生きる上で困り果てました
初めまして。
どうしたものか困り果ててしまった為利用致しました。
わかりにくい文章であったり誤字脱字があるかもしれませんがご容赦ください。
突然自分の話に入ってしまうのですが今年に入ってから立て続けに友人を自殺で亡くしました。
それ自体はある程度仕方のなかったこと、として受け入れ始めてはいるのですが自分自身それを受け入れ始めているという現状に許すことが出来ず、また、自殺した友人達が己の精神状態と似たような状態で亡くなっており、自分だけが無気力になって逃げ出した、友人たちは逃げ出さず戦った結果死んでしまった、そう思うと己の情けなさや同じ状態であったからこそ救うことが出来たのではないか。またひとりの友人に関しては別の友人の死についての詳細を話した唯一の存在でわたしが話さなければ、耐え続ければ同じ手段で一週間後に死ぬことはなかったのではないか、と思ってしまいます。
信用して支えてくれていた人には嘘をつかれ結局見放されそれでいて未だ振り回されているので"わたし"という存在は一体なんのためにあるんだろう、自己愛を高める為だけに都合のいいように利用されている気がして、恐らく実際そうであってつかれてしまいました。
亡くなった友人達の手前自殺という手段を取れなくなってしまったもののずっとずっと何がと言われても困るのですがキツイ状態で周りに負担をかけたくなくてヘラヘラ笑い続けて泣いてもそばにいてくれる人がいなくて、家庭環境的にも落ち着ける場所はどこにもなくてやっと出来た場所でも結局裏切られてしまいいつでもどこでもヘラヘラヘラヘラしていてなんのために生きているのか分からなくなりました。
なんのために生きているのか、それを見つけるために生きているとカウンセラーには言われましたがそんなこと言われても何一つ生きる上での支えにはなりません。
何一つ話がまとまっていないのですがわたしは一体どうしたらいいのでしょうか。
きっとわたしは亡くなった友人たちの分まで生きるという綺麗事では生きていけません。限界を超えている今、更に限界が来るのだと思います。悲劇のヒロインぶって生きているのかもしれませんね。本当にわかりませんね。結局どうしたらいいのでしょうか。
長文で失礼致しました。
よくわからないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩み苦しみを減らす方法
悩み苦しみの原因は、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩です。
仏教では、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩と上手くつきあっていく方法を教えています。
友人が自殺したことを思い出したとき、あなたの心の中で、欲・怒り・怠け・プライドのどれかが働いていないでしょうか?
まずは、それに気付くことから始めてみましょう。
それと、感情は思考に連動していると思いましょう。
思考を引きずると感情も引きずりやすくなります。
思考め感も情も、浮かんでは消えていく。
心は必ず変化する。
心の変化を静かに(欲・怒り・怠け・プライドから一歩引いて)眺める習慣をつけましょう。
思考・イメージや感情が心のスクリーンからスーっと消えていく瞬間を感じてみましょう。
感情を手放す感じで。
質問者からのお礼
初めまして。
こんな支離滅裂な文章に対しご丁寧なご回答ありがとうございました。
ご回答頂いたことを参考に考えてみると友人達と同じような手段をとってしまうかもしれないという可能性を自分自身で理解しているので同じ手段を取ってしまう可能性に対しての恐怖心があるのだと思いました。そしてだからこそ信用している人にその事を知っていて欲しくて、1人にして欲しくなくて、そして結局ただ寂しがり屋でそばにいて欲しいだけというのがわたしの欲なのだと思いました。
きっとどこかで期待している気持ちがあったのだと思います。
期待することをやめる、というのは早々にできることではありませんが徐々に諦めていこうと思います。
また自分の感情について考え込む癖がついておりそれもまた自分自身を追い込む一因なのだと理解しました。そっと静かに第三者の目線で見られるようになっていければ、と思います。
上手く出来るかは分かりませんが努力していこうと思います。
改めましてこの度はご回答ありがとうございました。