過去の自分に対する後悔と過ちへの罪悪感
私は小学6年生から中学生くらいまでの自分が大嫌いです。
周囲に流され、自分の居場所を確保するために人の気持ちを蔑ろにする人間でした。
友達に嫌われたくなくて一緒に他の人の悪口を言ったり、クラスメートの雰囲気に合わせてある子を冷たくあしらったり。そういうことが2度はありました。
しかし、変な話ですが、その頃も含めて基本的に人には親切に、優しくせねばと考える人間でもありました。なので、大多数の人には「優しい」とか「親友だ」とか「あなただけには話せる」とか言われてきました。卒業アルバムにもそういう類の言葉が並びました。成績表でもほめられました。今でも家族や友達にはそう思われていると感じます。
にもかかわらず、小6~中学生の私はひどいことをしてしまった。そんな自分の過去が怖いですし、この世に少なくとも2人は私を怨んでいる人がいると思うのも怖いです。後悔や罪悪感でいっぱいで、自分はもう純粋な善人にはなれないと思うとつらいです。汚れてしまった、と思うのです。
楽しんだり、人に優しいと言われるような資格はもうないとも思います。
また、自分を大事にしてくれる家族や友達を欺いている気持ちにもなります。
特に私の家族や親戚は本当にいい人が多くて、自分が身内であることへの恥ずかしさと場違い感を思うと悲しくなります。
最近このことを四六時中考えては暗い気持ちになっています。
もう、どのように生きていけばいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最初から、素晴らしい人間なんていないよ。皆、経験から学ぶ。
自分の経験を通して、より一層、優しくなれる。人を思いやれる。一緒に悲しめる。そして、人は誰かと生きていくんだよ。
最初から、素晴らしい人間なんていないよ。
みんな、いろんな経験をし、いろんな想いになり、自分とは違う 他の人がいることを知るの。
あなたがしてきたことを懺悔するだけでなく、その経験(苦しさ)をどう次に活かすか。
あなたの大人としての成長を、私は問うわ。
申し訳なかったと思うなら、もう同じ過ちを繰り返さないように。その時の人に会うことがあれば、心からの謝罪を。
あなた自身が、経験から学んでいけば、汚れた人間なんていないのよ◎
こうして、自己を見つめることは、大事ね。
嫌な自分があるからこそ今の自分がいる!
りなさん、こんにちは。
過去の自分が嫌なのですね。わかります。私もあります。
でも、過去の嫌な自分がわかるというのは、あなたが成長した証拠なのです。そして過去の自分があるからこそ、今のあなたの自分があるのですよ。栄養になる体験は良いことばかりではありません。悪いこともあってそれを反面教師でより良い自分を作ることができたのです。
そういう意味で過去の嫌な自分もりなさんの大切な経験なのですよ。
過去経験を消すことはできません。でも過去の経験を大切な経験にすることはできます。仏教はそれを「逆縁」といいます。あなたにとっては絶対に必要な人生経験だったのです。
そういう意味で自分の生き方をいつも振り返って大切な経験に転化してくださいね。
がんばって!応援します。合掌
質問者からのお礼
2度目の過ち以降同じようなことをしたことはありませんが、事の重大さや自分の愚かさに気づき、心から人を大事にせねばと思ったのは最近になってからでした。
恐らく傷つけた人々に会うことはもうなく、それはすごくもどかしいです。
気づくのが遅すぎました。
ですが、せめてこの過去を無にしないよう、今周囲にいる人やこれから出会う人には感謝し、誠実に親切に向き合っていこうと思います。
素晴らしい回答をありがとうございました。