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御札の購入について

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有り難し有り難し 30

御札購入で迷ってます。
 新年になり、神棚に御札を購入する際に家の近くの神社で天照大神の御札と氏神様の御札は購入しましたが、あとは、崇拝する神社の御札とのことですが、特に崇拝する宗教もありませんので、例年、暇つぶしに出かけた先の神社で購入していました。
 今年も、出先で購入しようと思い、先日、ドライブがてら、家から近い、山の中にある、小さい神社に行きました。
 そちらの神社は龍神様をお祀りしていました。とても、澄んだ空気に神社も凛とした空気が漂い気に入り、御札を買おうと思いましたが、以前に人から、龍神様とお稲荷様は避けた方が無難と言われ、迷った挙げ句、見合わせました。
主人も娘は辰年だし、家からも遠くないので、遠くの有名な神社に行くよりは良いかなっと思っているのですが、やはり、こちらの御札購入は避けた方が無難でしょうか?よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

既にお礼コメントも入っておりますが、大事な質問であり多くの方の目にも触れるかもしれませんので回答させていただきます。

神道については私も基本的に専門外でありますが、それは日本古来の民族宗教であり、その根本は霊の宗教です。私たちに降りかかる吉凶禍福は全て私たちには見えない霊界からの霊力によるものと考え、そのため除災招福を願い人々は霊を恐れたり媚びへつらったりして主体性を失う恐れのあるものです。

霊とは自然霊・死霊・祖霊・地域共同体の霊・神などです。

それらをなだめて永眠させたり、讃えて霊力を迎えようとするのが除災招福の祭祀であり、御札もその延長線上にあるものでしょう。

これは仏教とは全く異なる教えです。

仏教では吉凶禍福をもたらすような運命の支配者や世界の創造主といった絶対的な存在を認めません。
そもそも仏様とはもともと人間である釈尊が真理に目覚めたものです。よってそのような実体的で超越的な力を持つものではありません。経典には様々な表現もとられますがそれは比喩表現であり、また釈尊以外の仏様もなんらかの「教え・はたらき」の人格的表現であり、神のように存在するというものではありません。

したがって仏様に除災招福を願うということは本来であれば仏教の考えはないのです。

仏教では物事自体に「良い・悪い」があるとは観ません。物事の「良い・悪い」はものごと自体でなく、ものごとを評価する「私の心」=「私の都合」にあると考えます。

ですから除災招福はその「私の心」=「私の都合」に目をつぶり、ただその苦楽の原因を自らの外にのみ求めていくという主体性の喪失とみます。

祭祀により「私の都合」に合わない災いや罪を除いた気持ちになったとしても、実際にあった罪や災いの事実が消えるわけではありません。それなのに本人がその事実から祭祀により解放された気になるというのは事実の前に目をつぶるという催眠性と忘却性があるものであり、まさに主体性の喪失です。

仏教では「私の都合」に合わない物事の中にあっても、仏様の目覚めた教えによって、「良い・悪い」の評価により自ら苦しんでいる姿を照らされて、いよいよその「私の都合」に合わない物事を引き受けて現実的な対処をしていく力をいただくものです。苦しみを除くのでなく、苦しみを活かしていく救いです。

その違いをきちんと押さえることが大切です。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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専門外ですが..

こんにちは。

 ここは仏教のお坊さんの問答サイトなので、神様の事は専門外となります。神社で聞いた方が確実です。

 と書きましたが、せっかく質問してくださったのでわかる範囲で書きます。
 まず、天照大神の御札(神宮大麻)は伊勢神宮のお札です。神道の中心となる神様で、神棚の中央におまつりします。
 地元の神様である氏神様のお札は、天照大神の右側におまつりします。そして天照大神の左側に崇敬する神社のお札をおまつりします。質問中、「特に崇拝する宗教もありません」とありますが、ここでは神道において崇敬する神社のお札の事を言っているわけで、例えば仏教のお札などをおまつりする場所ではありません。
 「龍神様とお稲荷様は避けた方が良い」というのは、初めて聞きました。神社でおまつりされている神様なら、どんな神様でも良いと思います。
 私の家でも、あなたと同じように旅先で立ち寄った神社で大麻(お札)を求め、おまつりしています。そして1年をめどに地元の神社に納めるようにしています。

 一番最初にもかきましたが、なにしろ専門外ですので、お近くの神社の宮司さんなどにお問い合わせください。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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ご縁がある神仏ならどちらでもよい

特段に避けなければならない神仏などありません。
ご縁があった神仏のお札ならどちらのものでもかまいません。

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おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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質問者からのお礼

鳳林寺の光輝様

ご回答して下さりありがとうございます。また、私の無知な質問にご回答頂きありがとうございます。お話を読むうち、特に気にすることないようなので安心しました。ありがとうございました。

宗恩寺の百目鬼洋一様

ご縁があれはどちらでもよいとおっしゃっていただき、安心しました。ありがとうございました。

法覚寺の吉武文法様

ご回答頂きありがとうございます。

仏教は、自己の心を研鑽するものなのですね。よく理解できました。

しかし、たまに、仏教の教えを学んでいるという一般の人達の話をする際に、聞いてくうちに神道的な発想や解釈をしているとなと感じる話をよく聞くので、私の中では神道≠仏教となっております。

なにはともあれ、私の無知な質問に気分を害され不愉快になってはないかと、危惧するばかりです。申し訳ありません。

私自身は、神道をされている方には失礼なのですが、御札やお守りに対しては一つの縁起物として捉えており、今年、主人は仕事で新たなチャレンジになる年なので、力になれる事は限られてるので、縁起担ぎもたまには良いかと思ったのですが、少しネガティブな情報を聞いたので、引っかかった次第です。

長くなりましたが、ご丁寧にご教示頂きありがとうございました。

「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

私は千葉県の在住です。成人です。 観音様への関心が強まりまして、 毎月・朔日/月初にお参りに通うなら在住市内に在るお寺の方が良いかなとも考え、検索して近所に見つけましたが、お寺って、中規模以上くらいにならないと、御札等がある程度の種類の取り扱いが無いところが多いな…と思いまして。 自宅の神棚にお祀りして毎朝お祈り/祈願したいのです。 それで、例えば、東京浅草の浅草寺は生まれてから2~3度お邪魔した事はあるのですが、 遠くはないが、行きたい時に難無く赴けるほど近くはない距離感で、郵送での購入を検討していますが、 「Q:普段から正月のお参りやある程度定期的にお詣りして馴染みがある訳でもないのに、御札やお守りだけを頂く事でも本尊様方のご利益に与れるものだろうか?と思いました。」 そこまで考えるのは少し考え過ぎかどうか…。 自宅近所に見つけた車で5分程度の同じ市内のお寺も聖観世音菩薩を御本尊として、他にも不動明王様もいるお寺で行き付けにしているのですが、浅草寺様と同じ観音様だから関連している…と考えて良いものか、と。 普段現地に顔を見せないのに御札だけねだられても…とは浅草寺の観音様も思わないんでしょうけど…。 或いは、その発見した近所のお寺にお参り時に、同等の金額を浄財としてお布施すれば意義的には同じなのかな…とも一縷考えましたが。 ※勿論、一番良いのは直接その場で授与していただける事、何か御祈願したい時にいつでもお参りできる事だとは承知はしているのですが…。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ