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とても辛い2018年

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2018年ももうすぐ終わりますが、私にとって2017年年末から2018年にかけて、さまざまな意味での別れが続き、楽しかったこと幸せだったこともたくさんありましたが、それ以上に悲しい出来事が多く、とても辛い一年でした。2017年年末に祖祖母が亡くなり、春には付き合っていても辛いという状況でしたがそれでも大好きだった彼氏と苦しい別れ方をし、少しずつ彼への気持ちが落ち着いてきたと思っていたら、昨日10年一緒に過ごしてきた愛犬を病気で亡くしました。心臓病を抱えており通院しながら闘病していましたが、急変とのことでした。覚悟はしていましたが、愛犬の死は耐えられないほど辛いものです。今までも周りの友人たちに支えられ、一つずつ乗り越えてきたつもりですが、愛犬が亡くなったことは私に追い打ちをかける出来事で、もう乗り越えたと思っていた過去の出来事についても思い出してしまい、また苦しくなってしまいました。もう明日が来るのも辛くて、喪失感が大きすぎてどういう気持ちで2019年を迎えていいのかわからないです。ですが、2019年を今年よりもはるかに素敵な一年にしようという気持ちももちろんあります。新しい一年をいい一年にするにはどのような心持ちでいたら良いのでしょうか。今の私に助言を頂きたいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

御用心 御用心

ちょこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

来年へ向けたお寺の掲示板に、一休宗純禅師のお言葉を掲げました。

「御用心 御用心」

一休禅師は、正月の町中を、墓所で拾ってきた骸骨💀を杖に刺し、御用心、御用心、と歩き廻り、「にくげなき このしゃれこうべ あなかしこ 目出たくかしく これよりはなし」と詠まれました。

正月祝いの中、忌み嫌われることを承知の上で、一休禅師がお伝えなさられたかったことは、悪いことも良いこともありながら、あっと言う間に人生は終わることの無常と、死を見つめて生きることを常に忘れないように、また、生きる上での大切なことを見失わないようにという教誡であると理解しております。

私たちは来る日、来る年、同じように俗事に振り回されてしまいがちではありますが、誠に用心して参りたいものでございます。

過度に期待し過ぎずに、日々、常に悪いことも起こるとして、用心していくことです。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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愛別離苦

2018年はちょこさんにとってはとても辛い別れの連続だったようですね。

お釈迦さんが説かれる教えの中に「四苦八苦」というものがあります。
その八苦の一つに「愛別離苦」というものがあります。

愛するものと離れなければならない苦しみです。
私達は生まれたからには必ず老い、病にかかり、そして死んでいく身を生きています。
その中でも、いちばん悲しくて辛いものは愛する人の死であります。
悲しみが深いということは、亡くなったちょこさんの祖祖母や別れた彼氏、
そして愛犬があなたに与えていたものが大きかったからではないでしょうか。

楽しい時間を与えてくれた、安らぎを与えてくれた、他にもたくさんのことを与えていただいたのではないでしょうか。

人に出会うということは必ず別れが訪れます。

私達は当たり前のように明日がまたくると思っています。
ですが、時は無常にも過ぎ去ります。
ちょこさんはその無常という現実を今年たくさん経験しました。

だからこそ、身にしみて毎日を大切にしなければならないと感じているのではないしょうか?

悲しみを乗り越える必要はありません。整理できなくて当然です。それだけ愛し、愛されていたのですから。
時間をかけて亡き人、別れた人との過去を振り返り、何をあたえていただいたかを思い返してみてください。

そして、今度はちょこさんが誰かになにかをあたえられるように2019年を過ごしてみてはどうでしょうか。毎日を丁寧に生活してみてください。

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新潟県のとある田舎にあるお寺を父の住職とともにお預かりしています。 ...
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今こうして頑張って生きている自分の姿を見せてあげたい。

こんにちは。亀山純史と申します。
2018年も今日で終わりですね。人に限らず、大切な命が失われることは、本当に辛いものです。大切な命が失われて一年後に執り行う仏事が、一周忌ですね。一周忌は中国の儒教の「小祥忌(しょうじょうき)」に由来しているそうです。「祥」は、「めでたいこと。喜ぶべきこと。」を表す漢字です。女性の名前にも「祥子(さちこ・しょうこ)」などと使われていますよね。
ではなぜ、人が亡くなって一年たったら、「小さな喜び」になるのでしょうか。このことについては、いくつかの説明があるようですが、その中の一つをご紹介します。

この世は諸行無常の世界です。故人が亡くなってからの一年の間にも、もしかしたら、別なご不幸が起こることもあるわけです。それでも、この世に残された人たちは、どうにかこうにか生活出来ていることへの喜び、そして、私たちもこうして頑張っていますよ、と故人に対して報告できる喜び、そのためのお勤めが一周忌である、というものです。

年忌法要の考え方は、宗派によって異なるところはあるでしょうけれども、このような見方は素晴らしいものではないかな、と思っています。
来るべき2019年がどのような年になるかはわかりません。しかし、ひいおばあちゃんや愛犬に対して、今こうして頑張って生きている自分の姿を見せることが出来ように、精一杯生きていきたいものですね。

以上が私からの回答になります。どうぞ、よいお年をお迎えください。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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