母と繋がるために
以前、母への想いについて、質問をさせていただきました。回答をいただいた和尚様、ありがとうございました。
その後、母がいない現実に心が締め付けられるような辛い気持ちで、日々を過ごしています。
生前にしてくれていたことも、当たり前に思っていたことも、今は一つ一つのことに感謝しています。それと同時に迷惑ばかりかけていたことを、申し訳なく思います。
毎日母に会いたいという気持ちで頭がいっぱいになり、旅立った母に今も迷惑をかけてしまっているかもしれません。どうしようもない息子です。
今、気持ちを落ち着かせるために死後の存在等の書籍などを読んでおります。母が魂となって存在していると信じておりますが、母の存在を確信できるための方法など、何かあるものでしょうか。
少しでも母と繋がることができる可能性があることがあれば、ご教示をいただきたく思い、質問させていただきました。
自分本位の考えで、本当に申し訳なく思いますが、前を向いて力強く生きる希望がほしく、どうかお願い致します。
何卒よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様と至心至誠に向き合い、故人の思いを聴いて差し上げること
拝読致しました。
ひん様の御母堂様を深く思い遣るお心、お優しい気持ちが、今までの投稿を通して伝わって参りました。貴方の仰る通り、「親孝行、したい時に親はなし」という言葉がありますが、我が祖、日蓮聖人は「知恩報恩」を殊の外大切にされました。宗祖の教えが、この一言に集約されていると申しても過言ではないと思います。
受けた恩を知り、その恩に報いる...簡単なようで、なかなか難しい。それが、身と影が一体の如く、余りに近き存在であるがゆえに、後回しにされた山のような大恩とともに、完了されないままのタスクばかりが積み上げられることに。
親から受けた無償の愛、海より深き恩情に対して、まったく無頓着だった子が、親を失って思い知ることはよくある話。
一方、親への恩を知り、感謝の気持ちを忘れないでいる子どもでも、老母が弱り始めて期限が迫ったタスクアラームがけたたましく鳴りだしたり、喪失感の大きさに立ち尽くしたりするものではないでしょうか。
後者の貴方が、自責の念に苛まれることはある意味自然なことだと思いますし、お気持ちもよく理解出来ます。今回の投稿で、貴方が仰る「母の存在を確信できる術(すべ)」というのは、実際に相見えたいとか、口寄せなどで声を聴きたいとか、所謂お母様の「温容・謦咳に接する」という意味でしょうか。もしそうであるなら、貴方が望む回答ではないかもしれませんが、私なりの考えをお伝えさせていただきます。
本当に大切なことは、影を追い続けるのではなく、お母様の死に寄り添いながら、二度の死(忘れ去られるという死)を迎えないよう、いつまでも供養の心を忘れずにいることです。
弔いとは、仏様と至心至誠に向き合い、故人の思いを聴いて差し上げることです。真心を込めた弔いの中で、お互いの思いが交差(感応道交)し、「私が生きていたら、子や孫がこんな風に生きている姿を見たい!」という思いにまで至り、それを実践出来た時こそ、お母様とのつながりは貴方のみならず、貴方のご家族ともずっと続くものだと思います。
【忘持経事】
教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に余り、心の苦しみ忽ち息む。
我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。
譬へば種子と菓子(このみ)と身と影との如し。
いつでもつながっていますからね。
拝読させて頂きました。
あなたのお母様への思い、お亡くなりになられたことへの深い悲しみさびしい思いを読ませて頂きました。
あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そうですね、なかなかその悲しみやさびしさは消えませんよね。
私も今年母を亡くして今でもさびしいと感じています。そして母への思いは母へ伝わっているなと強く感じます。ふと母を思うと母は私や妹や家族のみんなを見ていてくれると感じます。
あなたのお母様もいつもあなたを心から見守っていて下さいます。あなたがそう思い出すたびあなたを優しく見守り支えていて下さいます。今でもあなたとお母様とのご縁は深まっていっているのです。
どうぞお母様への様々な思いをそのままお母様にお伝えなさってくださいね。お母様はいつでもあなたと共に悲しみ喜び寄り添っていて下さいます。どうかありのままお母様に心からお伝えなさってくださいね。
今もこれからもいつ如何なる時もお母様とあなたは深く深くつながっているのですからね。どうか安心なさって下さいね。
質問者からのお礼
桑木 様
ご回答をいただき、ありがとうございます。
仰るとおり、母がいなくなりとても大きな喪失感で立ち尽くしています。朝起きても、運転をしながらも、人と会話をした後も、悲しみが襲ってきます。自分が笑うことが、母に申し訳なく感じ、助けることが出来ずに逝ってしまった母が可哀想でなりません。
母の存在を感じたく、確かに私は霊的な能力のある方や、スピリチュアルな存在を示してくれる助けを求めています。以前はこの様な思いはありませんでしたが、今はそれが希望というか、母と繋がりたい一心であります。
しかし、母に寄り添いながら、天寿を全うするまで、永遠に供養の心は忘れません。そして孫に、おばあちゃんの話をたくさんして、どれだけ愛されていたかを伝えていきたいです。
母の生きた証を、私が守っていきます。
私の今の想いを代弁いただく様なご回答をいただき、感謝申し上げます。
今後も私の質問を見つけていただいた際は、是非ともご教示をいただきたく、お願い致します。ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答をいただき、ありがとうございます。
また前回もご教示をいただき、ありがとうございました。
和尚様も同じ悲しみを感じておられる中で、人に手助けをされていることに関心いたします。ありがとうございます。
私も和尚様のように、母が見ていてくれているというようなことを感じとりたいです。
先にも記載いたしましたが、私は今、希望を見出すために霊的な能力のある方や、スピリチュアルな存在を示してくれる助けを求めています。他力本願とは思いますが、どうしても母と繋がりたい一心です。
私自身が行えることとしては、お伝えをいただいた様に、母と繋がるため、母に向き合い気持ちを伝えていきたいです。
また今後も、私の質問を見つけていただいた際には、是非ともご教示をお願い致します。
ありがとうございました。