大きすぎる罪
私はあまりにも大きすぎる罪を犯しました。
まず一つ目は、
周りに対して傲慢になり、思いやりを持てなかったことです。
次に、私はある夜、霊に憑かれました。
霊、と判断できたのは匂いと寒気からです。また、当時私は10日程眠っておらず、深夜とても疲れた状態でタクシーを拾いました。そこで恐らく霊を連れてきてしまいました。
最後に、私はその状態で外を歩き続けました。おそらくおびただしい霊魂をつけてしまったのか、その日から、私の周りに病気になる人、事故に遭う人、亡くなる人が増えていきました。
実際、夢で、「あなたは人殺しだ」と言われました。
私は神仏を信じており、目に見えない世界や、天と地獄の存在も信じています。
ですから私のこの状態について、してしまったことについて、天は激しく憤っておられると常日頃から感じております。
私がしたことは、家族からもあらゆる周りの人からも見ることができませんから、彼らは私がとんでもない罪を犯していることを知りません。
私は、本気で死を考えております。
天に私のしたことを悔い、申し訳ないと懺悔し、悔い改めて生きようとしていました。
しかし、私のしたことは周りの人から罪に定められることではなく、自分と天しか知らないことです。
しかし、霊は存在し、私のしたことは、実際に周りの人や世界に悪影響を与えました。
傲慢な言い方にも感じるかもしれませんが、間接的に私は悪を世に運んでしまいました。
このような、霊について、おそらく私の邪の波動と合ってしまった結果だと思います。
私は当時それに対する罪悪感がありませんでした。しかし今ははっきりと、自分が周りの人に対してしてしまったことを認識しております。
悔い改め、我に立ち返ると何て馬鹿なことをした、と思います。
しかし私が霊に取り憑かれその影響が周りに出ている事は、事実です。
見破れる人は見破ることができます。この間親切にしていただいてるお坊さんから、何か悪いことでもしましたか?と聞かれました。
私は否定してしまいました。正直に話せば良かったと思っています。
中世でいったら火刑になるくらいの罪だと思います。究極、本当に他者を愛してたら影響は自分に留めようとし、自死を選ぶべきだったと思います。
この罪を知っておられるのは、天と己のみです。何という罪に定められるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたも被害者では?
よくわかりませんが、その話だと、あなたも霊の被害者なのでは?
罪を気にしすぎると辛いだけです。
人間には、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩があります。
あなたが霊のことを考えているときにも、
欲・怒り・怠け・プライドのどれか1つ2つが起動していると思います。
まずは、どの煩悩が発動しているのか、冷静に確認する「煩悩スキャン」の意識を持ちましょう。
煩悩は悩み苦しみ・ストレスの原因です。
煩悩に気付くことは、悩み苦しみ・ストレスをコントロールする技術につながります。
もしも、「罪」に名前をつけたいなら、
瞬間瞬間に浮かんでは消えていく心が
「欲・怒り・怠け・プライド」のどれに該当するか(複数でも可)を観察、分類してみましょう。
たとえば「欲」は、快楽悦楽を伴います。
霊のことを考えるとき、ちょっと気持ち良いというか、「もっと霊について考えたい」という気持ちになったら、それは「欲」の煩悩が働いています。
「嫌だ、むかつく、悲しい」など拒絶的な気持ちのときは、「怒り」が働いています。罪悪感や後悔も「怒り」の煩悩です。
集中力を使いたくない、眠い、めんどくさいは「怠け」。
自分の評価を気にして、自分を素晴らしいと思いたい気持ち、今の自分を他人や過去の自分や理想の自分と比べたくなる気持ちは、「プライド」です。