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主人の死の意味

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主人が医療ミスにより亡くなりました。
私の唯一の愛する人でした。

私は幼い頃から家族に恵まれていなく、父の借金で本当にテレビで見るような借金取りに追われ隠れて暮らしていました。6才の頃に離婚し父と離れましたが、母もアルコール依存症で育児放棄。小学生の頃は祖母にほとんど育てて貰いました。
親の愛情は感じませんでしたが、母の鬱病やてんかんなどの病があったので、一緒に暮らしていました。
その間、幼い頃から祖母に教えて貰った『いつも仏様は見てる。いざというときは助けてくれるから』の言葉を信じて、墓の掃除や供養、母が亡くなっても祖母が亡くなっても尽くしてきたつもりです。
『いつも見守ってくださりありがとうございます』と手を合わせてきていました。

やがて私にも愛する人ができ、子供が出来てやっと家族が持てました。やっと心を落ち着かせて愛情を感じることが出来たのに、夫を医療ミスで亡くなりました。

どうして仏様はこんな事をしたんでしょう。
私には、愛する人を持つなと言っているんでしょうか?
ひとりで生きていきなさい。と言っているんでしょうか?
祖母の言葉を信じ、困っている方がいたら手を差し伸べたり、寄付もしてきました。私の出来ることはなるべくしてきたつもりです。
何もかも私の願いを叶えてほしいとは思っていません。
ただ唯一の私の大事な家族だけは失いたくなかったです。そんな願いもきいてくれないんでしょうか?
小さい頃から辛い思い、寂しい思いをしてきましたが我慢してきました。自分で家族を作る為に。それを失った私はこれからどうしたらいいのかわかりません。
信頼していた仏様を信じることが出来なくなりました。また、亡くなった母や祖母にも『あんなに尽くしてきたのに、どうして助けてくれなかった!」という思いも消えなくつらいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の救いとは

ご相談拝読しました。ご主人のご命終に謹んで哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏

幼少期より大変なご苦労をされてきたりょう様にとってご主人は何よりの支えだったのですね。そしてその支えとなったご主人と出会うまで、そして出会ってからも、りょう様を支えてきた教えとしてお祖母様の言葉があったのですね。

>『いつも仏様は見てる。いざというときは助けてくれるから』

このお言葉はけして間違いとは言えませんし、仏様がいないわけでも仏様が選択を間違えたわけではないのです。そして祖霊が仏様と成り損ねて助けてくれなかったわけでもないのです。

ただ、そのことは今のりょう様に伝わるかはわかりません。今はただ、何よりもご主人の死と向き合う事、ご自身の悲しみを抱きしめる事に専念していただきたいです。その手段として仏様を責めようがののしろうがかまいません。それは仏様も望むところであると思います。

さて、仏様は運命の支配者や世界の創造主ではないのです。仏様とは真理に目覚めた人であり、真理を説く方です。その始めはお釈迦様という人間です。その教えが伝承されていく中で様々な仏様というものが考えられ、また、ご先祖などを「仏様として見出す」という教えもありますが、それらの「仏様」に共通する事項は

真理(本当に大切な事)を教えてくれる

ということです。

>「いざというときは助けてくれる」

お祖母様がどういう意味でこれをおっしゃったのか私には分かりません。しかし本来の仏様による救済とは「真理に目覚めることで、私が私を縛り苦しめていたものから自由になる」というような意味合いです。
様々な境遇の中で私たちは自分自身を自分の思いの中に閉じ込めて自ら苦しんでしまいます。仏様の救いとは境遇を整えてくれることではありません。いかなる境遇の中においても私を私自身に目覚めさせていただくことなのです。

ご主人とは生前のように出会うことは叶わなくなりました。しかしご主人が無になったわけではありません。これからは仏様として見守ってくださるご主人との出会い直しが待っています。
その時にいつかまたお祖母様の教えがりょう様に響いてくることもあるかもしれません。

今はただ、無理せず悲しみを供にして参りましょう。またいつでもご相談ください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

法覚寺の吉武文法様ご回答ありがとうございます。
仏様やご先祖を責めることは間違っているとは思いながらも気持ちの持っていきようがなく、どうしてもこのような気持ちが消えません。
しかし、主人が成仏しますよう、仏様の元にいけますように、毎日手を合わせています。矛盾していますが…
仏様の真理がまだまだ理解出来ませんが、いつかわかる日がくるようになれればいいな。と思っています。
まだまだ主人を失った悲しみは消えませんが、吉武様のお言葉で心が少し癒えました。ありがとうございました。

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