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いきる知恵とはなんですか?

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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくおねがいします。

これからは、卒業後就職するので何があるか不安なのです・゜・(つД`)・゜・
私は、勉強してないときがほとんどだったのでこれから勉強をやり続けるコツはないですかね。決めてもやれないときが多いです。まあいいやでやらないのです。

どうか、この私にはっきりカツをいれていただいても構いません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きる知恵は経験から得られるのではないでしょうか

初めましてm(__)m
コツというよりも、人間は自分自身が本気で必要と感じたことならば、自然と勉強するということだと思います。今までご自分のことを勉強をしてこなかった、あるいは途中でやろうとしていることを投げ出してしまったとご自分で思われているようですが、キッチリ卒業され就職も決まっているではないですか? 立派なことだと思います。
今までご自分で勉強しようとして投げ出してしまったことは、恐らくその当時のあーちゃんさんにとって、自然と始めたことではなく、それまでの自分を改めるお気持ちから始めようと思ったことではないですか? お心がけは素晴らしいですが、続かなかったのは、ご自分の中に明確な目標がなかったからではないでしょうか? 明確な目標がないと、人間は意外と脆いもので、続かないんですよね。私にも経験があります。ただ難しいのは、目標というのものは無理矢理持とうと思っても持てるものではないんですよね。ここが本当に難しいところだと思います。あーちゃんさんの周囲にいらっしゃる勉強をされている方々、あーちゃんさんが勉強をしているなと思っている方々は、恐らくその当時、あーちゃんさんには見えていないものが、その方の中では明確に見えていたということ、違いはそれだけなのだと思います。あまり他人と比較しての結果にこだわらないほうがいいと思います。中身の人間には、そんなに差はないと思いますよ。あーちゃんさんも就職された職場で実際に働き始めると、今よりももっと明確に、自分が勉強をしなきゃいけないと思える部分が自分の中で見つかると同時に、周囲から求められるあーちゃんさんの特徴がハッキリしてくるはずです。4月までの3ヶ月間、就職したと思って新しいアルバイトをしてみるのはいかがでしょうか?新鮮な人間関係に身を置いてみると、何か新しい発見があるかもしれません。勝手なこと申しましてすみません。

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臨済宗の若手のお坊さんです。 https://www.facebook.com/kazumasa.takai/

「よし、今日からまた開始だ!!」気合の入れ直し。

明けましておめでとうございます。亀山純史と申します。

これから勉強をやり続けていくコツですが、ひとつには、具体的な目標を立てることでしょうね。「具体的な」とは、期日を設けることなどです。つまり、「いつまでに〇〇が出来るようになる。」資格試験ならば、「いつまでに〇級に合格する。」というものです。次に、出来るだけ毎日、決めた時間に勉強する、ということです。何時からは勉強する、と時間を決めてやってみましょう。実際には、その時間に毎日出来ないかもしれません。それはそれで構わないでしょう。大切なことは、一日の生活の中のどの部分で勉強するのか、ということです。夕食前にするのか、それとも夕食後にするのか、など、自分の生活リズムを考えて、勉強する時間帯を考えてみてください。そして、一日の勉強の量は決して欲張らない、ということです。毎日のことですから、無理は禁物です。そして最後に、一言。仮に出来ない日があっても、自分自身を責めない、ということです。2,3日さぼってしまっても、一週間さぼってしまっても、「よし、今日からまた開始だ!!」と気合を入れ直して、さあ、やっていきましょう。

追記になりますが、スマホのタスク・スケジュール管理アプリのリマインダー機能を使って、やるべきことをスマホに表示させることも、いいと思いますよ。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

責任感

仕事の場合、自分がやらないといけない仕事をできなかったら、他の人に迷惑がかかります。
自分さえ楽できればよいとか、そういう考えではなく、他人に迷惑がかからないように踏ん張る責任感が必要です。
雇われの身であっても、経営者や自営業者のような気持ちになって考えましょう。
そうすれば、「やるしかない」という気持ちになるのではないでしょうか。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

生きるチエ

この世に生まれた以上、望ましくないことが起こる可能性は無きにしもアラジンです。
そんなわけですから、望ましくないことが起こった時=苦しいわけですから、この苦しみが起こらんような生き方をすることこそが人生における最高のチエです。
以外に子供も大人もじいさまもばあさまも苦しいことは嫌なのにここには向き合わんのです。
どこかしらに何とかなるべーと思っているからでしょう。
頭の良い人ほど早いうちにここを解決するべく工夫します。
その工夫が仏道修行というもんです。
お若い方からおじじおばばまでどなたにでも開かれております。
人生学びではないことはありません。
学校の勉強ではないことだって学びは学びです。
どんなことも学びにする心を持てば学びではない時はありまへん。
どんなことも学びにしましょう。✨
自分を知る。人を知る。この世を知る。道理を知る。根本を知る。
皆生きるチエになります。

正し仏教の智慧というのは少し世間の智慧とは違います。
あなたのことでありながらも、あなたがやっていないことです。
呼吸、モノが見える、音が聞こえる、感じられる。感覚がある。
当たり前のようでも、自分の事でありながら自分がやっていないこと。
そういう所を深く見つめていくことで引き出される力がチエです。
どのようなものであるかは自分で探求してみるとよいでしょう。
やってみると、自然にこだわりが無くなり、あらゆる苦しみから救われて、自分の事ばっかりじゃなく困っている人も助けられるようなマンガやドラマに出てくるスンゲーいいキャラみたいな人間性に目覚めることができるでしょう。実際そういう生きかたをしませんと人間っていくら裕福になっても勝ち組になってもセレブになっても心底幸せにはなれないということはすでに歴史の中で多くの方々が実証済みなので、そっちに行かずに自身が心底救われて幸せになれる道を歩まれますことを。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

こんばんは、このないだの取扱説明書は、仏様が書かれてますと回答した方ですね。あえてうれしいです。 回答ありがとうございます。

そこまで、いってくださる方はなかなか他人にはないのでぜひやってみたいと思います。

(亀山純史)

責任感も大事ですよね。意識してみます( ・`д・´)

(浄史)

かっこのところは、分かりにくいと思いますが、回答僧に向けてコメントしました。

こちらも追記します。
スマホのタスク機能にリマインダーがあったのでそれを利用してみようかと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ