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弱虫を克服する方法

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

わたしの恋愛関係について相談させてください、よろしくお願いいたします。

わたしは大学生で、いま年上の社会人の方に惹かれています。
12月に知り合ってから、食事やお出かけ飲みに誘われ、楽しい時間を過ごしました。
向こうの仕事が忙しいこともあり、普段からあまりラインはしないのですが、1月に入りぱったり連絡がなくなってしまいました。

今まで奢っていただいたお礼もかねてバレンタインを渡したいと思うし、そろそろ会いたいと頭では思うのですが、
断られる怖さから、連絡してこないってことは仕事忙しいのかな・会いたくないのかなとか、わたしも就活の予定で埋まってるしなあなど、、、
(本心ではないのに)それっぽい理由をたくさん作り上げて、行動に移さないように移さないようにと促す自分がいます。

それでタイミングを逃した経験もありますし、本当に変わらなきゃと思うのですが、1歩踏み出せません。
手遅れになる前に、アドバイスと共に喝をいれてください、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

弱虫でもOK 男性の母性本能をくすぐる

相手の方もそれだけお誘いしたのですから、好意はあると思いますよ。
あなたもカチコチになってしまうのは、そうなってしまうのは好きだからこそ。
「てめー、彼女いねえならアタシと付き合えよバカヤロー」
むしろ強気のアタックは軽くひきます。(._.;)
世の女子をメロメロにするイケメンゲームの男子のキャラをみてください。
みんな強気の上から目線のリードリードした感じでしょう。
男子からみれば、こんな奴いねえよ、です。でも女子はそういうタイプが好きだったりします。
それは多くの女性の理想像という面があります。実際に女子をメロメロにする力を帯びているのです。
つまり、その逆をするのです。
男性の母性本能をくすぐるように心掛けてください。
また逆に男子が好むゲームのキャラも研究してみてください。
みんなロリロリのキャワイイ子だったりします。女子から観れば「こんなブリッコな奴いねえ、いたらムカつくわ」です。
ですが、ごくまれに天が授けた魔性の女子力を持った女子がいます。
人気女子はそういう魔力を持っています。これは見た目云々ではなく❝力❞なのです。
その魔性の女子力は「カワイイ」が作れるように「作れる」ものです。
「この子は俺がいないとダメなんだ」と思わせるのはどうでしょう?
傷つかないようにしようとして撃沈するよりは、行動して撃沈した方が後悔はありません。
同じ撃沈ならば、華々しく撃沈しましょう。(撃沈言うな)
撃沈したら、またご相談ください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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