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離婚に踏み切るにはどうしたらいいのでしょうか?

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子供を望まない夫と離婚すべきか悩んでいると相談したものです。

ご回答頂き、もう一度考えました。

ですが、もうその繰り返しなのです。

同じ未来を見れない夫婦なんておかしいと思い、傷つくようなことも言われ、
離婚したい!もう無理だ!と思うのですが、落ち着いたあと、
夫の事を考えると、やはり一緒にいたいという気持ちになり、結局我慢してしまっています。
もう、この繰り返しなのです。

もちろん、何度も話し合いました。
そのときは、子作りについて、前向きなことを言う夫です。しかし、口だけです。

絶対に子供は欲しいです。
頑張った結果、子供が出来ないというのではないのです。何も行動を起こしていないのに、
あきらめろと言われている状態です。
そんなこと無理です。
子供が早くほしいなら離婚するべきと言われますし、そのとおりだとも思います。

でも、私は離婚に踏み切れないです。
夫と離れることを考えるととても悲しいです。
でも、我慢している自分のままなのも辛く悲しいのです。
解決方法が本当にわかりません。

出来るか分からない子供を取るのか、夫をとるのかという選択をしなければならないのでしょうか?
乱文で申し訳ありません。
右にも左にも行けないような状態でもがいております。
お許しください。そして、こんな私にもなにか、心境がかわるような、素敵なお言葉を教えていただけたらなと思います。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

女性としての自立心無きまま 夫と自分の奴隷になるのか 

たとえば、目の前の画鋲を踏むのがイヤだからと言って、崖から落ちそうな子供をおちるままにしておくのでしょうか。
あなたは夫の言葉を鵜呑みにし過ぎたり、深読みし過ぎたり、ネガティブな意味を添えすぎていることが一番問題だと感じます。
結局何も失いたくないだけでしょう。夫の前でいい恰好したいだけのように感じるのです。
夫から嫌われたくない、子供も捨てたくない、離婚もしたくない、このままで居たい、で、見ず知らずの坊主にはぶーぶ―の自分自分しているようでは、いざ崖から落ちそうな時、僧侶も手を差し伸べるのにフェイントです。ah!
旦那さんが、俺は絶対に一生子供なんて持たない!持つならお前だけが一生面倒を見ろ!とか言ってるモラハラ旦那なのでしょうか?そんな訳でもないのでしょう。
だったらあなたの本気度が弱いというだけのコト。
夫婦になったら子供を持つというのは当然のことですわいの。
これは「持たない主義」だとかが許される事ではありません。
わたしもあなたも「生まれて生きている」という事自体、この世に生んで頂けたのです。
ならばこそ、子孫を残すという事は人間としても、可能であるならば為すべき当然の行為です。
ディープな話ですが、旦那さんと関係を持つ時にあなたがもっと押すべきです。
若い女性がどうしても射止めたい人がいて、無理矢理既成事実を作って結婚する人だって多いものです。男性側のめんどくさいから、子育ては大変だから、ということは通用しませんよ。
ご主人が何か偏狭思想的にどうしても「子供はつくりたくない・持つべきではない」という考えであれば、あなたがどうしてお子供が欲しければ別れればよいという事です。
全ては、あなたが行動すべきことです。
あなたは傷つきたくないから責任ある行動を何も選択していないのです。
大事な行動をする為には、何かを犠牲にしてでも選択しなければならないのです。
夫から悪く思われたくないまま、子供を持たずに一生過ごすような女性としての自立心ゼロのままでは失礼ですが、子供を授かったとしても夫に何も協力を得られません。この問題はあなたが女性としての自立心が問われているだけです。夫に縛られずあなたはあなたを行動する他ありません。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ありきたりですが

質問拝見しました
なんども話し合い、別れるのも辛く、子供をもうけようとしない事も辛い。どうにも行き場がなく辛い思いをされていらっしゃる。
どうにもこうにもならない時は、手を合わせて祈る事をお勧めします。
それでもどうにもならなければ、旦那さんの実家のお墓と出里のお墓とお参りにしてもて下さい。
不思議と何かしらの変化があると思いますよ。ご先祖様は見守ってくれていると思いますので、祈る事でお力を貸してもらえばいいと思います。
日本人は縄文時代より、努力してどうにもならない出来事には祈りを捧げていたようですよ。

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個別相談可能
私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショウ)と申します。 今現在 しゃべって話せる僧侶を目指し精進しております。
相談時間は基本30分とし、30分を経過すると一度、電話を切らせていただきます。

質問者からのお礼

讃岐英昌様
ありがとうございました。
さっそくお墓参りに行ってまいります。
考えてみればお墓参りにいくときは、自分のこと以外のことを墓前でお話していたように思いました。
これは何も関係ないかもしれませんが、ご先祖様たちにも自分をさらけだしてお参りしてみようと思います。気づかせて頂けてよかったです!
感謝いたします。

丹下覚元様
ご回答ありがとうございました。
思ってもいなかったことをご指摘頂き、ハッといたしました。私は自分の悲劇ばかりを思っていました。
今の状況を変えたくないと思っていたのは私の方でしたね。
もう一度考え、格好つけず夫に向けて行動してみます。やはり私が動くしかないという点にはショックもありましたが、本気ならそんなこと言っている場合ではないことも分かりました。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ