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自分がなぜ、生まれてしまったのか……

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こんにちは、元旦が終わって3日目が来ました。
明日は、部活が午前あります。もう、三年間続けると自分で決めましたが行きたくない。休みたいです。明日だけでも休みたかったのに……行っても意味ない気がします。今年で男子のみになってから女子が三人やめてしまったし、私ともう一人で女子二人だけ。同級生の男子はそのまま残ってます。あとは、後輩男子十人と11人くらい。

さておき、今のお父さんは、実の親ではないです。う~ん。。。あんまりです。やっぱり、義理の親って冷たいのですね。そんなイメージがあるそうです。
母は、自分の娘(妹)が暴力を奮われて嫌だったことを話してましたが、どの人の答えも離婚したらの意見が一致しました。お坊さんにも話したら、その答えとまったく一緒でした。今は、なんとか落ち着きました。
柔らかくいうと言い方がひどいので柔らかくいってほしいとか、何回も母が行っても直らないので諦めると。
家族がストレスという母にたいしてはじゃあなんでかぞくを作ったんだと思うのです。ストレスなら私なんて生まなきゃいいのだ!と思いました………
早く出ていけるだけの力があればいいのですがありません(T-T)文章長くてすみません(T-T)
言語化するには、時間がかかります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生まれは誰も善悪を問えない

仏教では「生老病死(ショーロービョーシ)」といいましてナ、生まれも老いも病も死も自分の意思とはまるで無関係で誰も避けられないし、思い通りにならんもんです。
私もホントはジャニーズぐらいのイイ男で大富豪の家庭に生まれてくるはずだったんですが、残念ながら「かわいそうな顔」「かわいそうな家庭」で生まれてきましたことは言うまでもありません。多分、順番ズレちゃったんだと思います。私の前後賞はアタリだったと思うのですが、👴神様曰く「お前はその分人を幸せにしてやったんぢゃ」と。
人間はどんな状況で生まれてきても、どういう訳かこの世に存在してスーハースーハー息をしているからには「すでに生まれてきている」わけです。
素材している以上、すでに誰も避けられない今日という人間の都合の通じない事実の真っただ中にあるのです。
この呼吸ですら「自分がやってない」んだって感じてみてください。
私も今、文字を入力中なのですが、さっきからずっとハナヅマリー状態でプスープスーと呼吸音が止まらんです。(笑)
呼吸とか命の働きって、親が誰であろうが、家がどんな浄っ教であろうが、友達が何人居ようが全自動。
モノが見えるのも、聞こえているのも、全自動。
人間の好き嫌いや条件付けを飛び越えています。
24時間もみんな一応、平等に与えられています。
お正月の三日間も24時間×3日=78時間をどう使いこなすかも自分のアタマ次第。(計算違うぞ)
自分のアタマも時間も生き方も自分次第。親をどう思うかも部活でどう楽しむかもここで何を記すかもTV何を見るか何を学ぶかも自分次第なのです。
自由なんです、本当は。でも人間って、嫌なことがあるとアタマが停滞しちゃうんです。
思考が停滞してしまうのは、執着とかこだわりと言いましてね。心の手のカタチがパーからグーになっちゃってるんです。
過ぎた過去のことに足を引っ張られちゃうとか、先のことにおびえたりとかでたった今の現実が見えなくなっちゃう状態です。
それって自分の中の「わたし」が主人公になってやっているんです。
そっちって、本当の主人公ではないのです。
全部を自分の都合で変えたい時の「わたし」ってすごくわがままだったり、身勝手なのです。
そっちではない自分に耳を傾けてみましょう。さっきから呼吸したりしてくれている方です。
「なぜ」を超えて生きてくれている自分を感じてみましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

なぜ生まれたんでしょうねぇ

人はどうしても、生まれたこと、生きること、色んなことに意味を持たせようとします。
それはもう、本能と言おうかクセですねw

でも、いくら考えても「これが正解だ」という答えは出てこないと思います。
なぜなら、生まれたことそれ自体に意味は無いからです。
たまたま、お父さんとお母さんが出会って、たまたまあなたが生まれたんです。
そこには何も意味はありません。

けれども悲観することは無いよ、そもそも命というものは、何も無い所から生まれて、また何も無い所に還ってゆく、そういうものなのですから。

ちょっと想像してみて下さい、
あなたという人が生まれるためには、子宮内に放出された数億個の精子が競争して、勝ち残ったたったひとつの精子が、ひとつだけの卵子にたどり着いた結果です。
それだけでも凄い奇跡だけど、まずはあなたのお父さんとお母さんが、この70億人が住んでいる地球上で出会わないと、あなたは生まれていないんです。そのこと自体が奇跡なんだと思いません?

そうやって、何十億分の1の確率でこの世界に生まれてきたあなたの命です、意味があるとか無いとか、どうでもよくありませんか?
せっかく授かった命です、そのまま腐らせてしまうのはもったいないよ、あなたが今できる範囲でいいんだから、その命、有効に使って下さいよ。

人が幸せを感じる瞬間が4つあります、それは

人からほめられること
人から必要とされること
人の役に立つこと
人から愛されること

周囲の環境に色々と影響されることもあるでしょう、だけれども、あなたの命はあなただけのもの、あせらず、おごらず、くさらず、自分を磨いて下さい。
そうやって、人の役に立つ、ひとから必要とされる人になって下さい。

生まれたことに意味は無いけれど、あなたの生き方ひとつでいくらでも意味は作れるんですよ。

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おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

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