功徳の回向について
自分の周りの人々に、また、その他の全ての生命に自分の功徳を分けることはできるのでしょうか(自分に功徳があるのかすら分かりませんが)。 頭の中で念じるだけで回向していることになるのでしょうか。
それは先祖にも届いているのでしょうか。 実感がない、確認できないことなので、これでいいのか、と首をかしげながら念じています。
また、どんな言葉で念じるのが良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いただき物のお裾分け
”自分の功徳を分けることはできるのでしょうか”
【功徳】という言葉がイマイチわかりにくいかな。
自分の功徳=自分が受けた【恩恵】と読んでみてはいかがか。
あなたの受けた恩恵をまた他者にお裾分けする。
なんかできそうじゃね?
例えば、あなたは誰かから清々しい笑顔で挨拶をされて気分がよくなった事はない?嬉しかったあなたが、今度はそれを別の人に同じことをすれば、その人もきっと気分がよくなれるだろう。
あなたが獲得した知識や経験…いろいろなもの吸収して、地位、名誉、財産なども含んで今日のあなたという生命が存在しているわけだが、それらを正しく駆使して隣人を支え、励まし、慰め、時には叱咤激励する事ができれば、それはもう立派な回向だ。
ちなみに仏教の世界では、たとえ自力で悟りを開いたすごい聖者でも、それを他者に説かない、つまり功徳を回向しない聖者は【辟支仏】といって、まだまだ半人前の仏とされる。
”それは先祖にも届いているのでしょうか”
お経の力で先祖のあの世での地位が上がるのかどうかは知らない。ただし、先祖を供養するという行為により、あなたが仏法僧の三宝に帰依する姿は、必ずご先祖の心配を取り払う、つまりご先祖はさぞ安心なさることでしょう。
あまり難しく考え込まず、あなたの受けた恩恵を独り占めすることなく多くの人々にお裾分けして振りまいてほしい。たくさんのお裾分けは、金や物は減るかもしれないがあなたの幸せは減らないから、
『功徳はなぜ廻向できるの?』
藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)をお読みになると良いのではないかと思います。
広島大学に提出した博士論文の要点を分かりやすく紹介してあります。ご質問にちょうどぴったりの内容です。Amazonなどで現在でも入手できます。
質問者からのお礼
転落院様 ご回答ありがとうございます。そう言って頂くと、回向も難しいことではないような気がしますね。ガンガン恩恵を振りまいていきたいと思います。
藤本晃様 ご回答ありがとうございます。著書を読ませて頂いたことがございます。ご紹介頂いた本を調べてみます。