは。
質問させてください。
日々のイライラや不満、怒りは生きているうえで必ず起こります。
この気持ちを沈める方法、発散方法は人それぞれですが、お坊さまたちはどんな方法で心を沈めますか。
またこの言葉を心において生きているなどありましたら教えていただけますでしょうか。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ほったらかしにする。
はい、ここhasunohaでも、「怒り」に関するご質問をよく見かけます。試しに検索窓で「怒り」と入れてみたら、さっきの時点で4000件ほどもありました。
さて、仏教の怒りに関する基本的な構えは「放っておく、扱わない」であると理解しています。「沈める」「発散する」というイメージとは違いますよね。「沈め−、収まれ−、散れー」と扱うのではない。
恐らく個体の(あるいは何か大切なもの)保持のため、怒りという状態は生きていく上で必要だったから獲得された行動でしょう。小さな哺乳動物だった頃、大型の動物に狙われた時にボンヤリしていたら食われてしまいます(結果、そういう行動様式の遺伝子は絶えます)。
ですが人間は「小さな哺乳動物」ではなく、社会性を以て地球を席巻しているのですから、やたら怒り散らしてはいられません。「あの人、怒りっぽくてオッカナイ」となれば、結べる人間関係は狭くなりますよね。
なので、怒りに対しては無視ができればベストです。「あー、また私怒っちゃってるな−。それ以外対応の仕方ないのかしら−」と、のんびーり自分を眺められれば良いスタートです。
その「自分の至らなさ」から怒っていることが分かれば、「じゃ、どうしたら良かったのかな」「何について私は怒っているのかな」「どうなって欲しくて怒っているのかな」を言葉にできれば、第2段階としてとても良いです。感情的に「ガオー」と言うより、「近づかないで」の方が、相手も「何をして良いのか」伝わります。それに従うか否かは分かりませんが。
ということで、「怒りに気付いたら、その裏にアル”自分はこうしたかった”を言葉にしましょう」というのが「正しい」対応だと思います。
でもね、時に「来ないで!」と逆上したように叫んだり、「助けて!」と感情を爆発させてもいいのではないかな?と思います。
その後、きっと後悔が襲ってきます。その時があなたの学びのチャンスです。
それに耐えられない人だけが、怒り続けるのだと思います。
私?怒りを察知したら「南無阿弥陀仏」を称えます。10回も称えているうちに、怒りの感情は収まります。そして「言いたいこと」をなるべくゆっくり話すようにしています。
禍福は糾える縄の如し
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)とは、良いことと悪いことは複雑にからみあっていて交互に起こるものだ、という意味です。
人生には「四苦八苦」が絶えることはありません。でもそればかりではなく、やはり楽しいこと面白いこともやってくるものです。だから私は、不満や怒りが起きるような事があれば、いずれそれに見合う良いことがあるに違いないと、思い込むようにしています。嫌なことが良いことの前触れのように思えて、イライラしなくなりました。