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ひねくれ者

回答数回答 2
有り難し有り難し 67

結婚して23年。
辛く、寂しく、心細いことばかりが続きます。
鬱と過食症も抱えていましたが、改善はしつつあります。

私は、どちらかと言えば
真面目で辛抱強く、助けてと言えない性格です。

辛いことばかりで
心が荒んで
他人を攻撃的、バカにする、評価する、妬む、
そんな人間になってしまいました。

友人の話をきいていても
私の境遇と較べると、呆れるくらい小さいこと
で何をぐだぐだ言っているの
と思う反面
私とは違う。
幸せそうでうらやましく、自分が惨めで悲しくなります。
ひねくれ者ですが、心穏やかに生きたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が何をしているかがみえていないだけです

(´-ω-`)
「辛いことばかりで 心が荒んで人を攻撃的、バカにする、評価する、妬む、 そんな人間になってしまいまちた」か。そうですか。大変でちたねぇ。
(´-ω-`)
生きてきた中で様々なダメージをお受けになって、心がズタボロなのでしょう。
誰も守っちゃくれない。
誰も善意を示してくれない。
人間も愛せない。自分も愛せない。やってられっか。
嫌なことばかり続くとやるせない気持ちになって身を守ろうとするのはどんな動物でお同じです。人間も同じです。
わかります。
んじゃ👊今日から新しく生きなさい。こら。(いきなり命令形か)
いや、本当に。
毎日引きずってるんですよ。お古の布をズルズルと。何を引きずっているかって過去データ。
脳内に蓄積してきた今日においてはもういらない過去データをいつまでも捨てられんでいるのです。
今日出会うことにもあの時と同じような嫌なことが起こるんじゃなかろうかといつも片手に脳内データが刻まれた汚れた布をいっぱいに詰めたビニール袋を抱えているようなものです。今日は布の日じゃありません。燃えるゴミで出すと怒られますから、一度持って帰りましょう。昨日買ったものを片手にスーパーに行く必要はありません。冷蔵庫・食糧倉庫に入れてきましょう。
両手を見てください。
古いもん抱えちゃいませんか?
今日は今日の新しい出会いがあるのに、出会わないのはあなた。
口うるさい批判的な司会者を伴わせている。要らんことです。
自分が何をしているのかをみることです。
毎回、何か事あるごとにそこにネガティブな添え物をしている自分がいるはずです。
それが、物事を曇らせるのです。
採れたて新鮮のお刺身の上にどうして古くなったカレーをかけるようなことしますか。やめなはれ。
もう、終わったのです。大丈夫です。あなたをいじめる人はそこにはもういません。
自分を安全地帯に出してきて日の当たるところで大いに手を上げて自分の過去データ・魂を解放してあげてください。
諸行無常というのは今は今で新しいという事。
あなたが頭の中の過去データを相手にせずに今の今日の採れたて新鮮産地直送フレッシュ事実に出会うように仕向けるのです。今は今。
先程、私そばを頂きました。お昼にいただきます。今まで食べたことの無いそばです。
同じそばだって茹で方違えば変わるのです。
いつも新たに枯れ、そして今、咲いてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そんなあなただからこそ、

あなたは、幾度となく遭遇した絶体絶命の窮地を見事に生き抜いてきたスゴイ人なんだ。だから、どうかご友人の些細な悩みなんか、鼻で笑い飛ばしてやってよ。

「大丈夫。大丈夫。」

あなたのような苦労人がかけるこんな励ましの言葉は、どれだけの人を勇気づけることができるのだろうか。

そう考えるだけでワクワクしない?

決して温室育ちではない、あなただからこそ成せる業なのかもしれません。頭剃って坊さんになんかならなくていいから、あなたはあなたのフィールドで、あなたなりのスタイルでいいから、仏様のお手伝いに参加してみませんか。

他人様が元気になっていく姿を見届けるのって、サイコーだよ。

さあ、ひねくれているヒマなんかないぞー

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有り難し
おきもち

個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

質問者からのお礼

ご丁寧なお返事ありがとうございます。
この世の中に、私のことをわかってくれて
手を差し伸べてくれ、応援してくれる方が
いるということが
今の私にはとても嬉しく心強く、
涙が出ました。
心の持ち方で生きやすくなるもなのですね。
強く優しい人になりたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ