宗教上の対立について
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。
中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。
それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。
宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。
仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか?
いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。
ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
宗教だから対立するのではなく、人は何かにつけ対立する
一言に宗教戦争と言っても、その実際の姿は信教の違いで争っているわけではありません。経済や国体など様々な問題が絡み合っています。
戦争になるほどの規模のコミュニティが国か宗教か民族くらいしか無いだけです。そのうち宗教しか戦争をしていないなら宗教のせいという批判は免れませんが、古代から国も宗教も民族も戦争をしています。逆に3つとも戦争を止めようとする運動もしています。そんなに単純な話ではありません。
一般に宗教戦争と言えば十字軍の遠征ですが、その中で宗教はほとんどプロパガンダでしかありません。地中海貿易を独占したい商人、実績を出してより強い実権を得たい教皇、分割相続を繰り返してジリ貧になってきたので新しい領地が欲しい貴族、そういった思惑が『宗教戦争』の裏側です。
http://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-008.html
では現在の中東情勢はどうか?
あれも相当複雑なのですが、何をおいても本来イスラムとはそれ自体が法律(イスラム法)も皇帝(カリフ)も信教も文化も全てを盛り込んだイデオロギーだということを理解しないと何も理解できません。資本主義や共産主義と同じ土俵なのですよ。イスラム教というよりイスラム主義と言っても良いくらいです。
だからイスラム過激派は植民地政策で引かれた国境線と、押し付けられた西洋化を捨て、アフリカ北部から中東までイスラム主義で統合するつもりです。
じゃあ結局、何が戦争をしているのか?全てです。人間の生活を形作るための要素の全て。だから止めようが無い。
メディアはかたくなに取り上げませんが、仏教は今、2500年の歴史の中で最も開放的ですよ。宗派を超え、北伝と南伝でさえ協調路線をとっています。
一例として曹洞宗ではSVAという公益社団法人が東南アジアや中東の一部で教育・貧困問題に取り組んでいます。それが戦争の原因を潰していくことに繋がるからです。相手を押さえ付けて手術するのではなく、原因を見極めて体質改善的に治すのがお釈迦さまのやり方です。こういった活動はどこの仏教会や宗派でも陰徳として継続しています。
また、私が拒絶する心を捨て、受け入れる心を養えと説いているのも世界平和のためです。私1人じゃそのくらいしかできませんし…
相手を受け入れるということ
宗教間の対立による紛争が起こるとき、当事者たちの中には総じて次の想いがあるのではないかと思います
「私たちの崇め称える○○こそが全てであり絶対である、それを認めることをせずまして邪神(それ以外すべて)を崇拝する輩は○○に仇名す敵である」
このような考え方になるともう自分たち以外は全て敵にしか見えないのかもしれません。
仏教会は戦争に反対しており、無くしたいと思っております。とは言いましても私もペーペーですもので具体的なところまでは詳しくなく、申し訳ありません
日本には神道があって佛教があってキリスト教があって・・・他にもいくつもの宗教があります。
昔は日本でもキリスト教に対して攻撃的であったり廃仏毀釈で佛教もダメージを受けました。
反面、神仏習合で佛教も神道も一緒にしてしまいましょう、大事にしましょう、ということもありました。
日本でも様々な歴史背景はありますが今日の宗教間のいざこざの無い日本というものは本当に素晴らしいと感じます。
宗派によって学者さんがたくさんいらっしゃるので学者さん同士での経典の解釈など熱烈なバトルはよくありますがそれは学問としての一面なのでセーフ。
藤原さんが神道が好きな上に佛教も尊重していただいてありがとうございます。
ウチにも神棚がありますし初詣も行きます、神社のお祭りに行ったりもしますしおみくじも引きます
神社さんとの考え方の違いを話を聞いて感じるときもありますがどの宗教においてもお互いを尊重してもっと相手を受け入れられる国にしていきたいですね
ここも皆が集うひとつの場ですよ。
宗教がどんな働きをしているかは、地域によってそれぞれです。
場所によっては自分が何人かという問いに対し、◯◯を信仰していることが存在証明になる場合もあります。
何かを守るため、何かのするための大義として宗教が使われることも少なくありません。
うちの宗派も一向一揆をしたと歴史の時間では習いました。
宗教も扱いによってはとても悲しい事実を引き起こす恐れがあります。
ただ、このhasunohaという場は、皆さんの悩みを受け止める。
辛さや悩みを少しでも軽くしたいという願いのもとにいろいろな宗派のお坊さんがいます。
この場のありがたさは、大切にしたいです。
質問者からのお礼
大慈 様、歴史や経済を踏まえてのグローバルなご回答ありがとうございます。人類の歴史は戦争の歴史とはよく言ったものです。その中で仏教会をはじめ大慈 様が平和を説いておられることに安心しました。
翔玄 様、ご回答ありがとうございます。日本は閉鎖的な島国でありながら、宗教や文化を受け入れる懐の深さを持っているのが私も素晴らしいと思っています。しかしながら、侵略や不当な要求に対しては毅然と対応しなければいけません。難しいですね。
泰庵様、ご回答ありがとうございます。やはり皆、譲れないもののために戦うのですね。悩みや苦しみはつきませんが、お坊さんの有難いお言葉を聴いて少し気持ちが軽くなりました。
宗教が戦いに利用されるならば、いつか平和への架け橋にもなるといいですね。