老い
母の肩幅がひとまわり小さくなった気がします。歳をとったんだな、と実感しました。
ひと月に一度ほど兄が帰ってきますが、母が理解できない事を、なぜ分からないのか本人に愚痴をいいます。コタツの中でゲームをし、ご飯も据え膳上げ膳。
理解できなくなるのも老いた、という事なんだと思います。
なるべく母を手伝うようにしていますが、兄が帰ってくるたび、私もヘトヘトです。とにかくゲームで、何もしないから。
そんな中、母も終活を考えています。最期は自宅で死ぬ、と言っています。
それを聞いて困っています。私ひとりで仕事をしながら介護、看病が待っています。
兄が帰省した時の事を考えると、または、実家から通勤可能な範囲で通える転機があった時の事を考えるとゾッとします。
老いを、死をどうむかえるか、こちらも大きな課題です。
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一人きりで、抱え込んでいかなければと、負担に思うことはない。
そうだね。老い、病み、死ぬ、ことは自然なことだね。
身近で見ていると、そう感じることが出来る。
たまに、会う人からしたら、なぜ出来ないのか、怠けているのか、となるけれど。
人は、必ず、今手にしているものを、手放さなきゃならない時がやってくるからね。
健康も、能力も、若い人より劣ってくる。それが老いだからね。どれだけ、受け入れていけるかだよねぇ。
現実問題として、見てあげられる部分と、困難になってくる部分があるよ。それは、仕方のないこと。こちらは、24時間 張り付いてあげられないからね。それが、普通だろうと思います。
そのために、福祉や制度を利用しましょう。施設入所でなくても、デイサービスも 訪問ヘルパーもある。それも、本人や家族の状況にあわせて、行政や ケアマネージャーに相談していけばいいのだよ。
あなたが、一人きりで、抱え込んでいかなければと、負担ばかりではないことを、きちんと覚えておいてね。
質問者からのお礼
中田 三恵さん
お返事、有難うございます。
そうですね。市役所やケアマネジャーに相談するところがありますね。
その時にならないと、何をしてほしいのか、どんなサービスが使えるのかも変わります。
いざとなった時に対応できるよう、きちんと頭に覚えておきます。
有難うございます。