御札の購入について
御札購入で迷ってます。
新年になり、神棚に御札を購入する際に家の近くの神社で天照大神の御札と氏神様の御札は購入しましたが、あとは、崇拝する神社の御札とのことですが、特に崇拝する宗教もありませんので、例年、暇つぶしに出かけた先の神社で購入していました。
今年も、出先で購入しようと思い、先日、ドライブがてら、家から近い、山の中にある、小さい神社に行きました。
そちらの神社は龍神様をお祀りしていました。とても、澄んだ空気に神社も凛とした空気が漂い気に入り、御札を買おうと思いましたが、以前に人から、龍神様とお稲荷様は避けた方が無難と言われ、迷った挙げ句、見合わせました。
主人も娘は辰年だし、家からも遠くないので、遠くの有名な神社に行くよりは良いかなっと思っているのですが、やはり、こちらの御札購入は避けた方が無難でしょうか?よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
既にお礼コメントも入っておりますが、大事な質問であり多くの方の目にも触れるかもしれませんので回答させていただきます。
神道については私も基本的に専門外でありますが、それは日本古来の民族宗教であり、その根本は霊の宗教です。私たちに降りかかる吉凶禍福は全て私たちには見えない霊界からの霊力によるものと考え、そのため除災招福を願い人々は霊を恐れたり媚びへつらったりして主体性を失う恐れのあるものです。
霊とは自然霊・死霊・祖霊・地域共同体の霊・神などです。
それらをなだめて永眠させたり、讃えて霊力を迎えようとするのが除災招福の祭祀であり、御札もその延長線上にあるものでしょう。
これは仏教とは全く異なる教えです。
仏教では吉凶禍福をもたらすような運命の支配者や世界の創造主といった絶対的な存在を認めません。
そもそも仏様とはもともと人間である釈尊が真理に目覚めたものです。よってそのような実体的で超越的な力を持つものではありません。経典には様々な表現もとられますがそれは比喩表現であり、また釈尊以外の仏様もなんらかの「教え・はたらき」の人格的表現であり、神のように存在するというものではありません。
したがって仏様に除災招福を願うということは本来であれば仏教の考えはないのです。
仏教では物事自体に「良い・悪い」があるとは観ません。物事の「良い・悪い」はものごと自体でなく、ものごとを評価する「私の心」=「私の都合」にあると考えます。
ですから除災招福はその「私の心」=「私の都合」に目をつぶり、ただその苦楽の原因を自らの外にのみ求めていくという主体性の喪失とみます。
祭祀により「私の都合」に合わない災いや罪を除いた気持ちになったとしても、実際にあった罪や災いの事実が消えるわけではありません。それなのに本人がその事実から祭祀により解放された気になるというのは事実の前に目をつぶるという催眠性と忘却性があるものであり、まさに主体性の喪失です。
仏教では「私の都合」に合わない物事の中にあっても、仏様の目覚めた教えによって、「良い・悪い」の評価により自ら苦しんでいる姿を照らされて、いよいよその「私の都合」に合わない物事を引き受けて現実的な対処をしていく力をいただくものです。苦しみを除くのでなく、苦しみを活かしていく救いです。
その違いをきちんと押さえることが大切です。
専門外ですが..
こんにちは。
ここは仏教のお坊さんの問答サイトなので、神様の事は専門外となります。神社で聞いた方が確実です。
と書きましたが、せっかく質問してくださったのでわかる範囲で書きます。
まず、天照大神の御札(神宮大麻)は伊勢神宮のお札です。神道の中心となる神様で、神棚の中央におまつりします。
地元の神様である氏神様のお札は、天照大神の右側におまつりします。そして天照大神の左側に崇敬する神社のお札をおまつりします。質問中、「特に崇拝する宗教もありません」とありますが、ここでは神道において崇敬する神社のお札の事を言っているわけで、例えば仏教のお札などをおまつりする場所ではありません。
「龍神様とお稲荷様は避けた方が良い」というのは、初めて聞きました。神社でおまつりされている神様なら、どんな神様でも良いと思います。
私の家でも、あなたと同じように旅先で立ち寄った神社で大麻(お札)を求め、おまつりしています。そして1年をめどに地元の神社に納めるようにしています。
一番最初にもかきましたが、なにしろ専門外ですので、お近くの神社の宮司さんなどにお問い合わせください。
ご縁がある神仏ならどちらでもよい
質問者からのお礼
鳳林寺の光輝様
ご回答して下さりありがとうございます。また、私の無知な質問にご回答頂きありがとうございます。お話を読むうち、特に気にすることないようなので安心しました。ありがとうございました。
宗恩寺の百目鬼洋一様
ご縁があれはどちらでもよいとおっしゃっていただき、安心しました。ありがとうございました。
法覚寺の吉武文法様
ご回答頂きありがとうございます。
仏教は、自己の心を研鑽するものなのですね。よく理解できました。
しかし、たまに、仏教の教えを学んでいるという一般の人達の話をする際に、聞いてくうちに神道的な発想や解釈をしているとなと感じる話をよく聞くので、私の中では神道≠仏教となっております。
なにはともあれ、私の無知な質問に気分を害され不愉快になってはないかと、危惧するばかりです。申し訳ありません。
私自身は、神道をされている方には失礼なのですが、御札やお守りに対しては一つの縁起物として捉えており、今年、主人は仕事で新たなチャレンジになる年なので、力になれる事は限られてるので、縁起担ぎもたまには良いかと思ったのですが、少しネガティブな情報を聞いたので、引っかかった次第です。
長くなりましたが、ご丁寧にご教示頂きありがとうございました。