人格形成失敗しました 屑過ぎて気に食わない
私は小学生のころクラスメイトの女子を泣かせてしまいました。
〇〇さんのこといなくなってほしい人~と言ったんです、彼女は転校してきたのですが私と私の友人は彼女の特徴的な見た目を話題にしていました。
ここ最近自分の人生を振り返ってみて最低な人生を歩んでいることに絶望。
幼稚園から小学生まで攻撃的な部分が表に出ていました、今は表には出さずにいるのですが その攻撃的な思考が自分に向いています。
私は底辺です、人を虐めるような事はしちゃいけないと思っているのですが、私は過去に虐めをしているという事実。
私はこれが気に食わないのです、その汚点を作ったという自分に失望と殺意が湧いてきます。
良いことを行おうとしても汚点がある癖に善人のフリしてるようなきがするんです。
攻撃的な部分も表には出さないだけで昔と変わってないように思えますネット上の掲示板で悩みでイライラしたときに荒らしてしまいます。
酷いことを言う時もあります。
冷静になったらまた人生の汚点が増えたことにイライラします。
俺は最低な人間なんだとわかったときにはもう遅い。
頭の中で酷い言葉があふれてきます、人格形成失敗したんだと思います。
俺は俺と正反対の人になりたかった。俺は影側です、明るい人種では無かった。
客観的にみて俺は俺として生きたくありません、抱えてる悩みもどうにもならないものだし、自殺しかないかなと思う時があります。
中学高校という人生の一番楽しいところ、輝ける時期にろくな青春を送っていないので 青春コンプレックスを抱えている。上手く生きることが出来ません受け身です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思考優先から事実優先
それはあなたが大事にしてきたことに間違えがあったということです。道徳的感覚を知識でみにつけているのでしょう。
つまり、あなたの価値観、評価、思いを中心に、それを優先して物事に触れていることにもんだいがあるのです。
本来ひとの見た目についても、比較するものではありません。これは頭で理解するのではなく、あなた自身の目の働きに学ぶのです。あなたの目は、好き嫌いをいいません。善悪、損得、過去も、未来もありません。今のありのままを映し出しているのです。仏教はここに学ぶ教えです。あなたの体そのものの機能に学ぶ教えなのです。
あなたの見解を挟んではならない。
こう思わなければならない。こんなこと思ってはいけない。そんなことも必要ないのです。思ったら思っただけの話。後追いしなければ6秒後には消えています。人は、その場、その時の活動しかしていません。
だから救われるのです。
あなたの体の働きそのものに目を向けて生活してみてください。思考と離れた生活があるはずです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。でももし私のせいで傷ついた相手が恨みつづけていたらと
思うと後悔の気持ちが消えません