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結婚とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 68

たびたびの相談すみません。
旦那とは仕事も一緒なので24時間一緒です。
一緒にいるのがしんどくて、辛くて…
毎日毎日離婚したい、死んでくれたらいいのにと思ってます。この気持ちはずっと変わりません。
普通に接してるので、心の中ではこんな事思ってるなんて、みんなビックリすると思います。
嫌いで嫌いでたまりません。逃げたいけど、仕事があるので難しいし、離婚となれば裁判になるし。金銭的に私の方が不利です。子供を手離すなんて絶対嫌です。
このままこんな気持ちのまま我慢して生きて行くしかないですか?
家を出なさい、弁護士に相談しなさい、と言われてもお金がないし、家を出ても会社の事務全般をしてるのでどうしようと、身動きとれません。
どうしたら、死ぬかとか殺す方法を考えてる自分もいます。あの人さえいなければ、幸せなんです。
誰にも相談できず、一人で毎日毎日悩んでます。
子供と二人で見知らぬ土地に行こうかとか色々考えます。最低な母親です。
これからの人生、このままじゃ嫌です。このままなら死んだ方がいいかなとも思います。
結婚する前にわかってただ書とか言われますが、結婚してわかる事の方が多いと思います。
助けて下さい。おかしくなりそうです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが命を絶ったり、自ら手を汚す必要はない。

難しいね。。。今までの質問も読ませてもらいましたが、、、息が詰まるでしょうね。嫌な人と、24時間 仕事 生活 、ずっと一緒ならね。

離婚できるものなら、とっとと、離れたいよね。現実に子どもがいたら、手離せないし、そんな思いきったことも、難しいよね。
(私も いろいろ考えるところがあるので。あなたの苦しい気持ち、分かってあげたいよ。どこか、女でも出来て、失踪でもしてくれないかなぁと、思っちゃうね。)

ここから先は、お坊さんらしくないですが、、、

夫だと思うのを、やめましょう。
同居人であり、仕事仲間です。
子どもを育てるための経済的支援者です。
そう、心に線を引いたらいい。
そして、ヘソクリをして、あなたの気持ちに少しの余裕を。
子どもが大きくなったら、理解してくれるようになったら、別れたらいい。

あなたが 命を絶ったり、自ら 手を汚す必要はありません。
いい、必ず、離婚出来る。
だから、それまで、黙って貯えて、いつか捨ててやるんだと、誓いましょう。

そしての、あなた自身も、精神的ストレスから、解放されなきゃね。

大丈夫。鬱も、きっと、治していける◎

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個別相談可能
はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、電話相談員、小学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
午後から夜の時間帯は都合がつけやすいです。特に21:30以降は、たっぷりとした時間が取れます。 ◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。 言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。 ◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。 ◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。 ◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート ◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。 (相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので) ◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )

殺しちゃえばいいのです。💀

あ、ダンナさんのことじゃなく、そういう能動的な意識をDEATH。💀
私はどっちの味方もしませんのであしからず。
まず、ダンナを殺す方法ですが裏山からトリカブトを…嘘ウソ。そんなことをしたらあなたも子供と会えなくなってしまいます。
正直に言ってみたらどうでしょうか。
「あなたのことは好きだけれど(嘘でも)一日中一緒にいるとなんだか最近負担に感じてしまうことがある。」と「だから、ちょっと仕事の際、時々別々の空間で過ごすとかアタシの部屋、くんない?」とか工夫をすることが大事です。人生、みんなそれぞれが各自で自分のことをやればいのです。世の中、自営業の人は沢山います。あなたもあなた自身の思いで「旦那と常に一緒にいないとダンナが不機嫌になるから一緒に居なきゃいけない」みたく自分を縛っているところがあるかもしれません。
仏教では怨憎会苦と言います。
「本当はその人が嫌いなんじゃなくて、自分が自分の都合で我を起こしてその人に対する自身の脳内セルフストーリーにあなた自身がいちゃもんをつけて独り相撲を起こしている姿なのです。」ここを明らかにするには坐禅が良いのですが、この「」内を分かるまで一日に33回くらい念じてみてください。ある時、ふっと「ああ、本当だ!」と気づけると思います。
多くの人は、相手そのものを憎いと思っている。
今もあなたはあなたの旦那を憎たらしい、SHINE、消えてくれとか思っているかもしれません。ですが、それはダンナじゃなくてあなたのの脳内のダンナに対する記憶と脳内蓄積データ、副産物的に生じてくるあなたのセルフ脳内活動ビジョンなのです。
だって、そこに旦那は居ません。あなたが鏡を見ている時にはあなたが映っています。
そこでも旦那のことを思うというのは、本人じゃないものを相手にしているのです。
そこが分かるまでちょっと買い物でもしてくる際に、よーく見つめてみてください。
ああ、あの坊さんの言ってた通り、アタシはアタシのインナーダンナを相手にしていただけで、今日は今日で相変わらずムカつくけど、これは私の思っていた脳内ダンナじゃなくて、今のリアルの今日は今日で採れたて新鮮のムカつき度を保持している新鮮なダンナなのね、と。
もっと見つめて行けば、あなたの私見を添えない旦那さんの本体に出会うことができましょう。人は本人を相手にしているようで自分を相手にしているものです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

なかなか難しいです。
人を憎んだまま過ごすのもしんどいですね。

ありがとうございます。
頑張ります。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ