罪と罰は遺伝しますか?
ご無沙汰しております。
色々なことがありました。煩悩も増えてしまったので相談させて頂きます。
恋人は後天性の難病持ちで、先日初めて症状を目にして、何も出来ない歯痒さとパニックから卒倒してしまいました。
母に話したら「よくそんな人と付き合えるね、私だったら絶対無理」とか「自分のことを責められると弱いくせに他人の弱さは支えられるんだね」とか「親が悪いことしたから難病になったんじゃないの」などと言われました。
親の罪や業が、子に反映されることはあるのでしょうか?
どちらにしても私は彼をこれからも支えていきたいと思っていて、恋人を悪く言われたことが不愉快で、訂正して謝らせても同じようなことを言ってくるのです。
恋人と付き合っていくにあたり、母の差別・偏見という不安要素が増えてしまって悲しいです。
不安要素を乗り越えるためのご助言も頂けたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過ぎし世のいかなる罪の...
仏教では「業(ごう)」という因縁を用い、過去の積み上げた善悪が現在に事を成しているともいえますが、あくまでも正解とも不正解ともいえないのであります。
遺伝子があるように、ハゲる家系は基本皆、ハゲてることが多いです。
私たち僧侶はハゲてるのかハゲていないのかさえも分からないですが。
明治時代から昭和にかけて70年の人生を送られた「中村久子さん」という手足が不自由な方がおられました。
その方は、不自由にも関わらず他人に頼らず子育てにお金さえも自分で養うほど芯の強いお方でした。当初の仕事は見世物小屋で不自由な体を見せることで収入を得、後々作家となり有名なヘレンケラーが来日されたときには、本人から讃えられている尊大な方です。
この中村久子さんは、とても仏教に信心深い方でした。この不自由な身体に生まれたことを詩でこのように表しています。
「過ぎし世の、いかなる罪の報いぞや、合わす手もなき、我ぞ悲しき」
と、言っています。私がこのような身体に生まれたのは、過去に作った業が現在でこうなって生まれてきているのだ。しかし、合掌する手もなく悲しい。
心の中で合掌をされておられました。
お母様がおっしゃっているのは、先祖から受け継がれた先入観がそうしているのであり、信心深いお方のお一人でもあります。
この中村久子さんの話しをしたから、どうなる訳でもありませんが、正確でも不正解でもないというお母様の返答だということを感じてもらうことであります。
また、難病を持つ彼氏様を好きであり、大切に思える人を生んでくれたのはお母様であります。親は我が子に苦労してもらいたくないという願いがあります。しかし、大人になった今、無理強いに押し付けて反対をしては、亀裂が入る恐れもあることを察知されているのかも知れません。
また、血縁であるお母様も心のどこかで、やはり娘だと感じていることが強いかも知れません。お母様自身も若い頃には、類似する経験から私にそっくりな心(慈悲)を持っている。優しい子に育って良かったとも思っているでしょう。しかし、貴方には苦労をして欲しくないという親の思いもあることは確かでもあります。
違う観点から、お母様とお話しをすれば応援してくれる環境に変化する場合もあります。そうなれば、彼の先行く未来の不安も少しは楽になっていくことと感じ入ります。
合掌
業
ゆうどく様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お母様の無理解、誠におつらいことでございます・・
医療も日進月歩、有効な治療により、彼氏さんの難病が、どうか良くなりますようにと、お祈りさせて頂きます。
親子であっても、彼氏さんであっても、まあ、同じではなく、違うそれぞれの身体、心であります。
よって、基本的には違う者の業を自分が負うことはありません。自分の業は自分の業であり、誰の業でもありません。異なる心相続はそれぞれに連続してゆくのであります。
ただ、共業(ぐうごう)という集団の業を扱うことがあるため、ある面では全く関係ないということもないのではありますが、あくまでも自分の業の範囲の中において共業の作用も含まれてくるところになると(私見としては)考えます。
とにかく、業の問題は、非常に複雑で難しいのは確かです。
また、今世だけのことで捉えることもできませんし、今世の状態だけで判断することもできないものであります。
まあ、過去の業については、あれこれ考えても変えようのないものであり、それよりも、これからの業をどうより善くに調えていくかということを考えて参りたいところとなります。
そのための教えが仏教でもあるのであります。どのように業をより善くに調えていくべきであるのか、是非、仏教から学んで頂けましたらと存じます。
お母様のことは、やはり、こう思ってほしい、こうしてほしいという親子としてのそれぞれの期待の交錯があるのだとは思います。強く言ってもなかなか理解してくれない、考え方を変えてくれないのであれば、それはそれで仕方がないとして、期待するのを諦めるのも一つです。
親子であるならば、という前提なしにて付き合ってゆくのであります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
業について様々な考えを聞く事ができ、参考になりました。
法源 さま
ご回答ありがとうございます。
中村久子さん、とてもすばらしい女性ですね。
もし自分が彼女の立場になったら、心が折れたり親を恨んでしまいそうです…
母が彼にきつく当たるのは、仰るように私への想いもあるのだと察することができるものの
やはり『彼への否定』は『彼を愛する私への否定』のように感じてしまうのです。
一応「応援はする」と言っていますが、愚痴や小言がちらほらと…
うまく折り合いをつけていきたいです。
川口 英俊 さま
ご回答と、労りのお言葉ありがとうございます。
あらゆる難病の特効薬が完成しますように。
業が遺伝しないと考えても、一概にそうとも言い切れないのですね。
母に「どうしてそんな(難病の)男を好きになったんだ」と言われても、好きなんだから仕方ないと言う他なく。
より良い未来のため、業を調えることを意識していきたいです。