絶望を受け入れられません
現在56歳。大学卒業後、大手上場企業に就職したものの、39歳の時に倒産。その後零細会社で16年勤めたが、経営者の都合で破産。55歳で仕事を必死に探したが、1件目は前職と同業界の会社で6か月でいじめにより退職、2件目は全く畑違いの会社に正社員で入るも、向いていないといわれ3か月で退職。ハローワークへ通い詰めたが、条件にあう正職は無いですと言われ、6か月前に今の嘱託社員でパートのような賃金で働いてます。まわりは、私と変わらない歳で、絵に描いたような富裕人生をおくっている人がすべて。何万回、どうして自分の人生はと悔いても、何も悪いことせず学生時代もまじめにやって大きな会社に入ったのに、普通なら部課長にはなっていたのに、退職金も企業年金もバラ色の高齢者人生にむかえるはずだったのに、この理不尽さが受け入れがたく絶望がぬぐえず死にたい。となりの芝生は青いなどのレベルではない。夫婦ともだおれで死ぬしかない。神様を信じて過去は信心してきたが、答えは神はいない。理不尽すぎる。人生はどんな人も悪いことと良いことはイコールなんて嘘。苦労せず人生すごせる人はたくさんいる。うかばれず終わる人がいる。死にたい。
絶望
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輪廻
おにぎり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙生も若い頃には思い浮かべていた人生がありましたが、まあ、そう思い通りにはならないものであります・・
しかし、仏教を修させて頂いていくうちに、自分の人生は何もこの一生だけで完結するものではなく、遠い昔の過去世から繋がり、そして、また来世、来来世へと繋がってゆくものだという、長いスパンから、今のありようを捉えていけるようになりました。
まあ、この世が苦であることは、皆、大してそう変わりはないものであり、輪廻の中でまた来世も、そのまた先もずっと苦しむことになるのかと思えば、その方が、相当に憂鬱な感じに・・
この世で多少は世俗的な楽、幸せがあったとしても、そんなものも所詮は夢、幻のように儚くそう頼りにはならないもの、そうではなく、仏教の修習を進め、究極的な楽、幸せとなる悟りを目指さなければと思うところとなって参りました。
もちろん、この今の人生をどう生きるか、ということにも仏教は大変に役立つものでございます。
是非、これを機会に仏教に触れて頂ける機会を増やしていって頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
さっそくお言葉いただき誠にありがとうございます。御坊様の教えもわかるのですが、俗世に生きる凡人には今世の暮らし向きの天国と地獄しかわかりません。いつも思うのですが、過去世が罪深いから今世は苦しい人生とか実感できれば我慢、学習しようと思う。でも自分の過去とか未来の輪廻はわからず、今世の理不尽さしか体感できないので、そうした達観したものを持てるようになれなく苦しいのです。