10年ほど漫画家をしています
10年ほど漫画家をしています。
あまり知名度・人気度は高くありません。
仕事自体は継続していただけています。
成功している人がうらやましいなと思う反面、自分は好きなものを描かせてもらえていて、それでこの結果なのだからこれでいいんだ、これがすべてなんだとも思います。
でも時々むなしいなと思ってしまいます。
もっと感想とかほしいなとか思ったりもします。
近頃はあまりモチベーション・創作意欲もあがりません。
どうしたら人と比べず、人の評価を気にせず、人からの賞賛を望むことなく、自信を持って、自分の描きたい漫画を楽しく描いていくことができるのでしょうか。
楽しく描いていたいのが一番の望みです。
ご教示いただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
満たされていない方が良い状態
お坊さんも創作的な立場です。法話などその典型ですが、hasunohaでの回答も一種の創作活動です。ではお坊さんにとっての創作意欲とは何か?それは伝えたいものがあるということです。
第一に仏法。私が惚れずにいられなかったお釈迦さまやお祖師さまの教えを伝えたい。
第二に仏教。ちまたに広まっている認識は嘘ばかり。それは誤解なんです、本当は仏教や宗教は凄いのですよと伝えたい。
本来、創作という行いでは、そういう自分自身の人生のテーマが第一で、Q&Aやマンガという手段は第二ですよ。
私がその活動の場として選んだQ&Aは自分が書きたいことを書いて通用する世界ではありません。あくまでご質問に寄り添わせていただくことが第一であり、「何を書くことができるか」はほぼご質問次第という待ちの姿勢になります。
もどかしいんです。とてももどかしい。でもですね、だからこそ継続できるのだと思います。伝えたいけど伝えられない。でも伝えたい。その欲求不満が創作意欲なんです。
デスティニーというゲームがありましてね、それに他より頭1つ飛び抜けたギャラルホルンという武器がありました。それを使ってフレンドの前で格好良い姿を見せたかったのですが、いざその武器が手に入ると、数日後にやめてしまいました。満足しちゃってプレイする意欲がスーッと消えちゃったんです。案外、人は欲しいものが手に入らないくらいの方が人生を楽しめるんですよ。
さて、他人との比較はした方が良いです。今でこそお坊さんがメディアで肯定的に扱われ始めていますが、ホンの数年前まで酷い言われようでした。変化の芽が生まれ始めた10年前に『頑張れ仏教!お寺ルネサンスの時代』という本が世に出ました。日本仏教はこのままじゃダメだ!アクションを起こしている人はもう始めているぞ!目を覚ませ!という内容の本です。私は誇張ではなく、胃の痛みを我慢しながら、ボロボロ泣きながらその本を読みました。そうやって腹を痛めて生み出したテーマがあれば、なかなか理解を得られなくても続けざるを得ない自分になります。私なんか出身地の青年僧侶の間じゃ黙って坐禅をしない悪者扱いですからね?でも、だからこそ私が変えないといけないと思えるんです。
人は賞賛されるから伝えたいのではなく、どこかしらに不満があるから伝えたいんです。賞賛に頼ると逆に、堕ちるのが怖くて書けなくなりますよ。
好きなことを続けられているという幸せ
どんなことでもそうですが成功している人というのは遥か高みに見えて非常に羨ましく、つい妬ましく感じてしまうものです。
特に漫画家という職業は商業誌があり同人誌があり非常に幅の広い競争率の高い職業です、その反面価格も手頃ですので好きになってもらえると続けて買ってもらえるという点は誰にでもチャンスはあるものだと思います。
漫画家にも色々な人が居ますよね。
いきなり出てきた現役大学生漫画家がいきなり売れっ子になる人
comicoなどの無料漫画を経てコミックスを出版して一躍有名になる人(保留○とかリライ○とか)
漫画家目指した途端に売れてアニメ化までされちゃうゴキブリの人
売れまくったあげく仕事しなくなる富○とか(仕事しろ)
大好きな作風でブラックキャッ○好きだったのに完全にエロ漫画家になって悲しい矢吹健○朗とか
何かを創っていく人というのは自分が世に出したものなどの評価が欲しいのは当たり前です、人から見てもらって評価してもらってそれが糧になるのです、それがモチベーションに影響するのも十分よく分かります
ただ感想をもらうということは当然酷評が多くなる可能性もあるわけですのでそれを冷静に受け止めることが出来るならばももさんはこれから先もっと成長できることと思います。
評価や賞賛関係なく描きたいものを描くという場合は商業誌ではなく同人誌のほうがやれるとは思います、商業誌である以上評価というものは必ずくっついてきます。
それを気にしないように書くならばあなたの全力をぶつけ続けるしか方法はありません、常に頭フル回転で全力でこれなんだ、これが自分の最高なんだ、を常にぶつけ続け自分がそれに満足することです。
ですが満足だけしていると成長はありませんのでお気をつけて・・・。
ここからは私個人からのお話になります
ぜひももさんの描かれた漫画を教えてください、読ませていただきます。
zenger1204@gmail.com
こちらまで連絡をいただけると読んだ上で感想も送らせていただきます。
私は漫画、大好きですから、漫画が好きで描いてる人も大好きですから、応援しています。
私は10年は節目と思います。
「どうしたら人と比べず、人の評価を気にせず、人からの賞賛を望むことなく、自信を持って、自分の描きたい漫画を楽しく描いていくことができるのでしょうか。 楽しく描いていたいのが一番の望みです。」というのは基本的に仕事としている以上無理です。これはどんな職種も同じです。好きなものを書くのは○○賞を取るまでの話しではないでしょうか。
私も法話をしていると毎年宗門の管長告諭のテーマに基づいた内容でなくてはいけないという暗黙の了解もあります。自由な法話は作れません。お彼岸時にお盆の話は出来ません。言いたいことを言うのは無理でしょう。法話を作ること自体は楽しくないけれども、その規制の中でどうやって自分の話したいことを表現するかという楽しみは出来ました。法話の依頼は修行を終えた時点は全くありませんでしたが、人脈と仕事を選ばないようにしてきたお蔭か?徐々に増えてきました。それでも、納得されるのは4割で、下手と言われるのが6割です。法話が格段に上手いわけではありません。
漫画家だから自分の描きたいことが描けるなんて幻想です。それより自分の出来ることをしてみては如何でしょか?このまま、売れないまま終わるくらいなら、自分の足跡を残す努力はした方が良いと思います。
『バクマン。』の世界は才能ある人のフィクションです。あの人たちの人生を参考にするのには年を重ねすぎました。『いつでも夢を』(原秀則作)の方がまだ現実的ですな。
何か偉そうに言ってきましたが、質問をされたので、少々実体験に本づく回答をさせて頂きました。参考にするかしないかはあなた次第です。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございます。
うすうすと感じていた自分の甘さをはっきり再認識させていただいたように思います。
今後をどうするか今一度よく考えたいと思います。
ありがとうございました。